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千葉繁

千葉 繁(ちば しげる、1954年2月4日 - )は、日本の声優、俳優、ナレーター、音響監督。本名、前田 正治(まえだ まさはる)。血液型はO型。熊本県菊池市出身。劇団フジ、劇団東芸、エム・スリーを経て81プロデュースに所属。C&Oアクターズスタジオ所長。中学卒業後、集団就職で熊本から上京して日立横浜工場で働き始める。働きながら勉強する苦学の日々を送る中、友人と参加した劇団フジのオーディションに合格、役者業に転向する。若い時は身体的な能力を生かして日活などの作品にスタントマンとして参加していたことで知られている。にっかつロマンポルノに俳優として出演したこともある。本人によれば、ぐりぐり眼鏡の学生で、コトに及んで「僕知ってるよぉ!」などと叫んでいるようなキャラクターだった。また中学時代は体操部のキャプテンであり、運動神経はバッチリだという。劇団東芸移籍後もテレビドラマなどに出演。大河ドラマや1978年版『白い巨塔』に出演したこともある。お笑い芸人・役者のチャーリーカンパニーとはこの頃からの旧友で、現在も親交がある。声優業を開始したのは1976年『ドカベン』からで、次第に声優としてのキャリアを積んでいく。1984年に始まった『北斗の拳』ではジョーカーなど悪役の主にやられ役要員として出演していたが、後に予告ナレーションも担当した。1985年に『ハイスクール!奇面組』で初めてアニメの主人公を演じ、同年に若手声優を集めて劇団バーストマンを旗揚げして活動していたが、後に解散。1989年には、押井守監督のOVA『御先祖様万々歳!』で初の音響監督を経験して以降、音響制作業での活動が増えている。俳優養成所のC&Oアクターズスタジオで所長を務めるなど、後進の育成に力を注いでいる。また、声優としての名を確立した現在でも、映画や特撮ドラマに顔出し出演することがある。アニメ監督の押井守とは、1980年のテレビアニメ『ニルスのふしぎな旅』以来の付き合いであり、『うる星やつら』は原作ではチョイ役だったメガネというキャラクターを押井監督とともにふくらませ、千葉の名を印象付ける出世作となった。このメガネの延長で「千葉繁のプロモーション映像を作ろう」という企画が発展して制作された1987年の実写映画『紅い眼鏡』では主演を務めた。その他『ケルベロス-地獄の番犬』、『トーキング・ヘッド』等押井守の実写映画にも出演。『獣電戦隊キョウリュウジャー』のドクター・ウルシェード役で年長ヒーローを演じ、更に押井の代表作『機動警察パトレイバー』の実写映画版『THE NEXT GENERATION -パトレイバー-』(総監督を押井が担当)にアニメと同じシバシゲオ役で顔出し出演もしている。役者時代、日活ロマンポルノの撮影に行く途中、「開かずの踏切」にひっかかり、1時間遅刻したために、プロデューサーから怒られ、スケジュールをすべて白紙にされ役者生命を絶たれた。テレビで見た洋画の吹き替えの仕事に興味を持ち、マネージャーに相談したところ、紹介されたのが『ドカベン』のオーディションで、声優デビューのきっかけとなった。『ハイスクール!奇面組』では主人公・一堂零を演じたが、千葉は「どうせ自分の役ではないから」と思っていながらも音響監督の斯波重治に薦められ、軽い気持ちで台詞を収録したら、役をもらった。共演した高橋美紀によると一堂零を演じる際は常に体当たりで演じていたため、収録中に倒れてもいいように壁際で演じていたという。『オレたちひょうきん族』のオープニングナレーションでNGを出してしまい、ひょうきん懺悔室へ送られ懺悔をしたことがある。その時の神様の判定は「×」で、結局水を被る羽目になった。『ビーストウォーズシリーズ』を初めて見た際、「こんなすごい事をTVシリーズでやるなんて」と驚いたという。また視聴者へのメッセージは番組の応援やキャラの口調を交えた他の声優のコメントと違い、「人を見た目で差別をしてはいけない、みんな真剣に生きている」というコメントを残した。1987年にフジテレビで放送された情報番組『深夜秘宝館』では、着ぐるみキャラクターの「Dr.シーゲル・バーチー」役を担当する。外部から声を担当するのではなく、メカを内蔵し遠隔操作(ワイヤー操作、無線操作)で様々な表情が表現できる特殊なマスクを含めて重装備な着ぐるみを千葉自身が着用して登場し、隣に座る司会の相楽晴子とやり取りするという形だった。番組最終回では、着ぐるみを装着したままでバック転を行い、その後マスク部分を脱いで汗だらけの素顔を披露した。なお、俳優時代にも『ミラーマン』においてスタントを行った際に吊橋の上でバック転をした経験がある。『機動警察パトレイバー』では名前をもじった「シバシゲオ」というキャラクターを演じたが、これは千葉を高く評価するアニメ監督の押井守が考案したキャラクターであり、わざと千葉に似せてキャラクターデザインがなされたものである。後に漫画版でも同名のキャラクターが登場することとなった。実写版『THE NEXT GENERATION -パトレイバー-』でも千葉自身がシバシゲオ役で出演している。『獣電戦隊キョウリュウジャー』で演じたドクター・ウルシェードは、千葉が顔出しでのオファーの際に要望した役柄がそのまま採用されており、役作りはせず自身のキャラクターそのままだったと述べている。ただしアドリブは用いていない。『北斗の拳』の収録現場では、ケンシロウに倒される際の断末魔の悲鳴を、同じやられ役の声を担当した番組レギュラー陣と共に現場で開発したアドリブで発し続け、やがて断末魔の悲鳴とはかけ離れた台詞にまでエスカレートしていった。時には、スタッフからNGを受けたほどの逸話があり、「ちぃーぶわぁー!」と自分の名前で断末魔の悲鳴を叫ぼうとしたところ、NGとなったという。次回予告のナレーションでは、話数を重ねるたびにどんどんテンションが上がっていき、物語の展開やサブタイトルのネーミングと相まって視聴者から大好評になったが、体が持たないと判断し歌舞伎調のナレーションでテンションを下げた。しかしその途端、視聴者から「なぜやめるんだ」とのクレームが殺到し、スタッフからも「千葉さん死んでくれ」と言われたため、本人も腹をくくって再び高いテンションで続けていき、『北斗の拳2』の最終回では最高潮に達したという(『トリビアの泉』『アニメギガ』『アメトーーク』でも紹介された)。『北斗の拳』を題材にしたパチンコ、パチスロでも千葉がナレーションに起用されている。アフレコ現場では「アドリブを入れる」ことに執念を燃やしており、スタッフ側から自粛令を出された事もある程。主に『ビーストウォーズ』シリーズにおける共演者達とのアドリブ合戦が有名。また『電光超特急ヒカリアン』では、ブラックエクスプレスの負けた際の台詞が前作と異なっている。対戦ゲームの『ディシディア ファイナルファンタジー』でケフカを演じた際は、字幕に書かれていないセリフ(主に軽い悪態)が多くみられている。RPG『天外魔境』シリーズのマントー役も、文字で表示される台詞と実際の音声による台詞が合っていないという、型破りなキャラクターにしている。『サクラ大戦2 〜君、死にたもうことなかれ〜』のテキ屋・千葉助がアドリブを特に多用した顕著な例であり、画面上に現われる台詞と、実際に千葉が喋っている台詞が全く一致しないという現象が発生している。これらのアドリブについて、本人は「事前に考えているわけではなく、現場でとっさに思い浮かんだことを言っている」と述べている(『めぞん一刻サウンドシアター』にて)。一方で、『ビーストウォーズシリーズ』では、台本にアドリブネタを細かく書き込んでいたという話もある。時に演じるキャラクターが方言になることもある。他の話では、たまに魚類の掛け声のアドリブも入れる。※太字はメインキャラクター。1976年1977年1978年1979年1980年1981年1982年1983年1984年1985年1986年1987年1988年1989年1990年1991年1992年1993年1994年1995年1996年1997年1998年1999年2000年2001年2002年2003年2004年2005年2006年2007年2008年2009年2010年2011年2012年2013年2014年2015年2016年1985年1986年1987年1988年1989年1990年1991年1992年1993年1994年1995年1996年1997年1998年1999年2004年2009年2010年2012年1981年1982年1983年1984年1985年1986年1987年1988年1989年1990年1991年1992年1993年1994年1995年1996年1997年1999年2000年2001年2002年2003年2004年2005年2007年2008年2009年2010年2012年2013年2014年2015年2013年1988年1990年1991年1992年1993年1994年1995年1996年1997年1998年1999年2000年2001年2002年2003年2004年2005年2006年2007年2008年2009年2010年2011年2012年2013年2014年2015年2016年1972年1973年 1978年1980年1983年1989年1991年1992年1993年1994年1995年1997年2000年2009年2011年2012年2013年2014年2015年1987年1989年1992年2003年2004年2007年2008年2009年2010年2011年2013年2014年2015年2016年※ 特記のない限り全て音響監督としての参加1991年1995年1997年1998年1999年2000年2001年2002年2003年2006年2015年1989年1990年1991年1996年1999年2001年2003年2004年2005年1990年1996年1998年

出典:wikipedia

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