LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

たのきんトリオ

たのきんトリオとは、田原俊彦(トシちゃん)、近藤真彦(マッチ)、野村義男(ヨッちゃん)の3人のジャニーズアイドルによるグループ名で、1980年代前半に活躍した。ただし正式なユニット名ではないものの、一時期、アイドル雑誌で、スーパースリーと呼ばれた事も。いずれも『3年B組金八先生』の第1シリーズに生徒役で出演していた。名称の由来は、田原の「田(た)」、野村の「野(の)」、近藤の「近(きん)」のそれぞれの文字より抜粋している。1970年代のジャニーズ事務所は、郷ひろみの移籍に始まり、フォーリーブスの解散、VIPの主要メンバーの脱退及び退所や解散、豊川誕の退所、新人や新ユニットの不発が重なっていた。当時エース格の扱いを受けていた川崎麻世は、ブロマイド売上NO.1にもかかわらず、ヒット曲には恵まれなかった。こうしたジャニーズ事務所の低迷期に、自転車で各テレビ局間を移動して、自社タレントを売り込む毎日だった、ジャニーズ事務所副社長のメリー喜多川が獲得した仕事が、1979年10月~1980年3月に放映されたTBS系ドラマ『3年B組金八先生』であった。この3人は生徒役で出演し注目され、テレビや雑誌などメディアにおけるプッシュ及び、マスコミやファンからの注目や人気の対象が一斉に「たのきんトリオ」に切り替った。1970年代のトップアイドルの新御三家に例えると、田原俊彦が郷ひろみ、近藤真彦が西城秀樹、野村義男が野口五郎の路線をそれぞれ受け継いでいる(ジャニーズ事務所出身は、郷ひろみだけ)。“たのきん”の名はジャニー喜多川が発案し、「プチセブン」誌上で広められた。しかし、ライバル誌の「セブンティーン」は旧来の「悪ガキトリオ」の呼称を通し続けていたという。1980年4月1日にジャニーズ事務所が当時よく利用していた六本木フォンティーヌ地下で、3人の初イベント『金八トリオ・ファンの集い』を開催する予定だったが、会場より六本木の駅までファンで埋め尽くされるほど、予想をはるかに上回るファンが来場したため、イベントは中止となった。続いて1980年5月26日に放映を開始したフジテレビ系ドラマ『ただいま放課後』でますます人気は加熱していき、放映回数も当初の予定より延長された。その後ジャニーズ事務所所属のアイドルグループとして結成され、相次いで歌手デビューする。俳優として映画でも共演し、次々と大ヒット作を連発した。「たのきんトリオ」として正式な音楽ユニットを編成していた訳ではない。3人が揃ってレコーディングに参加した楽曲は、映画「グッドラックLOVE」の挿入歌『ときめきはテレパシー』と田原俊彦の『哀愁でいと』のB面曲『君に贈る言葉(アフター・スクール)』のみである。松田聖子と共に賞レースでも活躍し、新たなる時代への幕開けの象徴であった。たのきんの3人それぞれが、デビューした年の『日本レコード大賞』などの音楽賞で最優秀新人賞を受賞している。以後のジャニーズ事務所は急成長を遂げ、ジャニーズJr.が人気アイドルのバックでの顔見せを経てデビューするという一時期途絶えていたシステムも復活。後続するシブがき隊や少年隊などが次々とデビューした。日本雑誌協会主催の『ゴールデン・アロー賞』では、トリオとして第18回(1980年度)話題賞、第20回(1982年度)20周年記念特別表彰スーパーアイドル賞を受賞している。1983年8月28日の大阪球場コンサートをもって解散した。2015年7月現在は、近藤のみがジャニーズ事務所の所属だが、野村については、田原と異なり、ジャニーズ事務所を円満に退社したことと、近藤と仲が良いことで現在も両者が共演することがある。一方、田原については円満な退社でなかったのが災いし、1990年代後半以降、田原は近藤や野村との共演はなくなっている(2012年11月12日の『SMAP×SMAP』には田原のみ出演していない)。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。