LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

松島基地

松島基地(まつしまきち。JASDF Matsushima Airbase)は、宮城県東松島市矢本に所在する航空自衛隊の基地(軍用飛行場)。基地司令は第4航空団司令が兼務。所属する航空部隊はF-2Bの操縦訓練を実施する第21飛行隊(第4航空団隷下)、自衛隊の展示飛行隊である第11飛行隊(ブルーインパルス、第4航空団隷下)、捜索救難を行う松島救難隊(航空救難団隷下)である。松島基地は、旧ソ連およびロシア軍が有する戦闘機の戦闘行動半径の外側にある地政学的条件を活かして、有事の際は北方からの脅威に襲われる千歳基地や三沢基地を支援する戦略拠点となる。東京都と青森県の中間に位置するため、百里基地などの関東地方の各自衛隊基地や三沢基地が天候不順などで使用できない場合に、航空機が代替着陸を行うことが可能な基地としても重宝されている。1937年(昭和12年)7月7日の日中戦争開戦を機に大日本帝国海軍の海軍航空隊の基地として設置され、松島海軍航空隊が置かれた。豊橋海軍航空隊および松山海軍航空隊と共に陸攻隊を編成して沖縄戦を戦い、約200名が戦死した。戦後、一時進駐軍に接収されたが後に日本に返還された。戦後もパイロットの教育部隊が置かれているが一貫して航空自衛隊が管理しており、海上自衛隊の航空部隊は利用していない。なお、戦時中から占領期頃まで仙石線(宮城電気鉄道)から専用線が基地内に引かれていたが、現在は廃線となっている。2011年(平成23年)3月11日14時46分頃に東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生、東松島市では震度6強を観測。14時50分、宮城県に15時00分に高さ6mの津波が到達するとの気象庁発表。地震発生から約1時間10分後の15時54分頃、基地は高さ2m以上の津波に襲われた。本来なら震度5以上なら直ちに航空機で上空から被害確認にあたるが、天候による視界不良、津波到来の時刻が当初不明だったこと、揺れで捜索機の前輪がずれたこと、激しい余震が予期される中での救難ヘリコプターの離陸は回転翼が機体をたたく危険性があること、滑走路や誘導路に亀裂や断裂が生じている懸念の対策等から津波に襲われるまでに航空機を飛ばすことができず、駐機場および格納庫に駐機していた航空機28機(F-2B戦闘機×18機、T-4練習機×4機、U-125A救難捜索機×2機、UH-60J救難ヘリコプター×4機)全てが水没し、冠水のため基地機能も完全に喪失した(その後、水没した18機のF-2のうち修理可能な機体は13機と判明)。当時基地で勤務していた隊員約900名は建物屋上に避難し全員無事だったが、休暇中の隊員1名が死亡した。翌日の夜明けより隊員の手作業により滑走路の復旧に着手、同日午後には他基地から重機が到着し本格的に作業が行う一方で、津波被害を免れた2台のトラックを救助活動に向かわせた。3月15日に滑走路が復旧され、翌3月16日0550時アメリカ空軍第353特殊作戦群所属のMC-130Pは管制レーダー使用不能の状態で着陸、人員と機材を卸し管制機能を開設、これにより救援物資の輸送に使用された。ブルーインパルスは、震災翌日に予定されていた九州新幹線全線開業の祝賀飛行のため3月10日から福岡県芦屋基地に展開していたため、被害を受けたのは基地に残っていた予備機1機のみであった。2016年(平成28年)3月に駐機場を4mかさ上げする津波対策工事と新しい格納庫の建設が完了。同月には修理を終えた6機を含めた10機のF-2で第21飛行隊が松島基地に帰還した。残り7機のF-2も2017年度までに復帰させる予定である。航空教育集団隷下航空総隊隷下航空支援集団隷下防衛大臣直轄部隊クラブ活動毎年8月に開催。2006年(平成18年)から基地内駐車場を原則として廃止したため公共交通機関での来場を呼びかけていた。一番の見所はブルーインパルスの展示飛行。2011年以降は東日本大震災の影響により開催されていなかったが、2016年8月28日、事前公募9,000名と特別招待1,000名の計1万名に限定した「復興感謝イベント」を開催。ブルーインパルスの展示飛行が本拠地にて約6年ぶりに行われた。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。