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アーガス (空母)

アーガス(HMS Argus, I49)は、イギリス海軍の航空母艦。同型艦はない。設計において前級の「フューリアス」や「ヴィンディクティブ」での使用実績を踏まえて飛行甲板上に構造物を設けない全通型となった、そのため、アーガスは世界で最初の、全通甲板を持つ航空母艦である。アーガスは1914年にイタリアから発注された客船「コンテ・ロッソ(Conte Rosso)」としてグラスゴーで起工された。しかし進水前にイギリス海軍に買い取られ航空母艦として建造されることとなった。1917年(大正6年)12月2日に進水し、第一次世界大戦終結直前の1918年(大正7年)9月16日に「アーガス」として竣工した。1919年(大正8年)1月24日、大日本帝国海軍関係者が本艦を視察する。設計当初では飛行甲板上に凱旋門のような形状の艦橋を設け、中央部から艦載機を発艦させる設計であったが、途中で飛行甲板をフラットに変更し、艦橋は飛行甲板の下に設けるよう改められた。港湾などの狭い水路を航海する時のために小型の操舵艦橋が甲板上にせり上がるという凝った機構となった。設計年時が古いために旧世代な設計も残っていたが、これらは本艦の設計時期を考えれば致し方の無いものであった。これは航空母艦を軽巡洋艦的な任務にも対応させようとの各国共通の設計思想によるもので、同世代のベアルン級にも共通する点が多い。主武装の10.2cm(45口径)単装砲は飛行甲板直下主甲板の艦首から格納庫前端部に左右1基ずつ、前部エレベータ左右に1基ずつ、格納庫後端部左右に1基ずつの計6基である。商船型の船体から上一杯を使用し、上方から見ればアイロン型の飛行甲板を張られた本艦の飛行甲板長は縦143.m×幅25.9m。二基のエレベーター(昇降機)を飛行甲板の前後に一基ずつ設けた。本艦のエレベーターは現代のものと同じく、完全な四角形であった。この後、「フューリアス(第二次近代化改装後)」「イーグル(初代)」「ハーミーズ(初代)」「カレイジャス」級ではエレベータ形状が、前後両方か片方が飛行機の形に合わせた十字架型形状を採用するという、迷走の時代に入る。本艦の、竣工直後の着艦装置は、鋼索縦張り式の着艦制動装置と既倒式縦棒型制動装置を併用装備していた。鋼索縦張り式は着艦制動能力が絶対的に不足しており、機体が横滑りを起して飛行甲板から転落する事を防ぐことができなかった。さらに、既倒式縦棒型制動装置は、飛行甲板上に蝶番で繋がれた棒を立てておき、着陸してくる機体を激突させて停止させる乱暴な装置で、着艦と引き換えにプロペラや翼を損傷する機が続出した。あまりの被害に英国海軍は1926年に制動装置の全てを撤去し、その後の5年間は飛行甲板全面積を使用し、写真で飛行甲板両脇に見える「パリセイド」と呼ばれる折りたたみ式の転落防止柵を立て、着艦する機体に整備員が飛び掛って停止させる危険極まりない方法を選択せざるを得なかった。その間にフランス海軍・アメリカ海軍では安全な鋼線横張り式の着艦制動装置を完成させ、先駆者であったが後塵を拝する事となったイギリス海軍は1931年にようやく横張り方式に改装し、実用的な着艦制動装置を得た。本艦の飛行甲板下には高さ6.1mの一層式の格納庫が設けられていた。搭載機数は前級「フューリアス」の10機から進歩して20機を搭載できた。艦橋は、計画時には飛行甲板両脇に前後に長い艦橋を配置し、その間を艦載機が離・着艦する予定であったが、実用性の観点から艦橋は飛行甲板下に設けられて飛行甲板上部に構造物は存在しなかった。しかし、艦橋からの見通しが悪く、そのため湾内ではエレベーター式操舵艦橋(写真で飛行甲板前部に見える四角い構造物)を設け、操艦を容易にする工夫が加えられた。これは必要な時に飛行甲板上に露出し、航空機を運用する際には引っ込めることができた。1936〜38年の改装で艦首をエンクローズ化して全部飛行甲板を拡張して飛行甲板は全て水平となり長さ167mとなった。しかし飛行甲板から障害物を除去しようというイギリス海軍の意図は本艦から煙突まで撤去させてしまった。排煙にあたり排煙路を船体左右に分け、写真で見えるように艦尾ダクトから左右に排煙する方式をとったため、煙路により格納庫スペースが狭められた上、煙熱で格納庫内の整備員は苦しめられた。後にこの方式は「フューリアス」の第二次近代化改装後にも採用され、同様の苦情が出た。ちなみに、日本の「加賀」も当初はこの方式を採用して同様の問題に悩まされ、結局煙突を導入している。元が低速な商船であったが、初めての全通形状飛行甲板で、飛行甲板スペースを広く取れたために後の航空機の発達に伴い滑走距離の増加も対応できた。長く一線に留まっていられたのも当時のイギリス海軍の艦載機の主流が軽量な複葉機で、低速でも長い滑走路があれば離着艦可能だった事にも一因している。 ソッピース キャメル×4 + Airco DH.9A×2 + フェアリー社製フロートプレーン ×2防御力は開明期の空母らしく、船体の一部に装甲を持っていた。舷側防御は水線部で51mm、甲板部で51mmと、駆逐艦の砲撃に対してのみ有効な防御を持っていた。元が客船であったためにボイラーは旧式の円缶12基とパーソンズ式の高速型直結タービン1基と中速型直結タービン1基と低速型タービン1基で1組とする。タービン配置は高速型と中速型をタンデム配置で外型軸を推進し、低速型タービンは後進用で内側軸を推進した。これで2組4軸推進で最大出力20,000馬力で最大速力20.3ノットを発揮した。飛行甲板を全通型とするためにボイラー室からの煙路が格納庫を挟むように両側に通され、強力なファンにより艦尾に片舷1本ずつ設けられた煙突から強制排煙する。このために高温の煤煙により熱せられた艦内の居住性は最悪であった。なお、ボイラーは解体されるV級駆逐艦とW級駆逐艦に搭載されていたヤーロー式重油専焼水管缶6基を再利用するために換装された。これにより僅かに出力が改善されて最大出力は21,500馬力で最大速力21.8ノットを発揮した。第一次世界大戦の投入には間に合わず、当初は大西洋艦隊に配備された。1922年9月に発生したチャナク危機では戦闘機を搭載してダーダネルス海峡に展開し、水上機母艦アーク・ロイヤルの輸送してきたブリストル ファイター戦闘機を飛行甲板を持たないアーク・ロイヤルの代わりに発艦させた(アーク・ロイヤルからアーガスへの航空機の移譲はクレーンを用いて行われた)。1936年にはクイーンビー無線操縦標的機を運用するための母艦となり、1938年7月30日に近代化改装を終えた後は着艦訓練のための練習艦として使用された。

第二次世界大戦の勃発により1940年4月には撤去されていた主砲や機銃が再度取付けられ、6月の中旬に巡洋戦艦フッドと六隻の駆逐艦と共にUS3船団を護衛した。その後もハリー作戦、ホワイト作戦、パーペテュアル作戦などで、しばしばH部隊と行動を共にしてマルタ島へ航空機を輸送し、空母アーク・ロイヤルが撃沈されると地中海で唯一運用可能な空母としてH部隊の支援のためにジブラルタルに留まった。翌年に行われたハープーン作戦ではイーグルと共に輸送船団の間接護衛部隊(W部隊)に加わり、対潜哨戒を行った。この際にはイタリア空軍機により、直衛のフルマー戦闘機を撃墜されている。ペデスタル作戦では事前に行われた訓練に参加したが、乗艦していた804海軍飛行隊の実力が疑問視されたため、804飛行隊と共に作戦への参加は見送られている。トーチ作戦では英米の上陸部隊に対して、航空支援を行っていた中の11月10日に空爆を受けて小破し4人の戦死者を出した。11月14日には護衛空母アヴェンジャーと共に地中海からイギリスへ戻る船団を護衛するためジブラルタルを出航するが、翌日にアヴェンジャーはに撃沈された。
地中海以外での特筆するエピソードとしては1940年の12月25日にWS5A船団、フューリアスと共に航空機を輸送している途中に大西洋上でドイツ海軍の重巡洋艦アドミラル・ヒッパーと遭遇し攻撃を受けている。この時アーガスは輸送用の他に自己防衛用のソードフィッシュを2機搭載していたが、魚雷はアーガスではなくフューリアスの方に積み込まれていた。後にヒッパー捜索のためにスクア爆撃機が発進したのと入れ替わる形でフューリアスに着艦したソードフィッシュに魚雷が積み込まれ、ようやく反撃の態勢が整った頃にはヒッパーは逃げ去っていた。1941年の9月には空母ヴィクトリアスに護衛されながらイギリス空軍ののパイロットと24機のハリケーンをソ連のムルマンスクへ輸送している。1943年の5月にトーチ作戦で負った損傷の修理を終えると護衛空母への転用が検討されたが取り消され練習空母に戻された。44年の9月27日までパイロットの着艦訓練を務めた後、同年の12月にチャタムに係留され宿泊艦となった。46年に除籍され解体。

出典:wikipedia

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