キズナ(")は、日本の競走馬。馬名の由来は絆から。おもな勝ち鞍は2013年の東京優駿、ニエル賞、京都新聞杯、毎日杯、2014年の大阪杯。デビューは10月7日の京都競馬場の芝1800mの2歳新馬戦。厩舎の主戦である佐藤哲三が騎乗、最後はリジェネレーションとの競り合いを制し1番人気に応えてデビュー戦を制した。2戦目の黄菊賞は後方から差しきって2勝目を飾った。しかし佐藤哲三が負傷のため休養を余儀なくされ、武豊に乗り代わった暮れの阪神のラジオNIKKEI杯2歳ステークスは前目の競馬になったものの直線はエピファネイアに競り負けて3着に終わった。3月3日の弥生賞は1,000mの通過タイムが61秒6というスローペースの展開で後方からの競馬となり、直線追い込むも5着に敗れて皐月賞への優先出走権は獲れなかった。続く毎日杯ではハイペースの中、後方に位置し最後の直線で外から差し切り2着に3馬身差の圧勝で重賞初制覇を飾った。この勝利により、皐月賞に出走するために必要十分な賞金を加算したが、中2週続きとなるローテーションを嫌い、大目標である東京優駿制覇を見据えて陣営は皐月賞を回避、次走を京都新聞杯とすることにした。5月4日の京都新聞杯ではスタートで出遅れ、道中最後方からの競馬になるが、上がり34.5秒という末脚で他馬を圧倒、重賞2勝目を挙げた。満を持して参戦することとなった5月26日の東京優駿の枠番は1枠1番。単勝2.9倍の1番人気に支持された。レースでは鞍上の武豊がスタート直後から位置取りを下げ、道中は後ろから3頭目あたりの後方待機策を取った。最終直線に向き追い出すが、進路が狭くなりややもたつくも徐々に進出、残り200mあたりから更に加速して、先行集団をゴボウ抜きし、ゴール直前に先に先頭に立っていたエピファネイアを捉え1/2馬身差をつけ優勝した。これがGI初制覇となり、鞍上の武豊は東京優駿通算5勝目となった。なお、武豊はキズナの父ディープインパクトにも騎乗して東京優駿を勝利しており、史上初の同一騎手による東京優駿父仔制覇となった。また青鹿毛初のダービー馬となった。9月15日にフランス・ロンシャン競馬場で行われたニエル賞では道中後方からの競馬になり、直線で外に持ち出し先頭に立つと、内から来たの追撃を凌いで勝利した。10月に同競馬場で行われる凱旋門賞へと向かう。3歳馬の凱旋門賞挑戦はヴィクトワールピサ以来2頭目となる。10月6日に行われた凱旋門賞では、道中後方2番手からレースを進め、フォルスストレート(偽りの直線)でオルフェーヴルの外側に密着しながら位置取りを上げていったが、トレヴの4着に終わった。凱旋門賞の後は、ファン投票で2位に支持された有馬記念(12月22日)に出走する方向でいたが、フランスからの帰国後の体調が思わしくなかったこともあってオーナーサイドと佐々木調教師が相談した結果、レース出走を取り止めとすることを決めた。初戦は大阪杯。前年の菊花賞馬エピファネイアや牝馬二冠馬メイショウマンボと対戦する予定であることから有力馬が続々と出走を回避し、8頭立てで行われることとなった。道中最後方から最後の直線で鋭く伸び、粘るトウカイパラダイスをかわして優勝した。しかし天皇賞(春)はゴールドシップとともに最後方から競馬となったが、最後の直線は思ったほど伸びず4着に敗れた。国内のレースで敗れたのは2013年3月の弥生賞以来約1年2ヶ月ぶりとなった。2日後の5月6日、骨折していることが判明した。この影響により予定していた凱旋門賞への挑戦を断念。当初は有馬記念復帰を目標としていたが間に合わず、年明けの京都記念を目標にすることとなった。また、休養中にはオーナーの前田幸治によって15年の有馬記念で引退する予定があることが発表された。前年12月12日に帰厩して調整されたキズナは、予定通り第108回京都記念から始動。このレースには前年の桜花賞馬・ハープスターも出走、実績断然のこの2頭による2強対決と注目された。人気もこの2頭が僅差で最後まで競り合い最終的に2番人気で出走。9ヶ月ぶりの実戦、プラス22キロの馬体重と前残りのゆるい流れも災いし、直線でメンバー随一の末脚で猛追するも、逃げたラブリーデイとスズカデヴィアスにハナ+クビ差届かず3着に敗れた。続く産経大阪杯ではキズナ自身含めGI馬6頭が出走する中単勝オッズ1.4倍の断然人気に推されるも、最後の直線での追い比べで同じ父と母父を持つラキシスに敗れ2着だった。続く天皇賞春では前年に続き1番人気に支持された。後方から競馬を進めると、コーナーで徐々に進出して直線で追い出された。しかし、末脚は鳴りを潜めて7着に終わった。距離が長かったことやスタミナが問われるキズナに向かない展開になったことが敗因とされる。その後、5月13日に2015年の凱旋門賞の登録馬が発表されたが、キズナの名前はリストになかった。佐々木調教師は「心身ともに疲れが出た」と遠征の断念を表明。ただ、この段階では2016年度もワンアンドオンリーを伴っての凱旋門賞への出走を念頭において現役続行させることを前田幸治は宣言していた。このため、この秋は国内に専念することになるも、9月20日、右前繋部浅屈腱炎を発症していたことが判明し、佐々木晶三がオーナーの前田晋二と相談した結果、ローテーションを全部白紙に戻してこのまま現役を引退することになり、前述の天皇賞(春)が引退レースとなった。武豊は、「復帰戦を楽しみにしていただけに、(引退は)非常に残念」とするコメントを残した。9月24日付けで競走馬登録を抹消された。9月24日、種牡馬としての準備のため、鳥取県の大山ヒルズに移動した。10月5日、JRAから北海道安平町の社台スタリオンステーションで種牡馬として繋養されることが発表された。
出典:wikipedia
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