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礒貝洋光

礒貝 洋光(いそがい ひろみつ、1969年4月19日 - )は、熊本県下益城郡小川町(現宇城市)出身の日本の元サッカー選手。現プロゴルファー。姓は磯貝と表記される場合もある。小学校時代に全日本少年サッカー大会に出場すると「天才」サッカー少年として脚光を浴びた。中学時代はU-17日本代表のエースストライカー。 1985年に高校サッカーの名門帝京高校に入学すると1年生から10番を背負った。1986年にはU-20日本代表としてFIFAワールドユースアジア予選に出場した。1988年に東海大学に入学すると澤登正朗と共に1年時からレギュラーとして全日本大学サッカー選手権大会を始め多くのタイトルを獲得した。また1991年に日本代表に選出され、4月のスパルタク・モスクワ戦と5月のバスコ・ダ・ガマ戦でプレーしている(在学中はAマッチ出場は無し)。Jリーグ開幕前年の1992年に東海大学を中退して、ガンバ大阪に入団。自身への挑戦のため、あえて馴染みのない関西のクラブに入団したとの事である。その後は永島昭浩や本並健治らと共に、Jリーグ初期のガンバ大阪を盛り上げた。常に主力として活躍し、キャプテンを担った事もあった。1995年の日本代表としてインターコンチネンタル選手権で念願のAマッチデビューを果たすがこれが最後の代表出場となった。1997年に浦和レッドダイヤモンズに移籍したが翌1998年に29歳で現役を引退した。Jリーグ通算成績は135試合出場29得点。現在のところ日本プロゴルフ協会の会員一覧に掲載されていないが、プロゴルファーとして日本のトップを目指すと公言している。2007年1月に行われた学生時代からのライバル・澤登の引退試合に招待され参加した。典型的な天才肌タイプの選手であり、クラシックなゲームメーカー。運動量が少なくプレーのムラも多かったが、非凡なるパスセンスを持ち、両足共に高い精度を誇っていた。しかしプロ入り後天皇杯で大怪我をしてプレイのクオリティを下げる結果になってしまった。ガンバ大阪時代には攻撃的MFとしてプレーしていたが、高校や大学時代にはFWとして、また浦和レッドダイヤモンズ時代には展開力を買われてボランチでプレーした経験も持つ。フリーキックは精度が高く、1試合に右足・左足で一点ずつ決めた事があるという話がファンの間でよくされているが、いつの試合か又は公式戦かなど具体的な時期や試合は示されていない。また、田中陽子が2012 U-20女子ワールドカップスイス戦で、左右の足で一点ずつ決めた際には、元ガンバ大阪の永島昭浩はフジテレビスーパーニュースで、Jリーグでもこれを決めた選手はいない旨を述べている。そのため、事実ならプロ以前の事かと思われる。ユース経歴プロ経歴135||29||24||2||18||6||177||37135||29||24||2||18||6||177||37|-!通算

出典:wikipedia

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