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三島村

三島村(みしまむら)は、薩摩半島南端から南南西約40kmの位置にあり、竹島、硫黄島(鬼界ヶ島)、黒島の有人島と、新硫黄島、デン島の無人島から成り立つ。1908年(明治41年)に島嶼町村制が施行されたのに伴い十島村(じっとうそん)として設置されたが、第二次世界大戦の敗戦により、1946年(昭和21年)2月2日に「SCAPIN第677号」が発令されたのに伴い、口之島を含む北緯30度以南の区域は日本国政府の行政権及び司法権が停止され、アメリカ合衆国の施政下となった。1952年(昭和27年)2月4日に北緯30度以南(口之島含む)が日本に本土復帰し、同年2月10日、政令の規定により、7島の区域をもって十島村(としまむら)が設置され、同日、十島村(じっとうそん)の区域は鹿児島県告示により、北緯30度(口之島除く)以北に変更され、同時に三島村に改称した。戦前まではトカラ列島の7島(現在の鹿児島郡十島村(としまむら))を含めた大島郡十島村(じっとうそん)であったが、北緯30度線(屋久島と口之島の間)以南は米軍の占領政策により日本の行政権及び司法権が停止された。村役場のあった中之島と切り離された為、残った3島で仮の十島村役場を鹿児島市に設立した。1952年(昭和27年)2月4日に下7島が日本に返還され、同年2月10日、「」により、それまでの日本の施政下にあった大島郡十島村は、それまでの下7島を含む境界から口之島を除く北緯30度以北に境界が変更され、同日施行の「」によって村名を十島村から三島村に改称した。また、同日に「」の規定に基づき、本土復帰した7島の区域をもって十島村(2代)が設立された。1973年(昭和48年)、大島郡から鹿児島郡に郡変更がなされ、現在に至る。村役場が鹿児島市に置かれている理由としては、歴史的な理由だけでなく、行政機能の能率を上げる為による。いずれかの島に役場を置くより、県都であり生活圏である鹿児島市に置いていた方が、国や県との折衝がやりやすく、また住民にしても、各種申請が行いやすいという理由がある。また、交通手段を村営船のみに頼っている為、欠航等により鹿児島市に足止めされた場合でも、村役場の助けをもらえるという利点もある。ただし、役場職員のほとんどが村内に住所を持たないため、村長選や村議会選の選挙権が無く、また税が村に入らないなどの問題がある。財政力指数は全市町村中で全国最下位である。本土並みの行政サービスを受けられずに「選挙を通じて意思表示しなければ、切り捨てられてしまう」という過疎の離島の切実さから、公職選挙では寝たきりの高齢者を除くほぼ全員が投票することで高投票率であることが知られている。南西諸島の最北端に属する。なお、三島村には常備消防はなく火災等災害時は消防団が対応する。救急に関しては診療所に配置されている患者輸送車(軽ワゴン車)で対応し、重症患者はヘリコプター(昼間は鹿児島県ドクターヘリ、夜間は海上自衛隊鹿屋救難飛行隊)により搬送される。鹿児島県ドクターヘリは日本で唯一民間医療ヘリと補完飛行の提携を行っており、重複要請時には米盛病院医療ヘリレッドウィングが飛行することもある。いずれもゆうちょ銀行ATMは設置されていない。なお、集配を行うのは鹿児島中央郵便局である。市外局番は村内全域が「09913」。同一市外局番の地域との通話は市内通話料金で利用可能(硫黄島MA)。収容局は硫黄島局および硫黄島黒島局。郵便番号は村内全域が「890-09xx」(鹿児島中央郵便局)である。

出典:wikipedia

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