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スティーヴ・モーズ

スティーヴ・モーズ(Steve Morse, 1954年7月28日 - ) は、アメリカ合衆国出身のロック・ギタリスト。オハイオ州ハミルトン生まれ。家族とともにテネシー州に引っ越す。高校時代に最初のバンド、ディキシー・グリットを結成。その後フロリダ州・マイアミ音楽大学にてクラシックとジャズ・ギターを学ぶ。学友にはパット・メセニー、ブルース・ホーンズビー、ジャコ・パストリアスがいた。クラスメートと共に1974年、ジャズ・ロック・バンド、ディキシー・ドレッグスを結成。1975年、自主制作アルバム『グレート・スペクタキュラー』を発表し、カプリコーン・レコードから1978年にアルバム『フリー・フォール』を発売する。バンド名は一時的に「ドレッグス」に改名していた。同バンドは1982年の「インダストリー・スタンダード」を最後に活動を休止。1984年にスティーヴ・モーズ・バンドを結成し、トリオ・バンドのライヴ活動を開始する。同年、エレクトラ・レコードと契約して、アルバム『The Introduction』を発表するものも、エレクトラは商業的なアルバムをリクエストし、1985年の2作目『Stand Up』はヴォーカリストやピーター・フランプトン、エリック・ジョンソン、アルバート・リーを迎えてレコーディングしている。1985年にはスティーヴ・ウォルシュのカンサスの再結成に参加しアルバムを制作した。なお、1987年頃、ツアーとレコーディングを繰り返す音楽産業の生活に飽きたモーズは音楽業界から一旦離れ、定期航空便のプロ・パイロットとして生活していた。再び音楽業界に復帰して、MCAレコードから1989年に初のソロ・アルバム『ハイ・テンション・ワイヤーズ』をリリースし、次いでデイヴ・ラルー、ヴァン・ロメインと共にスティーヴ・モーズ・バンドを再結成、1991年には新生スティーヴ・モーズ・バンドのアルバム『サザン・スティール』を発表した。1992年には、ディキシー・ドレッグスを再結成してライヴ活動を行い、同年、スティーヴ・モーズ・バンドのアルバム『コースト・トゥ・コースト』とディキシー・ドレッグスのライヴ・アルバム『ブリング・エム・バック・アライヴ』が発表された。1994年、リッチー・ブラックモアが脱退後、ディープ・パープルからの勧誘を受けて加入。ワールド・ツアーの後、1996年の『紫の証』から現在まで全てのアルバムをメンバーと共作している。また、スティーヴ・モーズ・バンド、ディキシー・ドレッグスでの活動も並行している。2003年にはディープ・パープルの人脈関係にあるボブ・ディズリーのグループ、リヴィング・ラウドに参加、2006年にはイアン・ギランのアルバム『ギランズ・イン』でグー・グー・ドールズのジョン・レズニックと共演している。ソロ・プレイにおいては、強力なオルタネイトピッキングとクロマティックスケールを駆使した、繊細でいてアタック感の強いフレーズが特徴。アーティフィシャルハーモニクス(人工ハーモニクス)も多用する。また、反復するフレーズを連続させながらフレーズを構築していく「シーケンサー・フレーズ」を多用し、彼のトレードマーク的なものとなっている。レコーディングではギターの多重録音を多用している。クリーントーンに歪んだトーンを重ねたり、さらにギターシンセサイザーの音色を加える等、分厚い音色を創出している。ギターのスイッチの頻繁な切り替えによっても幅広い音色を得ている所も彼の特徴である。ピッキングスタイルは極端な逆アングルに構え、親指と人差し指でつまんで持つ。カントリーを演奏する際は、中指と薬指も使う。ピックアップセレクトは主に低音域でリア、高音域でフロントに切り替えるようにしている。「低音はあまり太くしたくないし、高音は耳障りにならないようにしている」との事。この他にも、かつてはバスカリーノ製エレクトリック・アコースティックギター"Starlight"を使用していた。現在製作者のジョン・バスカリーノはこのモデルの生産を止め、アーチトップ・ジャズギターを主に製作しているが、元々"Starlight"自体はスティーヴからのオーダーによって作られたギターである。ディキシー・ドレッグスとも関わりを持つ人物もいる。

出典:wikipedia

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