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スイープトウショウ

スイープトウショウは日本の競走馬である。2005年のJRA賞最優秀4歳以上牝馬。馬名は父名の一部「スイープ」と冠名の「トウショウ」(馬主のトウショウ産業から)との組み合わせである。また、祖母のサマンサトウショウ、母のタバサトウショウとの連想にもなっている("sweep"の本来の意味は「(箒で)掃く」、サマンサとタバサは『奥さまは魔女』の主人公とその娘)。2003年10月18日のデビュー戦であった2歳新馬戦を単勝1.8倍の圧倒的な1番人気に応えて1着、続く牝馬限定GIIIのファンタジーステークスも勝利した。しかし、2歳牝馬のチャンピオンを決める阪神ジュベナイルフィリーズでは1番人気に支持されながら、直線で行き場がなくなるという不利も重なり差し切れずヤマニンシュクルの5着に敗れた。2004年、牝馬限定オープン特別の紅梅ステークスを勝った後、調教師の渡辺栄の定年引退、鶴留明雄厩舎への所属変更に伴い主戦騎手も角田晃一から池添謙一に替わり、桜花賞トライアルのチューリップ賞を差し切り勝ちした。しかし桜花賞は5着、優駿牝馬は2着となり、春のGIは勝利できなかった。秋になりローズステークス3着を経て秋華賞に出走し、これを勝利、GI初制覇となった。しかし次走のエリザベス女王杯は一番人気に支持されながらアドマイヤグルーヴの5着に敗れ、3歳シーズンを終えた。古馬となった2005年はオープン特別の都大路ステークスから始動した。実績上位とあって1番人気に支持され、56kgというハンデを背負いながら出走メンバー最速タイの上がりタイム、33秒1を叩き出すも5着に敗れた。この競走でマイル適性に疑問符がついてしまったのか、続いて出走した安田記念では10番人気の低評価だった。しかしアサクサデンエンの2着に善戦した。同月に開かれた宝塚記念では、前走がフロック視され11番人気と更に評価を落としていた。しかし前年のJRA賞年度代表馬・ゼンノロブロイやハーツクライなどを相手に勝利、1966年のエイトクラウン以来39年ぶり史上2頭目となる牝馬による宝塚記念制覇となった。また、馬主のトウショウ産業も1977年のトウショウボーイ以来の宝塚記念制覇であった。毎日王冠をステップに臨んだ天皇賞(秋)はヘヴンリーロマンスの5着に敗れたが、牝馬限定のエリザベス女王杯では逃げるオースミハルカを上がり3ハロン33秒2の末脚で並ぶ間もなく交わし、GI3勝目を挙げた。また、GI2勝2着1回の活躍が評価され、この年のJRA賞で最優秀4歳以上牝馬に選出された。2006年4月、調教中に骨折を起こし春シーズンを休養に当てた。復帰戦は11ヶ月ぶりとなった京都大賞典で、逃げ馬不在で超スローペースとなったが、最後の直線では内の開いたところを抜け出し、メンバー最速タイとなる上がり3ハロン32秒8の末脚で勝利した。しかし牝馬ながら1番人気で迎えた続いての天皇賞(秋)では、前を行くダイワメジャーなどを捕らえられず2年連続の5着となった。そして連覇を狙って挑戦したエリザベス女王杯では、最後はいつものように後ろから追い込んで来たものの前を行くカワカミプリンセスとフサイチパンドラを捉えることができず3位に入線(カワカミプリンセスの降着により繰り上がりで2着となった)した。続いての有馬記念では、ゲート入りを嫌い、スタートで出遅れ10着と大敗した。6歳となった2007年も現役を続行し、前年出走できなかったヴィクトリアマイルの前哨戦として久々のマイル戦となるマイラーズカップに出走した。ゲートもすんなり入り、直線では上がり3ハロン32秒7の末脚で追い込むも大逃げをうちレコードタイムで勝利したコンゴウリキシオーの2着に敗れたが、改めてマイル適性を示した。その後ヴィクトリアマイルへ出走、カワカミプリンセスに次ぐ単勝4.0倍の2番人気に支持されたが、末脚を生かすことが出来ず9着に敗れた。次走は宝塚記念を予定していたが厩舎で暴れ右脚を怪我し、出走を回避した。その後は厩舎に滞在して治療に専念し秋は連覇を目指す京都大賞典から始動をする予定であったが、調教を嫌がり本格的な調教が出来ずこのような状態では競馬に出せないとして出走を回避した。このままの状況が続けば引退の可能性もあると調教師の鶴留が言及していたが、続いてのスワンステークスでは大きなトラブルもなく無事に出走することができた。馬体重が前走と比べて18キロも増えていたことや久々の1400m戦であることなども影響したか4着どまりであったが、ここまでの出走経緯を考えればまずまずの結果となった。その後は4年連続出走となる第32回エリザベス女王杯に出走、前走に続いて後方待機ではなく先行策をとり直線に向くと内から伸びてきたものの、3着に敗れた。エリザベス女王杯後には現役を引退することが発表され11月23日に競走馬登録を抹消された。2008年からは繁殖牝馬となり、初年度はアグネスタキオンが種付けされた。その後、2009年はダイワメジャー、2010年はディープスカイ、2011年はディープインパクトが種付けされている。2015年10月にトウショウ牧場が閉鎖されることに伴い、ノーザンファームに売却されることになった。2〜3歳時は出遅れ癖のおかげでなかなか勝ちきれない面を見せていた。古馬になってからは出遅れ癖は緩和されたものの調教やレース前の馬場入りを極端に嫌がる面は直らず、調教を開始しようにも数十分立ち止まって全く動こうとしないことも珍しくなかった。2005年の天皇賞(秋)では本場馬入場時に鞍上の池添謙一を乗せると全く動こうとしなくなったために池添を下ろし、返し馬を中止して係員がスタート地点まで引っ張っていくという珍事もあった。2007年秋頃には頑固さに更に磨きがかかり、調教を拒否し続けたために京都大賞典に出走できなかった。池添自身も勝利騎手インタビューにて「スイープトウショウは能力は素晴らしいんですが、ちょっと性格に問題が…」と苦笑いで語っている。発走前には他の馬に騎乗する騎手に「ご迷惑をおかけします」と前もって言っていたこともある。また、引退レース後に周囲から「スイープトウショウの産駒に乗りたいか?」と質問されると「いや、どうかな」と苦笑いで答えている。

出典:wikipedia

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