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第4回参議院議員通常選挙

第4回参議院議員通常選挙(だい4かいさんぎいんぎいんつうじょうせんきょ)は、1956年(昭和31年)7月8日に行われた日本の国会議員(参議院議員)の選挙である。保守合同による自由民主党の発足と、社会党再統一後、初となる国政選挙として注目された。また、第3次鳩山内閣は改憲を公約としており、1955年の第27回総選挙に引き続き、改憲派が改憲に必要な2/3の議席を占めるのか、護憲派が1/3の議席を確保するかも争点となった。自由民主党日本社会党緑風会日本共産党※初当選者のうち、衆議院議員経験者には「※」、貴族院議員経験者には「△」の表示がある。自民党は過半数の議席を得られなかった。社会党など護憲派勢力が1/3を確保し、社会党は全国区では候補の乱立した自民党を上回る22議席を獲得した。一方、選挙区では1人区で自民党が強さを見せた。これで、衆参いずれでも当面改憲はできない情勢になり、また社会党の健闘は、二大政党制実現に近づいたと評価された。共産党は党第一書記として知名度の高い野坂参三が東京選挙区で当選するなどで2議席を確保し、須藤五郎の任期満了による参議院での同党所属議員の消滅を回避したが、逆に同党に政策の近い労働者農民党は東京選挙区に現職で出馬した堀真琴など全員が落選し、参議院での議席を全て失った。同党の衰退は決定的となり、1957年1月に解党して、3月に元同党所属の衆議院議員は社会党に合流した。この他、創価学会が初めて組織内候補を無所属として擁立し、3人(大阪選挙区=白木義一郎、全国区=北条雋八・辻武彦)を当選させた。これが、公明政治連盟を経て後の公明党の源流となる。なお、全国区における小西英雄の当選は後に次点の上條愛一が提起した訴訟によって無効とされ、上條が更正決定によって当選者となった。参議院議員の当選が裁判によって覆ったのは小西と櫻内義雄の2例のみである。

出典:wikipedia

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