エムデン(Emden)は第一次世界大戦後にドイツ海軍が建造した軽巡洋艦で同型艦はない。本艦は、第一次世界大戦後のドイツで最初に建造された軽巡洋艦であり、エムデンの名を持つ3隻目の艦である。本艦は自国の沿岸警備のために建造された軽巡洋艦である。基本的な設計は前大戦時のケルン級に採り、戦訓に基づいた改正が行われた。船体の建造には従来のリベット留めではなく、電気溶接を多用して軽量化している。本型の船体形状は平甲板型船体となっており、艦首形状は前型のケルンと同じクリッパー型艦首を備えるが排水量は5,000トン台となり大型化された。艦の構造を前部から記述すると、全くシア(反り返り)の無い艦首甲板上に主砲の「15.2cm(45口径)速射砲」を防盾の付いた単装砲架で1基が配置され、その後方から上部構造物が始まり、波避けの後に2番主砲が1基配置された。司令塔を下部に組み込んだ操舵艦橋の背後には、見張り所を持つ単脚式の前部マストが立つ。船体中央部に2本煙突が立つ。その周囲には艦載艇置き場となっており、艦載艇は2本1組のボート・ダビットが片舷2組で計4組により運用された。元甲板上の下の主甲板上に50cm連装魚雷発射管が片舷1基ずつ計2基が配置された。2番煙突の後方の甲板上に8.8cm高角砲が2基配置された。左右の舷側甲板上に15.2cm速射砲が防盾の付いた単装砲架で片舷2基ずつが配置された。後部甲板上に簡素な後部マストと後部見張所が設けられ、後向きに15.2cm速射砲が背負い式に2基が配置された。後述する本艦と重巡洋艦「加古」との交換見学会が開かれた際、「エムデン」の図面の一部が日本側に提供された。「エムデン」は旧式巡洋艦「ニオベ」の代艦としてヴィルヘルムスハーフェン工廠で1921年12月8日に起工され、1925年1月7日 に進水し、10月25日に就役した。1930年代に高角砲や機銃が増設された。また、第二次世界大戦中には15cm砲の48口径C36単装砲への換装、8.8cm高角砲の10.5cm高角砲への換装などの改装が行われた。第二次世界大戦前は主に練習艦として使用され、1926年から1939年の間、大西洋、太平洋、地中海を幾度も航海した。1931年6月下旬、「エムデン」は二度目の訪日をはたし、日本海軍関係者はドイツの造船技術に注目した。そこで「エムデン」と同時期に完成した古鷹型重巡洋艦「加古」との交換見学会が開かれた。7月2日、海軍関係者10名は横浜港で「エムデン」に乗艦。球磨型軽巡洋艦と同規模であるが余裕のある構造であり、防御に重点を置いているのではと推測している。また「エムデン」は古鷹型の同時期竣工にもかかわらず、当時の日本では使われていなかった電気溶接を多用している事にも触れている。日本側に『羨望の極み』と云わしめた点もあった。1939年9月4日、イギリス軍によるヴィルヘルムスハーフェン空襲の際、対空砲火で撃墜されたブリストル ブレニム爆撃機が衝突して損傷、9名が戦死し20名が負傷した。修理後、1939年の大部分の期間は北海で機雷の敷設をおこなった。1940年のノルウェー侵攻作戦、ヴェーゼル演習作戦にはオスロ攻撃部隊として参加した。その後はバルト海で主に練習艦として使われた。1945年1月からは東プロシアからドイツ北部やデンマークへのドイツ軍兵士や市民の避難を手伝った。1945年4月10日キール軍港で被爆し、14日座礁、26日に除籍。5月3日自沈した。
出典:wikipedia
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