渡鹿野島(わたかのじま)は、三重県志摩市(旧志摩郡磯部町域)にある島。伊勢志摩国立公園内にある。島の大半は志摩市磯部町渡鹿野(いそべちょうわたかの)である。郵便番号は517-0205。人口は271人(2011年9月30日現在、志摩市調べ)。周囲約7km、面積は約0.7平方キロメートルを持ちリアス式海岸の湾のひとつ的矢湾の奥に位置し、的矢湾深部の外海から隔てられた島の西側海域は波が穏やかな海面となっている。そのため古くより荒天時の避難場所・風待港として使われていた。島内の住所は大半が志摩市磯部町渡鹿野であるが、一部に磯部町的矢の飛び地(小字間神・居森)がある。古くは伊雑宮の神領であったとも言われ、江戸時代には、江戸と大坂を連絡する菱垣廻船・樽廻船が増えたこともあり避難・風待をする港としての重要性が高まった。船乗りなどのための宿のほか、風待ちの船乗りを相手とした、把針兼(はしりがね)と言われた水上遊女なども集まり、遊郭街としても大いに栄え女護ヶ島といった別名を持つこととなった。史跡としては江戸時代に灯台に使われた石柱などがある。1931年に俳優の上山草人が映画「唐人お吉」の撮影で訪れ、島民と意気投合。草人の別荘を建てる話がまとまり、島から寄贈された大日山頂の別荘の門には、谷崎潤一郎が書いた「草人漁荘」という竹の表札が掲げられた。草人はこの島を東洋のモナコにすると意気込み、「文壇、画壇、劇団のあらゆる友人を誘って、猟奇的なこの島でなければ味わわぬ変わった情趣をもつエロ探検と波静かな絵画美に富んだ島の風景を満喫させようと計画している」と語ったが、門と亭のみで別荘は建たなかった。第二次世界大戦中は島内に予科練の基地の設置が計画された事などから、激しい空襲にもみまわれた。1954年にはこの島を舞台に、伴淳三郎主演の「この恋!五千万円」という映画もつくられた。観光が主な産業であるため2000年(平成12年)の国勢調査に見られるように、島の人口の92%が島内及び島外の宿泊・飲食業(第三次産業)に従事している。海水浴やスペイン村の宿泊地として家族連れや団体に利用されるほか、買春を目的として男性集団が島を訪れることも多かった。ただし近年売春従事者は著しく減少、高齢化している。志摩市の資料によると、平成7~17年の人口減少率は30%以上となっている一方で65歳以上が35~40%となり、過疎の島となりつつある。廃業したホテルの廃墟もそのままにされている。毎年7月下旬の土日(旧来は7月23日〜24日に行われていたが、近年は土日に祭りを開催できるよう日程を調整している)には全島民上げての大きな祭り、天王祭が行われている。天王祭は全国各地で行われており、はじまりは牛頭天王に疫病退散を願う祭りであったとされている。明治期に牛頭天王が素戔嗚尊(スサノオノミコト)へと同化されて神社の祭祀となったもので、渡鹿野島の天王祭では島の八重垣神社から御輿にご神体を移す際、島内の灯りをすべて消し、暗がりの中を御輿が島内を走り回り家々の悪魔払いを行う。その後、海岸近くに仮設した鎮座櫓に御輿を納めようとする側と、疾走する御輿側との間でぶつかり合う御輿練りの神事が行われ、これが渡鹿野島天王祭の一番の見所となっている。2014年3月現在、渡鹿野島へ向かう定期船は民間船が1箇所、無料の県道船が2箇所から出ている。国府地区渡鹿野島対岸(旧阿児町国府地区)の三重交通「渡鹿野渡船場」バス停留所前()より運行される。2014年3月現在、朝6:50-23:20まで随時運行されており(客がいる場合に運行されるため時刻表などはない)、運賃は片道あたり日中(始発〜19時まで)が180円、夜間は22時まで300円、22時以降が500円となっている。乗船時間は3分程度。的矢湾西部を周回する無料の定期船が三重県により運営されており、三重県道750号阿児磯部鳥羽線の一部となっているため「県道船」と呼ばれる。小中学校への通学の補助などが目的であるため定期便は日中の8:25-16:30に1日6便であるが、待機時間に船着場で待っている客が目視(「乗船待ち合図」により判断)できる場合には随時運行される。なお、6便以外の便については、時間帯や曜日、時期などにより「乗船待ち合図」を出していても必ず運行されるという保証はない。また、気象状況により定期便も含め欠航する場合がある。渡鹿野島の多くの家庭では漁船などの船を所有しており、家族や親戚などの送迎を行なう場合がある。
出典:wikipedia
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