定禅寺ストリートジャズフェスティバル in 仙台(じょうぜんじストリートジャズフェスティバル イン せんだい)とは、宮城県仙台市の定禅寺通りを中心に、仙台市都心部各所の街角屋外をステージに催される無料の市民音楽祭である。例年、9月第2土・日曜日に開催され、前夜祭も含めた3日間、市内は音楽一色となる。定禅寺ストリートジャズフェスティバルは、「市民ボランティアが中心となって運営」「無料」「街が舞台装置」をキーワードとした都市音楽イベントである。仙台市都心部の至るところの「街角がステージ」となっているため、演奏者と聴衆の高さも同じで距離が近く、また、買物ついでに立ち寄れる気軽さも手伝って、市民から多くの支持を受け、仙台の初秋の風物詩として毎年規模が拡大している。聴衆は、オープンカフェやオープンバー、あるいはワールドキッチンなどで供される飲食物を片手に、自分の好きな音楽を自由に楽しむことが出来、聴き方の面でも開放されている。例年、前夜祭と本祭2日間で開催され、定禅寺通りのほか、勾当台公園、一番町、西公園、青葉通り、仙台駅西口ペデストリアンデッキ、ビルの屋外エントランスなどや、タイアップステージに約100か所のステージが設置され、700組以上のバンドで4000人以上が演奏する(いずれも延べ数)。参加バンド数・出演者数では日本最大の音楽祭となっており、参加する団体も、北は北海道、南は沖縄県と日本全国に及び、海外からの出演者もいる。ジャズ、ロック、ゴスペルなど、ポピュラー音楽を中心にジャンルを問わず演奏されるが、ステージやエリアごとに演奏者の音楽の傾向を集め、聴衆は好きな音楽を選んで楽しむことが出来るようになっている。また、プロ・アマを問わず全ての演奏家に出演機会が開放されている。2008年(平成20年)は2日間で約75万人の聴衆を集めた。これだけの観客数があるため、近年、定禅寺通りでは片側車線に交通規制をしいて期間中歩行者天国としている。また、各ステージを巡回する無料のループシャトルを運行したり、インフォメーション・ブースを市内に十数か所設置したりしている。土日の市内各地の街角ライブの他に、以下のような付随イベントも行われている。1981年(昭和56年)から始まった仙台市営地下鉄南北線の工事に伴い、勾当台公園周辺の再開発が進み、バブル景気を追い風に仙台市は大きく変化した。1980年代の仙台郊外では、スポーツランドSUGOにてロックンロールオリンピック、泉パークタウンなどでライブ・アンダー・ザ・スカイやJTスーパーサウンドなど、野外でのロックフェスティバルやジャズフェスティバルなどが開催され、青葉山公園ではTBC夏まつりの野外コンサートなどが開催されていた。この時期に当フェスティバルが始まり、拡大していった。上述のように、勾当台公園周辺で新たなイベントが始まり、再開発が行われて大きく変化している最中の1987年(昭和62年)、定禅寺通の新たな顔となった141において、エル・パーク仙台を会場にジャズを中心とするライブが始まった。ジャズという音楽ジャンルが選ばれた理由については、JAZZ PROMENADE in SENDAI#歴史を参照。このライブは恒例となり、「定禅寺通り(定禅寺ストリート)」の「ジャズフェス」から「"定禅寺ストリート" ・ジャズフェスティバル」(JJF) と名付けられ、1990年(平成2年)の第4回まで続いた。音楽家の榊原光裕の「本来音楽は野外でやるもの」という考えに基づき、「SENDAI光のページェント」期間中に定禅寺通りの一角でシンセサイザーのミニコンサートを行ったところ、多数の観客が集まった。この経験から有志が集まって、街頭でJJFを開催することを企画し、1991年(平成3年)に現在のような「街角」「屋外」「無料」のスタイルで初開催された。また、フェスティバルの名称も、「屋外で行う」ということから「ストリートジャズ」を1つの言葉と捉え直し、「定禅寺(通り)」の「ストリートジャズ」「フェスティバル」から「定禅寺"ストリートジャズ" ・フェスティバル」(JSF) に改称された。一方、1989年(平成元年)4月1日の仙台市の政令指定都市移行に合わせ、'89グリーンフェアせんだい(全国都市緑化フェア)が地下鉄や宮城県庁舎などの工事が終わって再整備された勾当台公園を会場の1つとして開催された。勾当台公園は再整備により大きく変化し、イベント会場として利用できる「市民広場」などが設置された。ここに屋台を並べ、大規模なステージを築くことにより、JSFは定禅寺通りから外に向かって仙台市都心部各地にステージを増やしながら広がっていった。当初から仙台市市民文化事業団より助成を受けていたが、バブル崩壊後の失われた10年の影響で、1995年(平成7年)をピークに協賛・協力企業が減少したため、出演者が運営協力費を負担したり、ボランティアの手を借りたり、サポーターズクラブを結成して年会費を得たりして、JSFの開催を維持するようになった。2000年(平成12年)の開催実績から仙台市を代表するイベントであると市が認め、2001年(平成13年)から仙台市経済局が所管して直接市から助成を受けるようになり、協賛・協力企業の数も増加するが、規模の拡大に対応するため2003年(平成15年)に運営協力費は値上げされた。年4000万円強の運営費総額の2/3は、この運営協力費と、当日会場を訪れた市民のカンパや協賛金によってまかなわれている。。市はお金を出すが運営には口を出さず、現在もボランティア主体で運営がなされているが、運営費が足りないため、JSF期間中は様々な募金活動も同時に行われている。仙台市の都市イベントとして、これだけの観客を集める有力コンテンツに育った今でも、市民ボランティアと募金・協賛金によって運営がなされており、商業化はあまりされていない。その方向性は、先行して始まったSENDAI光のページェントと同様である。他都市や仙台市都心部以外での同様の趣旨の無料街角コンサートに対し、「JSF○○」、または、「定禅寺ストリートジャズ・フェスティバル in ○○」という名称でロゴ使用許可を出していることがある。共催・支援イベントでは、無料街角コンサートを開催するノウハウの伝授と、JSFに過去参加したバンドの斡旋などが中心。このJSF実行委員会の共催活動により、仙台都市圏では、数々のポピュラー音楽系無料街角コンサートが開催されるようになってきている。なお、クラシック音楽系の無料街角コンサートは、仙台市が主催している。2006年(平成18年)は、地元コミュニティ放送のラジオ3、および、東北放送の県域放送AMラジオとテレビの計3チャンネルで生中継がなされた。また、実力の高い出演者を集めた「Saturday Night Jam!」を県域放送FM局のDate fmが後日編集放送し、フェスティバルの模様をNHKが東北6県ブロックネットで1回、NHKワールドTVで世界に2回ほど放送した。その他、地元タウン情報誌などで特集が組まれている。東北放送(TBCテレビ)の生放送の1時間番組のゲストNHK仙台放送局(テレビ)が制作した番組のゲスト。NHK総合テレビで東北6県ブロックネットのほか、ろーかる直送便やBSで全国ネットされた。
出典:wikipedia
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