青井 忠治(あおい ちゅうじ、1904年(明治37年)3月30日 - 1975年(昭和50年)8月18日)は、日本の実業家。丸井の創業者。丸井グループ名誉会長青井忠雄は長男。NHKアナウンサー青井実は孫。生家は富山県小杉の旧家の分家で、一人息子として生まれる。1歳の時に父の事業破綻により母と引き離され、2歳ではしかのため左眼を失明。10歳で他家に嫁した母を、11歳で結核を病んで床に臥していた父を失う。1922年(大正11年)富山県立工芸学校(現在の高岡工芸高校)を卒業して上京、月賦販売商・丸二商会に入社。瞬く間に頭角を現し、1924年(大正13年)大塚店長、1925年(大正14年)本店の集金部長、1928年(昭和3年)中野店長、1930年(昭和5年)1月浅草店長、7月九段店長を歴任。1931年(昭和6年)中野店を譲り受けて独立。1935年(昭和10年)阿佐ヶ谷に支店を開き、同時に“丸二”の“丸”に“青井”の“井”を合わせて商号を「丸井」に改めた。1937年(昭和12年)株式会社に改組。月賦百貨店の草分けとして、中野本店を中心に店舗を展開し始めた矢先、1941年(昭和16年)戦時下の商業活動規制により全5店舗の一時閉鎖を余儀なくされた。1945年(昭和20年)疎開先の長野県伊奈で終戦を迎えると、すぐに上京して中野に仮店舗を設け、家具の現金販売で営業を再開。1950年(昭和25年)月賦商売を再開し、1960年(昭和35年)には“月賦”を“クレジット”と言い換えて、日本で最初のクレジットカードを発行。1965年(昭和40年)東証第一部に昇格。1972年(昭和47年)会長。“景気は自らつくるもの”という商売哲学を持ち、同社を月賦百貨店業界のトップ企業に育て上げた。1959年(昭和34年)全国月賦百貨店組合連合会会長。1973年(昭和48年)には私財を投じて青井奨学会を設立した。
出典:wikipedia
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