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都営バス北営業所

都営バス北自動車営業所(とえいバスきたじどうしゃえいぎょうしょ)は、東京都北区神谷に位置する都営バスの営業所。王子駅をターミナルに東京都北区、豊島区、足立区南西部およびその周辺の路線と東43系統は文京区、千代田区を担当している。営業所記号は滝野川自動車営業所より引き継いだNを用いる。管轄下に練馬支所を置く。最寄り駅は志茂駅、最寄り停留所は北車庫前または北車庫入口である。東京都交通局の職員住宅である北寮、警視庁赤羽警察署が隣接している。本営業所は王子電気軌道と縁が深く、主力路線の王40甲は同社の乗合自動車路線から発展したものである。池袋駅と東武スカイツリーライン西新井駅を王子駅経由で結ぶ北営業所の最主力路線。池袋と西新井をちょうど鉄道空白地帯を縫うように結ぶ路線のため、1日を通して乗客数・本数が多い。1946年(昭和21年)に10系統として運行開始した路線である。都営になる前は、王子と池袋の間に王子電気軌道の路線、王子と西新井の間には京北乗合自動車の路線が存在していた。1935年(昭和10年)までに王電が京北乗合を買収し、子会社東京京北自動車としたことで交通局への統合の際に両社の路線を一本化、現在まで続く路線の下地ができる。当初は大塚営業所の担当で、その後は滝野川営業所本所を経て1980年4月の移転により北営業所の担当となった。東京都乗合自動車の運行系統の名称・区間においては王40甲と表記されるが、旅客案内上は王40として表記される。基本的に全区間通しだが、豊島五丁目団地折り返し、荒川土手操車所始発、出入便として北車庫発着もある。北車庫から池袋方面への出庫便のみは王子二丁目を経由せず、溝田橋を経由する(溝田橋停留所は存在しないが方向幕、LED行き先表示器に表示されている)。これは、王子駅前の王40池袋方面停留所に接続するための軌道修正による迂回である。王40丙系統は王子駅から宮城地区を循環運行する。旅客案内上は王子駅から江南中学校経由で王子駅に戻り、江南中学校前後での乗り通しが可能。1988年(昭和63年)から1992年までの一時期、練馬営業所(現・練馬支所)が担当していた時期もあった。王41系統は1950年(昭和25年)12月25日付で開通した路線である。短距離だが需要が高く、終日高頻度で運行される(王55新設以降は徐々に減便傾向)。平日のみ新田一丁目行き終車後にその手前を終点とする新田二丁目止まりが運行される。一方の王45系統は1959年(昭和34年)2月1日に開通した。新田地区から東に進路を変え、ハートアイランドを経て北千住駅まで向かう。かつては旧足立区役所(現在の千住一丁目)の運行で、区役所付近は循環運転を行っていた。区役所の移転に伴い終着点を変更し、現在の運行区間に落ち着く。豊島七丁目→新田橋(新田一丁目・北千住行)と新田橋→王子五丁目(王子駅前行)は狭隘な一方通行路を経由し、王子四丁目~新田橋の経路は両方向で異なる。王41・王45系統と王55系統の豊島八丁目の王子駅前方面バス停は200m以上離れた場所にある。なお、新田一丁目方面は同じバス停である。2路線とも当初は滝野川営業所の管轄で、第2次再建計画に伴う追加の路線再編成で国際興業バスとの共同運行系統を失った志村営業所に1978年(昭和53年)11月1日付で移管されていたが、廃止により北営業所に復帰して現在に至る。元となった系統は17系統で、当初は大塚営業所(後の大塚支所)が担当し、その後は滝野川→北営業所と移り変わっていった。荒川土手から荒川・隅田川に挟まれた小台・西尾久・田端駅経由で文京区・千代田区の都心部を結ぶ。荒川土手 - 田端駅の需要が特に高く、過半数が折返し場を備えた駒込病院までの運行で毎時5回程度、以遠東京駅までは2回程度である。他にも田端駅発着、北車庫からの出庫便として向丘二丁目始発の東京駅丸の内北口行き、さらに平日・土曜朝は通勤対策と出庫運用を兼ねた豊島五丁目団地 → 駒込病院行き便が少数設定され、2016年4月1日の改正ではそれまで駒込病院行き便のみだったものが平日朝のみ駒込病院 → 豊島五丁目団地行き便も設定された。荒川土手始発は一つ手前の荒川土手操車所を始発とし、逆方向は荒川土手を終着とする。これは、この路線開業にあたり、地元住民との話し合いによる契約に基づく。2008年(平成20年)3月30日の日暮里・舎人ライナー開業に合わせ、一部便が江北駅発着となった。2010年には江北橋下経由が廃止となっている。しかし江北駅発着は2016年4月1日の改正で大幅に減らされたうえに全便が駒込病院までとなり、 東京駅直通便は設定がなくなった。2012年(平成24年)4月1日からは巣鴨営業所が参入し共管となっていたが、2014年3月31日に再度北営業所の単独に戻っている。従来まで運行していた王46系統(王子駅 - 加賀団地)のうち王子 ‐ 江北六丁目団地を廃止して江北六丁目団地 - 加賀団地を里48系統の一部として編入、2012年4月1日から新たに担当、巣鴨・南千住とともに3営業所の共管となった。新田地区再開発ハートアイランドSHINDENの事業進捗に伴う王41系統の輸送力補完を目的に、2004年(平成16年)4月1日付で新設された。当初は経路のほぼ全線が王41・王45系統と重複した経路で運行されたが、再開発地区に位置する新豊橋の開通に伴い、2007年に王40乙系統と経路統合・経路延長を行って現在の運行区間となった。ハートアイランドも後の進捗に伴い、王55折返を2008年2月4日に新設した。当初は平日朝のみ運行だったが、僅か2ヶ月後には平日・土曜日にも増発された。2008年8月30日より、一部便が池袋駅東口まで延長された。ハートアイランドの高層住宅街だけでなく新田一丁目近くに高層マンションがあり、環七新田・新田二丁目には団地や住宅街が多く点在している。また、新豊橋バス停前にも高層マンションがあり特に新田一丁目 - 王子駅間において住宅街を多く抱える路線である。新田一丁目・環七新田・新田二丁目には新田橋経由の王41系統が停車するが池袋駅には行かず王子駅で終点となってしまう事、王55系統の増加による減便、王55系統と間隔が離れているなど難点が多い。また、豊島八丁目はバス停の位置が離れている。これによりハートアイランドを通る前の環七新田・新田二丁目でほとんどの席が埋まり、ハートアイランド北で立ち客が出始める。この状態でハートアイランド南・新豊橋と高層住宅街を抱えるバス停に停車するため積み残しが発生する事もある。ハートアイランド南は周囲が全て高層マンションの為、一番混雑する時間帯で30人近くの乗客が王55系統を待っている事がある。利用の多い王55系統だが9時台・10時台でも10分間隔(池袋駅東口行きは20分間隔)と少ないため、本数の多い区間のように後続便を待つとなるとかなり待たされてしまう(「新豊橋」乗車の場合だと後続便も同様に環七新田・新田二丁目+ハートアイランド内各停留所の乗客で混雑した状態で到着となる)。深夜11系統はハートアイランドの開発が進歩したことにより、「ミッドナイト25」第11弾として設定した。王子駅発のみ運行で、王子駅における京浜東北線の終電時刻にあわせるため、深夜1時台まで運行する。特に同一行先の経由違いである王41との誤乗防止のため、「ハートアイランドSHINDEN」のロゴをLED表示する(方向幕の場合は青地に白抜き文字)。1972年(昭和47年)11月12日の都電第7次撤去で廃止された27系統王子駅前 - 赤羽間の代替として運行開始。折から入居が始まっていた日本住宅公団(現・都市再生機構)豊島五丁目団地への住民輸送と、王40系統の混雑緩和を目的に、王子駅と豊島五丁目の間を延長する形でスタートした。当初は志村営業所が担当したが、廃止に伴い北営業所の担当となった。1991年(平成3年)11月29日に営団地下鉄(現・東京メトロ)南北線が開業し、北本通りを経由する赤羽二丁目(赤羽岩淵駅) - 王子駅が重複する形となったが、赤羽駅繁華街へ直通している(南北線がJR赤羽駅より離れた地域に駅を設けているのは、都電27系統時代と同じ)ことや沿線公共施設(赤羽・王子両警察署)へのアクセス需要が高いことから、減便されたものの毎時4回程度の運行を保っている。ほぼ全線が交通量の多い幹線道路であるため、ダイヤが乱れる事も多い。現在は、王40甲系統と重複する王子駅 - 豊島五丁目団地の運行が過半数(日中はほぼ半々)で、同区間に限っては運行回数が毎時8回程度まで倍増する。これは池袋および足立区方面への直通需要が非常に高く、輸送力が飽和状態にある同系統の補完的役割・遠近分離を狙っているためである。深夜02系統は池袋駅・王子駅と豊島五丁目団地を結ぶ深夜バスで、平日のみ運行されている。池袋駅東口発を設定して王40甲系統の深夜バスとしての役割も担う様になった。終発はJR京浜東北線の最終電車に接続する形で、王子駅発午前1時以降まで運行されているが、都営バス全体を見ても異例に遅い発車時刻である。王子駅停留所は、本線にあたる王40甲・王57系統と異なり、バスターミナル内の乗り場を使用している。王40乙系統は1988年(昭和63年)10月31日に運行を開始した(同日、宮城循環が王40丙となる)。乗降客が多い豊島五丁目団地を避ける経路をとり、事業所や学校、住宅の多い豊島地区の通勤・通学対策として平日・土曜の朝夕のみ運行されていた。一方の王55系統は2004年に新設、王子駅から王子五丁目を経て足立区新田のハートアイランドSHINDENを循環する経路だった。2007年(平成19年)4月1日に両系統を統合、王子駅 - ハートアイランド東 - 新田一丁目間の王55系統および王子駅 - ハートアイランド東循環の王55折返系統とし、ともにトンボ鉛筆を経由するように改められた。日暮里・舎人ライナーの開業と同時に東京駅、駒込病院からの江北駅発着が設定されたが、江北駅 - 東京駅便は2016年(平成28年)3月31日限りで設定がなくなり、すべて駒込病院止まりとなった。上記停留所のみ停車するラビットバスで、平日朝夕のみの運行。王40甲系統の急行便という位置付けだった。2000年(平成12年)12月12日の大江戸線全線開通時に設定。2003年3月14日に運行終了。トロリーバス104系統の代替として、撤去翌日の1968年(昭和43年)4月1日付で新設。戸山無軌条電車営業所(現・早稲田営業所)を引き継いだ渋谷営業所戸山支所、戸山無軌条電車営業所昭和町派出所を引き継いだ滝野川営業所昭和町分車庫、そして滝野川と昭和町を統合した北営業所が担当してきたが、1982年(昭和57年)3月の志村営業所廃止と同時に巣鴨営業所へ移管。その後、2006年度から2009年度まで巣鴨と南千住の共管になった時期がある。2003年(平成15年)3月17日付で運行開始。その後幾度の経路変更を経て2008年3月30日付で巣鴨営業所に移管。その後、2012年(平成24年)3月31日限りで廃止、代替で里48系統の一部を加賀団地循環(里48-2系統)とした。トロリーバス103系統の代替として、草64系統と同じく昭和町分車庫の所管で1968年4月1日に新設。しかし、路線の大半が604系統と重複する上に大関横丁と亀戸の間は千住営業所の12系統(現・里22系統。後に南千住へ移管)もあったため非効率と判断され、都電第6次撤去と同時の1971年(昭和46年)3月16日限りで廃止された。1951年(昭和26年)3月1日に田端駅 - 熊野前間で開通。その後は路線の延長を繰り返し、1972年(昭和47年)7月2日付で千住営業所へ移管、同年11月12日に系統番号を端44系統に変更し現在に至る。1961年(昭和36年)4月20日に開通。滝野川営業所から現在の北営業所までを通じて唯一の民間との相互乗り入れ路線だった。池袋駅から現在の王40甲系統のルートで西新井大師まで、そこから千住営業所の106系統と同じく日光街道(国道4号および足立越谷線)を北上、草加が終点だった106系統よりも先の越谷駅まで行っていた。1970年(昭和45年)3月15日限りで廃止。島根三丁目から先の日光街道上は千住営業所の北47系統のほか、東武バスセントラル足立営業事務所の竹14系統、ミッドナイトアロー春日部などが運行されている。滝野川営業所、昭和町分車庫ではいすゞが指定されていたが、日産ディーゼル指定だった志村営業所の廃止に伴いUD車が転入、1983年(昭和58年)以降は新造車もUDに切り替えられる。残っていたいすゞ車も1987年3月までに今井支所のUD車と交換の形で転出、あるいは巣鴨や新宿などいすゞ指定の他営業所へ配転されるなどし、北営業所はUD車に統一されることになる。1996年度以降はCNG充填設備の設置に伴いUDのCNG車(NE-UA4E0HAN)の配置が開始され、1998年度から2006年度にかけていすゞを除く3車種のCNGノンステップ車が配置された。これらの車はCNG充填設備の使用停止により臨海支所や深川営業所へと転出した。この中には全国的に珍しい日野・ブルーリボンCNGノンステップバス(N-F463号車)が含まれており、同車も深川へと転出している。リフト付超低床車は1994年度末に東43系統や王57系統などで運行を開始、UD製のX597・598・A590号車が用意された。このうちX代2台は早稲田営業所からの転入車だった。その後も2001年3月にはUD製F代CNGノンステップ車3台が新宿支所に転出し、代わりにいすゞリフト車のX591・592号車とUD製ノンステップ車のC201号車が転入、とくにX591・592号車は北営業所で14年ぶりのいすゞ車配置となった。しかし、交通局の車両調達が入札制に移行することになり、2005年度に日野・ブルーリボンII(N330号車)が納車される。その後もR代で日野・ブルーリボンIIが、T代で北営業所28年ぶりのいすゞ新造車となるいすゞ・エルガがそれぞれ新車で導入された。いすゞ・エルガはA代でも納車され、さらに品川、港南、渋谷、杉並、江戸川、深川などの車庫からもM・N代のエルガ/ブルーリボンIIが寄せ集められ、これらのジェイ・バス車はUD車とともに北営業所の一大勢力となりつつある。このほか三菱ふそう・エアロスターや日野・ブルーリボンシティハイブリッドも在籍する。かつては中型ロング車の日産ディーゼル・JPも4台(H300 - 303号車)が在籍していたが、2008年4月に全車が青戸支所へと転出した。そして2010年(平成22年)、日産ディーゼル改めUDトラックスがバス製造事業撤退を発表。これにより、UD指定が事実上解除され現在は指定メーカーがない状態となっている。特異的な車両として、H163号車(三菱ふそう車)は北営業所唯一の幕車、L108号車はシークレットみんくるステッカー貼り付け車両、L748号車は江東営業所配置のL100号車とともに車椅子スペース固定方式変更車両である。

出典:wikipedia

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