中川運河(なかがわうんが)は、愛知県名古屋市港区の名古屋港から、中川区の旧国鉄笹島貨物駅(1986年11月1日廃止)の間を結ぶために掘られた運河。昭和初期から30年代頃まで、名古屋地域における中心的な水上輸送路として活用された。従来この付近には中川(笈瀬川)と呼ばれる川が流れており、悪水の排出がなされていた。名古屋城築城の際には石垣に使う石の輸送をそれを使って行った事があったとされる。大正時代になると名古屋港が国際貿易港となるためには鉄道で運ばれた貨物を港まで運ぶ運河が必要と考えられるようになり、既存の水上輸送路である堀川による輸送にも輸送キャパシティの問題が生じていたことから、名古屋市都市計画事業の一環として中川運河の建設を決定した。1926年(大正15年)に起工され、1930年(昭和5年)に竣工。並行して流れる堀川との連絡を図るため、東支線に松重閘門を設けた(1932年供用開始、1968年閉鎖、1976年廃止)。また、荒子川を運河化してそれと接続する計画も立てられた(1955年事業着手、1979年計画廃止)。しかし中川運河には水源といえるようなものが存在しておらず、1926年にし尿を下水管に流して堀川などへ放流するようになっていたため、堀川と接続する中川運河も同様に水質が悪化。これを改善すべく1937年(昭和12年)3月に名古屋港(中川口)から取水した海水を松重ポンプ所から導水する浄化実験が行われて急速に水質が改善した記録が残り、現在も1日あたり7万立方メートルの導水が行われている。1950年(昭和25年)の第5回国民体育大会では漕艇競技が行われるなどしたものの、高度経済成長に伴う沿線の人口増加などもあって昭和40年代には再び水質が悪化、ヘドロが大量に蓄積したドブ川となってしまった。その後は下水道の整備や排水規制・ヘドロの除去を行った結果、少しではあるが水質は改善されている。1982年(昭和57年)の映画『泥の河』は中川運河でロケが行われた。名古屋市では、以前から中川運河の改善、活性化などに取り組んでいるが、数千から数十万匹の死魚の発生が毎年確認されている。2006年(平成18年)の名古屋市環境局の調査では、夏期に上層水温が上昇することで比重や塩分濃度の違いが大きくなり、上・下層の攪拌が少なくなるのに加えて、プランクトンの死骸を分解する細菌の活動が活発化して下部の溶存酸素量が減少することなどが原因と考えられている。堀止のある名古屋市中川区運河町から河口の名古屋港までの8.4km間に14本の橋が架かる。また堀川への運河には3つの橋と、JR東海の東海道新幹線・東海道本線・中央線と名古屋鉄道の名古屋本線の高架橋が架かっている。"堀止から河口方向に記載"長良橋~いろは橋間の町名は一部を除き、運河の西側が“●船町”・東側が“●川町”に統一されている。(例:八熊橋の西側=富船町・東側=富川町)また、富船町の対岸が富川町、富船町の南にある清船町の対岸が清川町という様に、運河を挟んで向かい合う両岸の町同士に共通の字が付いている。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。