池袋(いけぶくろ)は、東京都豊島区に属する池袋駅を中心とする副都心。東京都豊島区に属する区画の一つ。また豊島区における住所上の地名のひとつにもなっている(住所上の地名としての池袋を参照)。池袋は、新宿、渋谷と並ぶ山の手3大副都心の一つ。池袋駅を中心に巨大な百貨店や専門店、飲食店などが局在する。池袋駅の一日平均乗降者数は約271万人(2007年度)。池袋駅西口および東口駅前に繁華街が広がり、北口および東口サンシャイン通り裏手、同明治通北側一帯には大規模な歓楽街がある。1日に約100万人の集客人員がある。西口方面には東武百貨店、ルミネ池袋(旧称メトロポリタンプラザ)、東京芸術劇場、池袋西口公園等、東口方面には西武百貨店、池袋パルコ、サンシャインシティ、豊島区役所等がある。池袋駅が8路線からなる巨大な鉄道ターミナルであるほか、池袋には周縁部を含め明治通り、グリーン大通り、春日通り、要町通り、劇場通り、川越街道などの道路が集まる。池袋駅から少し離れると立教大学(西池袋)、帝京平成大学(東池袋)、重要文化財に指定されているフランク・ロイド・ライト設計の自由学園明日館、多くの著名人が眠る雑司ヶ谷霊園などの緑や文化財も多く、池袋演芸場などの寄席や小劇場もある。現在の池袋駅西口のホテルメトロポリタン一帯(西池袋1丁目)に存在していた袋型の池が袋池(丸池)と呼ばれており、それが地名の直接の由来となったとされている。 つまり「袋」は、谷(谷戸)などが袋状にえぐれた地形や(都内では沼袋、横浜市中区の池袋など)、河川が袋のように曲流するところ(横浜市の鶴見川沿いなどの、いくつかの「袋」がつく小字など)に多い。なお、丸池は縮小されたものの、今のホテルメトロポリタン北側に空池(からいけ)の状態で残っていたが、現在は完全に埋め立てられ、地名由来とされる池を偲んで、元の場所より少し北側の隣接地に元池袋史跡公園が開設された。古くは武蔵国豊嶋郡池袋村といい、戦国時代の古文書である『小田原衆所領役帳』(永禄2年・1559年)には「太田新六郎 知行 三貫五百文 池袋」とあることから、中世にはすでに近隣の地名(長崎・雑司ヶ谷・巣鴨・高田など)とともに確立していたと考えられる。明治に入り、1889年の町村制施行で、巣鴨村の大字となる。ここが栄えるきっかけとなったのは、鉄道の開業である。上野駅〜前橋駅間に鉄道を開業させていた私鉄の日本鉄道が、1885年に官営鉄道(新橋駅〜横浜駅)との接続を目的に、現在赤羽線・山手線(埼京線)となっている赤羽駅〜品川駅間の路線を開業させた。だが、この時には池袋の地に駅は設けられなかった。その後、1903年に田端駅への支線を建設することになった。この時、当初は目白駅での分岐が想定されていたが、地形の問題で池袋を分岐点にすることになり、池袋駅の開設に至ったのである。大正から昭和にかけ、東上鉄道(今の東武東上本線)や武蔵野鉄道(今の西武池袋線)なども池袋へ乗り入れるが、これらはどちらも当初繁華街とはいえなかった池袋は起点とせず、当時の繁華街であった神田・巣鴨(市電が1912年には乗り入れていた)への乗り入れを前提としていた。その過程において池袋は仮のターミナル駅として開設されたが、その後の事情でどちらも都心への延伸を断念し、結果として池袋起点となったものであった。この頃は、巣鴨のほかに、白木屋があり王子電気軌道(今の都電荒川線、1911年に開業)と山手線が交差していた大塚駅辺りが繁華街であって、池袋は豊島師範(東京学芸大学の母体のひとつ)や立教大学など、学校が置かれたことから文教地区となっていった。1933年に白木屋と京浜急行電鉄が共同で設立した京浜百貨店が1930年代に菊屋デパートの名で池袋駅に開店。そして東京市電(1943年に東京都電となる)が1939年に池袋駅前に乗り入れ、この頃から交通の結節点として、賑わいを見せるようになる。菊屋は1940年に武蔵野鉄道(現西武鉄道)に買収され、武蔵野食糧を開設。武蔵野デパートを経て1949年に西武百貨店と改称した。また東武百貨店が1962年に本店を開店して1964年に東横百貨店池袋店を買収し、1958年に開店した東京丸物池袋店は1968年に西武百貨店に買収されパルコになった。新宿、渋谷と並ぶ副都心であり、近年は乙女ロードにより女性利用者が急増しファッションスポットも増加、高野之夫区長が文化事業や街の美化に取り組んだ結果、2013年の住みたい街ランキング3位になる程の人気スポットに変わりつつある。現在池袋と名の付く地区の大半は、一時期西巣鴨町に属していた。東池袋二丁目には西巣鴨橋という橋が現存する。またサンシャインシティは巣鴨拘置所の跡地に立てられたものである。池袋は日本有数の繁華街の一つである。駅の東西に繁華街が広がっている。近年は南口エリアにも繁華街が広がり、ビームスやアディダスジャパン、スターバックスなど路上店舗も増加傾向にある。駅東口には西武百貨店、パルコ、サンシャインシティ、ビックカメラ、ヤマダ電機、豊島区役所などがあり、東口一帯に繁華街が広がる。駅からグリーン大通りを進むと左手にサンシャイン60ビルやトヨタアムラックスが見えてくる。サンシャインシティ方面へ延びるサンシャイン60通りは、飲食店、映画館、ゲームセンター等も多く、休日は歩行者天国になっている。このサンシャイン60通り沿いや、ヤマダ電機LABI1日本総本店池袋の西側には歓楽街が広がり、キャバクラや風俗店などがある。パルコ、P'パルコ、サンシャインシティアルパ&アルタなどがある。池袋はまたジュンク堂書店(本屋としては日本一の大きさを誇る)、リブロなどの都内屈指の書店激戦区でもあり、10店舗以上のCD店が競合する音楽激戦区、ラーメン、回転寿司などのグルメ激戦区でもある。書店については、神田神保町や早稲田のように密集はしていないものの古書店も非常に多く、大型新刊書店の多さとあいまって東西池袋は神田新保町に次ぐ「本の街」の様相を呈していたが、その主力を担っていた東口の光芳書店チェーンが大幅に店舗整理したこともあり、かつての盛況には及ばない。駅西口には東武百貨店、メトロポリタンプラザ、丸井、東京芸術劇場、立教大学などがあり文化・芸術の香る街である。また居酒屋など飲食店が密集するロマンス通りや西一番街中央通りなどにライブハウスや映画館などがあるロサ会館や池袋演芸場などもある。メトロポリタンプラザの西南には、日本で最初にケーキブッフェを始めたことで有名なホテルクラウンプラザ・メトロポリタン東京がある。南西エリアは、木々の茂る西池袋公園や立教学院本部、中学校や小学校があり、西池袋2丁目~4丁目、目白3~5丁目にかけて閑静な住宅町が広がる。南北に伸びる池袋駅が池袋の街を東西に分断しているため、東口・西口の区分に比べると北口・南口エリアの使用頻度は低い。西アフリカ出身のナイジェリア人グループらが大掛かりで、泥酔客から暴利を貪るケースも新宿歌舞伎町や六本木周辺同様に見ることができるとされている。池袋は、新宿、下北沢、銀座に次いで劇場の数が多い演劇の街であり、演劇・ミュージカルの専門学校、舞台芸術学院もあり、多くの俳優を輩出している。また、池袋は郊外のシネマコンプレックスに押され気味なものの豊島区屈指の映画館の集積地である。東口線路沿いの文芸坐は新文芸坐として、遊技場を加えた娯楽集積施設として新装営業している。大手三大予備校(河合塾、駿台予備学校、代々木ゼミナール※2015年閉校)他、四谷学院、城南予備校、早稲田塾、早稲田アカデミー、武蔵高等予備校、お茶の水ゼミナール、看護医療専門の東京アカデミー、医学系を含む総合予備校早慶外語ゼミ、芸大・美大予備校のすいどーばた美術学院、また資格や社会人入試に特化した東京リーガルマインド(LEC)、TAC、大原学園(資格の大原)等、ありとあらゆる予備校や資格系学校などがひしめきあっており、さらに小中進学受験校を併せるとその数は日本一を誇ると見られている。サポート校なども存在する。池袋は、豊島区における住所上の一地名でもある。池袋一丁目から池袋四丁目まで存在する。ちょうどJR線、川越街道、山手通り、要町通りに囲まれた地域であり、同区西池袋、上池袋、池袋本町、板橋区中丸町、南町、同区高松、要町と接している。また、池袋駅(東京メトロ副都心線)、要町駅(東京メトロ有楽町線、副都心線)とも接していて、豊島清掃工場や東池袋へ繋がる池袋大橋の出入口でもあり、首都高速5号池袋線の北池袋出入口でもある。このように池袋の中心的な繁華街ではないが交通の要衝としては欠かせない地域である。しかし、西口五差路交差点の要町通りと劇場通りの交差する辺りは池袋西口の繁華街としても食い込んでいる。一般的に「池袋」と言われているのは、池袋駅を基点とした東口、西口に延びる繁華街の総称であり、地名としての「豊島区池袋」はそれより北西よりの地域をさす。住居表示実施により成立。谷端川以西の旧長崎村域は1871年に浦和県(現埼玉県)から東京府に編入されている。
出典:wikipedia
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