阿蘇(あそ)は日本海軍の未成航空母艦。雲龍型航空母艦の5番艦。終戦直前、特攻兵器の標的艦となった。艦名は九州の阿蘇山による。艦名は装甲巡洋艦の「阿蘇」に次いで2代目。候補艦名は身延。1942年(昭和17年)度策定の改マル5計画により第5006号艦として計画された。主機の生産が間に合わず、「葛城」と同様に駆逐艦用の主機を2組搭載した。そのため出力は104,000馬力、速力は32ノット(雲龍は152,000馬力、34ノット)に低下する計画だった。1943年(昭和18年)6月8日、本艦は呉海軍工廠で起工。翌1944年(昭和19年)9月5日に「阿蘇」と命名、雲龍型の5番艦とし、本籍は呉鎮守府と仮定された。同年11月1日に進水、同日附で呉鎮守府籍。だが11月9日に進捗率60%、上部構造未着手の状態で工事は中止された。1945年(昭和20年)5月20日、大本営は海軍省軍務局長・海軍航空本部・海軍艦政本部両総務部長に対し、現用特攻機の威力不足を指摘した上で「画期的威力増大のため至急研究実現に努力されたし」と要望、その概要を示した。これにより、新型爆弾の実験を実際の大型艦で行うことになった。当初、軍令部は伊勢型戦艦2隻(伊勢、日向)のどちらかを標的艦とする予定だったが、諸事情により未完成中型空母「阿蘇」を使用することになる。当時の「阿蘇」は1万トン程度の排水量しかなかったという。その後、二度にわたりV頭部魚雷、頭部V爆弾(炸裂威力増大のため、内部に特別の加工を施した爆弾。桜花搭載用)、通常爆弾、陸軍考案の「桜弾」の各種爆発実験が「阿蘇」を対象にして実施された。呉海軍工廠の妹尾知之工廠長の指揮下で行われた実験のうち、有名なのものが倉橋島大迫特殊潜航艇基地沖において成形火薬を利用した日本陸軍の特攻機用爆弾桜弾(さくら弾)の実験である。実験は「阿蘇」艦尾部に櫓を設置して桜弾を設置(飛行甲板の高さ)、爆発させるという手順で実施された。モンロー効果により爆風は上甲板・中甲板・下甲板・艦底を貫通したが、浸水区画は限定的(浸水量150トン)であった。「阿蘇」は5度傾斜したのみで沈没には至らず、その後次第に浸水し着底。このときの様子を記録した白黒写真が存在し、着底した姿を見ることができる。着底は7月24日の米艦載機の爆弾によるともいう。艦船研究家の福井静夫は本実験について「知識を欠いた用兵者の思いつきと暴走」と評している。なお陸軍は「桜弾」を搭載した四式重爆撃機「飛龍」桜弾機(キ167)を開発して飛行第62戦隊に配備、特攻兵器として沖縄戦末期に実戦投入したが、戦果はなかった。戦史叢書では『中央当局の努力にもかかわらず終戦までに具体的に搭乗員の崇高なる特攻精神にふさわしい威力を具備した特攻機は出現しなかった』と総括している。戦後、「阿蘇」は1946年(昭和21年)12月20日浮揚、翌21日から播磨造船呉船渠(旧呉海軍工廠)で解体が開始され1947年(昭和22年)4月26日に解体を完了した。
出典:wikipedia
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