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霧島町

霧島町(きりしまちょう)は、鹿児島県の中央部にあった町で、姶良郡に属する。2005年11月7日、国分市および姶良郡内5町と合併して霧島市となり、消滅した。霧島市のうち「霧島市霧島○○」の地域にあたる。鹿児島県(離島部除く)の中央部にあり、東西9.1km、南北16.5kmの長さを持つ。霧島火山群に含まれるため標高は240mから1,500mに及ぶ高地である。奈良時代まで南九州一帯は日向国であったが、奈良時代の713年(和銅6年)に肝坏(きもつき)・姶羅・大隅・贈於の四郡を割いて大隅国が成立した。霧島町は大隅国の贈於郡(そのくい)に含まれており、他には国分市郡田・重久と隼人町松永、牧園町持松などの地域も含まれていた。そもそも贈於郡という呼称は襲から来ている。その後、江戸時代もそのまま大隅国・贈於郡であったが、1871年(明治4年)の廃藩置県令により曽於郡郷は襲山郷(そのやまごう)となり、都城県に所属した。2年後の1873年(明治6年)、都城県と美々津県が一緒になって一旦は宮崎県となり、襲山郷は鹿児島県に所属した。しかし1876年(明治9年)に宮崎県は鹿児島県に併合され鹿児島県宮崎支庁が置かれた。その後、宮崎進出の鹿児島県議会議長であった川越進の尽力により、1883年(明治16年)に宮崎県が再び置かれた。1889年(明治22年)に町村制が施行され襲山郷(外城)は東襲山村と西襲山村とに分かれた。1934年(昭和9年)、霧島山がわが国初めての国立公園として指定されたのを機会に、村名改称の事が論議され、1935年(昭和10年)に東襲山村を霧島村と改称した。1950年(昭和25年)に松永は隼人町に編入。重久の大部分が東襲山村となり田口・大窪・川北・永水が霧島村となる。1958年(昭和33年)に町制施行がなされ霧島町となった。2005年(平成17年)11月に霧島町・国分市・隼人町・牧園町・横川町・溝辺町・福山町の1市6町が合併して霧島市が誕生し、現在に至っている。最寄り空港は鹿児島空港。中心駅は霧島神宮駅。

出典:wikipedia

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