広島県立美術館(ひろしまけんりつびじゅつかん)は、広島県広島市中区にある美術館。1968年9月、中国地方初の公立美術館として開館。現在の建物は旧美術館と隣にあった旧広島県立図書館の跡地に拡幅して1996年10月新築再開館したもの。延床面積19,926m、地上4階地下1階。館内には図書室、ミュージアム・ショップ、レストラン、ティールーム、駐車場等を整備している。縮景園に隣接し双方とも見られるよう工夫されており、両方の入場券を買うと割引される制度もある。広島にゆかりのある画家の作品・アジアの工芸品・1920/30年代の世界の美術作品などをテーマに約4500点所蔵している。など現在地は元々旧広島藩主である浅野家(浅野長勲)が所有していた別宅「泉邸」の敷地であった。1913年(大正2年)10月、泉邸の一角に浅野家所蔵の古美術品を一般公開する国内初の私立美術館が開館する。つまりこの地には大正時代から美術館が存在しており、名を「観古館(かんこかん)」といった。当時の建物構成は、入口から正面の位置に事務所棟を置き、それを軸として左右に2階建ての洋風建築の陳列棟を配置し、左が第一号館、右が第二号館と呼ばれた。敷地面積1,424坪、陳列棟は間口10間・奥行5間で50坪を2棟。展示物は浅野家所蔵の和漢古書や刀剣、茶器類で、西洋のものはなかった。大正期には月平均3,500人来館した記録が残っている。1939年(昭和14年)、この懐古館は浅野家から県に寄贈される。同じく浅野家所有だった泉邸や浅野図書館は、それぞれ1940年(昭和15年)県に・1931年(昭和6年)市に寄贈され、縮景園・広島市立中央図書館として現存する。ただ、太平洋戦争中は大日本帝国陸軍に接収され第2総軍短波傍受班「特情班」が置かれ、1945年(昭和20年)8月広島市への原子爆弾投下により建物・展示品ともに壊滅している。遺構としては、入口門柱が三次市立塩町中学校に移設され現存するぐらいである。そもそもの発端は、1956年(昭和31年)広島市を中心とした広島県西部の小学校から始まった、美術館建設に向けた「1円募金運動」からである。まず、この地には1960年(昭和35年)4月広島県立図書館が建てられた。1960年代に入り美術館建設に向け具体的に計画が進み、1968年(昭和43年)9月、中国地方における最初の公立美術館として県立図書館の隣に開館した。この整備計画には児玉希望がアドバイザーとして参加している。1980年代に入り、施設の改新構想が挙がり、隣の県立図書館の移転が決定したことから、美術館の建て替えおよび縮景園との景観的な一体化を図られるようになる。まず1980年(昭和55年)収蔵庫の拡張が行われ、1980年代後半には県立美術館整備構想案がまとめられる。1995年(平成7年)新館、つまり現在のものが竣工し、翌1996年(平成8年)10月に再開館した。設計は日建設計、施工は大成建設。
出典:wikipedia
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