藤原 秀道(ふじわら の ひでみち、生年不詳 - 元慶3年2月10日(879年3月6日))は、平安時代前期の貴族。藤原北家魚名流、紀伊守・藤原総継の子。光孝天皇の外叔父。官位は従四位上・中宮大夫。承和15年(848年)従五位下に叙爵し、安房守次いで大炊頭に任ぜられる。文徳朝末に越後介・信濃介・左兵衛佐を歴任する。清和朝では左右馬頭を務める一方、貞観元年(859年)従五位上、貞観11年(869年)正五位下と昇進し、貞観17年(875年)迄に従四位下に至る。貞観19年(877年)陽成天皇の即位に伴い従四位上・中宮大夫に叙任されるが、元慶3年(879年)2月10日卒去。最終官位は従四位上行中宮大夫。元慶8年(884年)甥にあたる光孝天皇の即位に伴って蔵人頭に任ぜられ、これを2ヶ月務めて辞任したとする文献もある。注記のないものは『六国史』による。
出典:wikipedia
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