島四国(しましこく)は、地四国の一つで、島嶼の中の四国霊場をめぐっていく民間信仰である。淡路島や小豆島をはじめ粟島、伊吹島など瀬戸内海に浮かぶ島々に多い。特に著名なのが、愛媛県今治市の大島で行われている「島四国」である。毎年春の島四国の日(正確には遍路市の縁日)には、遍路姿の人々が多数訪れる。また、そこかしこで行われる島民の「お接待」も知られている。大島の島四国は、文化4年(1807年)、伊予国(今日の愛媛県)大島に住んでいた毛利玄得(医師)、金剛院玄空(修験者)、池田重太(庄屋)の3人によって開創された。玄得は、幼少の頃出家し仏門に入ったが、成人になった頃、家業の医師を継ぐことになり、還俗した。後年、そのことを悔いて、四国霊場(本四国)を何度も巡拝し、その地形を模して島四国を開創した。島四国は、本四国に比べて手軽に巡拝できることから、多くの巡拝者が訪れたが、当時の今治藩主にとっては多くの民衆が訪れることを危惧し、島四国霊場を禁止し、開創の三人を流罪にした。しかし、民衆の信仰はやむことがなく、文化7年(1810年)に真言宗の総本山仁和寺から准四国八十八ヶ所霊場の称号と仁和寺紋章の使用が許された。これにより、島四国は民衆が自由に参拝できる巡礼地としての地位を確立した。今日でも、毎年旧暦の3月19~21日のへんろ市の縁日には多くの巡拝者が大島を訪れる。お遍路姿の参拝者がお参りする姿は季節の風物詩ともなっている。2013年3月20日から4月21日にかけて、瀬戸内海の主要な島々を舞台に開催された瀬戸内国際芸術祭では、この「島四国」も協賛行事の一環として開催され、お遍路さんで賑わった。島四国は、その名の通り、小豆島、粟島、伊吹島など、島嶼部にほぼ限られる。唯一の例外は、香川県坂出市瀬居町の「瀬居町春の大師市」である。1965年(昭和40年)から1972年(昭和47年)にかけて、香川県の単独事業として、番の州(坂出市沖合いの沙弥島と瀬居島の間に広がっていた浅瀬)を埋め立てて番の州臨海工業団地が造成された。この番の州臨海コンビナートで四国と完全に陸続きになって以来、瀬居島は行政上も郵便上も「瀬居町」となり、徒歩数分、自動車で1分で三菱化学坂出工場へ行ける巨大コンビナートの一部となり、もはや島嶼部とは言えなくなった。しかし、明治・大正時代から(一説には江戸時代から)続く瀬居町「春の大師市」は、唯一、フェリーではなく本州・四国から陸路自動車で参拝口まで乗り入れられる「島四国」として、若者たちにも人気で、毎年お遍路さんが絶えない。
出典:wikipedia
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