関東バス丸山営業所(かんとうバスまるやまえいぎょうしょ)は、東京都中野区江古田に位置する関東バスの営業所である。敷地内に、関東バス整備センターを有する。過去には、「ケイビーバス丸山営業所」も併設され、ケイビーバスに関東バス丸山営業所の運営を委託していたが、2009年11月1日より丸山営業所管内の全路線が自社での運行となった。本項ではケイビーバス丸山営業所についても記述する。丸山営業所管内の一般路線で、現在唯一新宿駅に乗り入れる路線である。1990年代は大型車での運行だったが、2000年2月16日にケイビーバスへ移管されると、中型・小型車が専属で充当されていた。2009年11月1日の関東バス統合後は、大型車も混ざって運行される。路線名である椎名町は現在の南長崎1丁目〜6丁目及び目白4丁目・5丁目にあたり、1964年(昭和39年)11月に行われた豊島区の区画整理まで利用された地名である。その為、椎名町線と名乗ってはいるが、西武池袋線の椎名町駅には乗り入れを行っていない。2011年11月15日、新宿西口停留所が「新宿駅西口」に改称された。現在の新宿西口停留所とは異なる場所となる。2013年2月18日に宿01が新設された。以前運行されていた宿01と設定目的はほぼ同じで、利用が多い新宿駅西口-小滝橋間を補う役割を持つ。平日の朝と深夜のみ運行となり、深夜バスの運行もあった。深夜バスは宿02にも同日より設定されたが、宿02深夜バスは宿01深夜バスの後に運行されていた。なお、深夜バスは2015年3月20日の運行を以って終了したため、宿01は平日朝のみの運行となっている。2016年1月25日より宿01のうち1便が新宿中央通り上の三菱東京UFJ銀行前(70番のりば)まで延長となった。新設停留所は「新宿西口」となっている。中野駅と江古田駅を結ぶ路線で、丸山営業所経由と江原中野通り経由がある。西武新宿線の踏切と新井交差点の渋滞に阻まれるため、路線の中野側では通勤時間帯を中心に定時運行が困難である。線名の「茂呂」とは板橋区小茂根の旧町名で、1950年7月1日に開通した当初の運行区間が中野駅 - 茂呂郵便局前であったことに由来する。西武池袋線以北に達する路線は池袋線(後述)に次いで2線目で、開通によってエリアを板橋区の南部まで一気に拡大し、当時は江古田駅東側の踏切を渡って小竹町を経由する経路で運行していた。1960年に江古田駅以北が道路状況の良い環七経由に変更され、同時に城北高校に達していたが、長らく中野駅 - 丸山営業所 - 茂呂郵便局(現・小茂根)を軸に運行されてきた。経路を大幅に変えてまで江古田駅 - 小茂根の短区間を維持したのは、かつて練馬区と板橋区の境界に位置する小竹・小茂根・羽沢地区に鉄道がなく、1983年に営団地下鉄(現・東京地下鉄)有楽町線と西武有楽町線が開業して、小竹向原駅・新桜台駅が開設されるまで、最寄りであった江古田駅に接続するバス路線の利用頻度が高かったためである。しかし、有楽町線開業後は乗客が鉄道へ流れてバスの利用者が減っていき、次第に小茂根行きは減便されて1997年9月15日に廃止された。その後は江古田駅までの系統だけが残り、「茂呂」は路線名のみが残ることとなった。中40のみが停車していた停留所(武蔵大学・豊玉北一丁目・北新井公園)は、中41の深夜バスを迂回運行させることで存続させている。中10は中12の出入庫路線で、以前は入出庫で多数運転されていたが、現在は中20を多く運転し、中野方向が朝1便、営業所方向が夜1便のみ運行される。2010年11月16日、中41の深夜バスのうち、中野方向を新井薬師駅を経由しない中43へ変更し、丸山営業所止まりの深夜バス(中45)を新設した。2011年9月16日、新井薬師前停留所が「新井薬師梅照院前」に、新井薬師駅停留所が「新井薬師前駅」に、新井薬師駅北口降車場停留所が「新井薬師前駅北口降車場」に、江古田地域センター停留所が「江古田区民活動センター」に改称された。2015年10月16日、中野駅と新井薬師前駅間の折り返し系統である中13が新設された。平日朝のみの運行で、中野駅 → 新井薬師前駅間は中12の経路、新井薬師前駅 → 中野駅間は中41の経路で運行し、循環系統扱いとなる。中野駅では2番のりばからの発車である。中野駅から中野通りを北上し、江古田の森(国立療養所中野病院跡地)や西武池袋線の各駅(練馬駅・江古田駅・中村橋駅)へ向かう。中野駅から新青梅街道へ北上する路線としては比較的新しい路線で、1950年代後半頃に開通しているが、当初は現行の中野通りが未開通だったため新井薬師駅を経由していた。2007年4月1日に江古田の森が開業したのに合わせ、中23(中野駅 - 下徳田橋)の代替として中27が新設された。その後、2012年5月16日に総合東京病院・江古田の森への江古田駅からのアクセス改善の為中28が新設された。中28は当初平日運行だったが、同年10月1日(実際は10月6日)より土曜・日祭日の運行も開始した。2013年9月20日のダイヤ改正で、中24が中野駅方向・平日2便まで減便、中野駅からの中村橋駅行きは全て廃止され、丸山営業所からの出庫便のみが中村橋駅へ向かうこととなった。この際に従来から運行されている中24-2の他に、中24(中村橋駅行き)の補完として南蔵院経由の出庫便が新設された。中27も平日日中は全便が中28として江古田駅まで延伸され、同日には練馬区議会議員の陳情によって中25が新設、同時に運行路線名も中村橋線から「練馬線」へ変更された。新設された中25は中野 - 練馬の乗り通しではかなりの遠回りとなるが、京王バスの中92系統が練馬方向のみ停車の「新井小学校」「大下橋」「下田橋」「哲学堂下」の4停留所に練馬駅から行く場合は格段に便利になった。上記にも述べたように、練馬線では早朝の出庫、夕方以降・ラッシュ終了後の入庫に運行される出入庫便をいくつか有する。中24-2は、2013年9月まで下徳田橋→中村南三丁目において他社を含め他路線が経由しない独自経路をたどっていたが、同年9月20日に中25が開業したことで初めて他路線との重複が発生した。それでも中村橋駅への出庫は、近隣に並行路線が多いために早朝出庫時の片道1便に抑えられている。江古田の森への出入庫便は通常は総合東京病院経由だが、朝の一部は中41の経路で、江古田区民活動センター停留所先の交差点を左折して江古田の森へ至る。中20は中野駅発着系統の出入庫系統で、中10・30・45になる便以外は全て当系統で出入庫する。中野駅では、中25・中28全便と中27の22時以降が1番のりば始発2番のり場経由、中27(22時以前)と中20(池11の入庫以外)が2番のりば始発、中20の池11の入庫が9番のりば始発となるので、各系統ごとに始発地点が異なる状態になっている。2007年に中村北三丁目停留所が中野駅方向のみの停車となった。2008年には中村三丁目停留所が、移設によって中野駅方向のみの停車となった。また、2011年9月16日には東京病院停留所が「総合東京病院」に、江古田地域センター停留所が「江古田区民活動センター」に、2011年11月15日には中村橋停留所が「中村橋駅」に、八幡前停留所が「中村八幡」に、2013年9月15日には下徳田橋停留所が「総合東京病院(下徳田橋)」に、豊玉南三丁目停留所が「中村南スポーツ交流センター」にそれぞれ改称された。1949年4月1日に東都乗合自動車との共同運行で開通した。中野駅から新青梅街道方面へ北上する路線としては最古で、中央線と池袋を結ぶバイパス線の役割を担った路線。現在も共同運行は変わらず、概ね半々の割合で運行されている。中30は中野駅北口再開発工事に伴い2011年9月16日に新設された出庫系統である。入庫便は中20として運行する。中30が新設されると同時に池11は中野駅方向のみ区立体育館経由となった。2011年9月16日、新井薬師前停留所が「新井薬師梅照院前」、新井薬師駅停留所が「新井薬師前駅」、新井薬師駅北口降車場停留所が「新井薬師前駅北口降車場」に、車庫前停留所が「池袋車庫」に、それぞれ改称された。関東バスでストライキが発生した場合、国際興業バスがあるため運休とならないが、本数が大幅に減る。2008年9月15日まで管轄していた高60の出入庫系統。高60は1960年代半ばころに京王帝都との共同運行で開通した路線だが、1975年に京王が練馬営業所を廃止して以降は関東が単独運行している。2008年3月16日より、高60は阿佐谷・五日市街道との共同運行となったが、半年後の改正で解消され、五日市街道に完全移管・阿佐谷とともに撤退した。しかし、高70は廃止されずに高円寺線の応援として早朝1往復のみ残存している。2009年5月1日、高円寺北二丁目停留所が「杉並芸術会館 座・高円寺前」に改称された。2011年9月16日、丸山小学校停留所が「緑野小学校」に改称された。2011年11月15日、野方駅南口停留所が「野方駅入口」に改称された。新宿区内で、既存のバス路線が無い地域に住む交通制約者をカバーすべく、検討した「地域密着型バス」のモデルケース7種類のうちの1つ。この百人町線が唯一採算が取れると判断され、ケイビーバスに要請して2002年3月2日に運行が始まった。しかし実際には開業当初より赤字で、開業時には毎時3本だったが、2005年11月には毎時2本に、さらには2007年9月16日から毎時1本の運行へと減便され、今に至る。他の路線とは異なり、運賃は210円(IC運賃は206円)均一。東中野駅付近は、と循環する経路となっている。この為、東中野駅入口を高田馬場駅方向から利用する場合は東中野駅を超えて乗車することが可能である(ただし最終便のみ、東中野駅西口が終点となる)。2011年9月16日、東中野地域センター停留所が「東中野区民活動センター」に、東中野一丁目停留所が「東中野駅入口」に改称された。2013年9月15日、戸山団地中央停留所が「百人町四丁目」に改称された。2014年4月1日、社会保険中央病院停留所が「東京山手メディカルセンター」に改称された。2015年3月2日、東中野駅西口ロータリー完成に伴い、ロータリー内に「東中野駅西口」停留所を新設、旧来の東中野駅西口停留所は「東中野駅大江戸線口」に改称された。()内は共同運行会社。阿佐谷営業所の東京線に続く都営・西武バスとの共同運行第2弾として1950年(昭和25年)に開設された。中村橋線と阿佐谷営業所の伊勢丹線をベースに一部野方線のルートも取り入れて大久保駅まで行き都営エリアに入り込むルートを取った。1961年(昭和36年)に都営側の担当が練馬から小滝橋に代わる。1969年(昭和44年)2月1日付けで新井薬師駅と江古田二丁目の間が延長されるが、都電第6次撤去と同時の1971年(昭和46年)3月17日限りで関東バスと西武が撤退して都営単独の24系統(東京駅 - 大久保駅)に変更となった。都営単独となった後も区間の変更を繰り返し、現在の高71系統(高田馬場駅 - 九段下)となる。1981年頃に廃止。その後、小滝橋までに短縮されて復活する(前述)。2007年(平成19年)4月1日の江古田の森開園に合わせ、中27に変更されて廃止。2013年9月20日に中野駅方向2便のみの運行まで減便、中野駅からの中村橋駅行きは廃止され、中村橋駅へは丸山営業所からの出庫便のみが運行する。中24の出入庫便。2007年4月1日に入庫便が廃止されたが、同経路を走る出庫便は残存している。2008年(平成20年)9月の高円寺線移管に合わせ、整理される形で廃止。1983年(昭和58年)の西武有楽町線開業で乗客が減少し、小茂根折返時にガードマンの誘導で環七通りの交通を停車させて折返していた点が危険とされ、1997年(平成9年)9月15日限りで廃止された。2010年11月16日、経路変更により新井薬師駅を経由しない中43となった。東京都交通局(都営バス)と共同運行の130系統として開設され、都電第7次撤去と同時の1972年(昭和47年)11月、交通局の原則に沿って杉並区方面への路線に割り振られた70番台の系統番号を与えられる。交通局第2次再建計画に基づく路線再編成により、1977年(昭和52年)12月16日付けで中野駅を境界に関東バスと都営バスで分割。関東バスは中41として現在まで継続される。都営バスは中野区役所〈中野駅北口) - 新代田駅前(代田操車所)となるが、交通局第3次再建計画に伴う路線再編成により1982年(昭和57年)12月25日限りで廃止された。高円寺線の出入庫系統。2008年の五日市街道への移管により、意味を失って廃止された。2008年3月16日、阿佐谷営業所と五日市街道営業所の共同管轄としたが、同年9月16日に五日市街道営業所へ完全移管。1972年(昭和47年)の開設当時に担当。1976年(昭和51年)10月1日付で阿佐谷営業所へ移管された。1976年(昭和51年)10月1日付で阿佐谷営業所へ移管された。1995年に開業したが利用客が定着せず、1998年3月1日に廃止された。2002年(平成14年)3月20日に京王電鉄バス、東京空港交通との3社共同運行で運行を開始した。ケイビーバスには2003年(平成15年)6月18日付で移管され、同時に練馬駅まで延伸されたが、同年10月1日には京王電鉄バス担当便が子会社の京王バス東に移管、さらに2005年(平成17年)6月30日限りで京王が撤退する。ケイビーバスも乗客数不振を理由に2006年7月14日限りで撤退。東京空港交通の単独運行となり現在に至る。中野駅(ガード下)停留所は羽田空港方面の一部便のみが停車した。現在は中野駅(ガード下)停留所には停車しない。2008年12月1日に樟葉経由へ経路変更された。関東バスの中でも日野自動車製の車両がまとまって配置されているのが特徴。特に、日野車体工業製の車体を持つレインボーHRは丸山営業所のみで見られる車種である。また、ブルーリボンIIもまとまった数が所属している。KV290系(7200番台)は、通常だと左側前輪に燃料タンクを配置すべきところが、関東バスは右側前輪に燃料タンクを配置している。かつては日野自動車製で富士重工ボディの3扉、かつハイブリッド車という、全国でも他に例がない仕様を持つHIMRの8000代が2台在籍しており、異彩を放っていた。日産ディーゼル(現・UDトラックス)製の車両は、青梅街道営業所とともに近年では割合が大きく低下している。一時期日産ディーゼルの新車導入がされなかった時期もあったが、2005年から2010年にかけては数台導入された。三菱ふそう製の車両は中型車で800代の約半数が配置されていたが、経年のため除籍が進み現在は3台のみ。エアロミディMKが多いが関東バスで唯一のエアロミディS(D814)も配置されている。関東バス初導入となったMP38系(2400番台)も在籍している。夜行高速バスを担当するため、三菱ふそう・エアロバスとエアロキング(二階建て車)、日野・セレガ、いすゞ・ガーラの配置がある。
出典:wikipedia
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