榊原 政永(さかきばら まさなが)は、江戸時代中期の大名。越後高田藩初代藩主、榊原家9代当主。ただし、本来の初代藩主・9代当主であった異母兄の榊原政純の身代わりとして擁立され、公式には同一人物とされた。元文元年(1736年)6月1日、姫路藩主榊原政岑の次男として生まれる。生母は坂田氏。幼名は富次郎。初名は政従。その後、政純(兄の名)、忠宝、政次、政一、政永(隠居後)と改名する。寛保元年(1741年)、政岑は将軍徳川吉宗から強制隠居と蟄居を命じられ、家督は嫡男の小平太政純が継いだが、さらに姫路から高田へ転封となった。政岑は寛保3年(1743年)に没した。延享元年(1744年)12月11日、小平太政純が病死した。小平太は兄とはいえ富次郎とは1歳しか違わず、当時数え10歳であった。幼少のため将軍御目見も果たしておらず、世継も定めていなかった。末期養子が認められる年齢でもなかったため、榊原家は幕閣から内密の了承を得て、弟の富次郎政従を小平太政純とすり替えることにした。寛延3年(1750年)10月1日、富次郎は小平太政純として将軍徳川家重に御目見した。同年12月18日、従五位下式部大輔に叙任する。以降、宝暦4年(1754年)従四位下、天明4年(1784年)侍従、寛政元年(1789年)右京大夫と官位を重ねた。寛政元年(1789年)5月10日に隠居し、跡を次男の政敦に譲る。隠居後、右京大夫を称する。文化4年(1808年)死去。
出典:wikipedia
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