ポピュリズム()とは、一般大衆の利益や権利、願望、不安や恐れを利用して、大衆の支持のもとに既存のエリート主義である体制側や知識人などと対決しようとする政治思想、または政治姿勢のことである。日本語では大衆主義や人民主義などと訳されるほか、政治指導者、政治活動家、革命家が大衆の一面的な欲望に迎合して大衆を操作する方法を指し、大衆迎合主義とも訳される。また、同様の思想を持つ人物や集団をポピュリスト()と呼び、民衆派や大衆主義者、人民主義者、もしくは大衆迎合主義者などと訳されている。「ポピュリズム」の用語は「(民衆)」に由来し、通常は「エリート主義」との対比で使用される。古代ローマでは「populus」は「ローマ市民権を持つ者」の意味であったが、ポピュリスト達は「民衆派(大衆派)」とも呼ばれる事実上の党派となり、ティベリウス・グラックス、ガイウス・マリウス、ガイウス・ユリウス・カエサル、アウグストゥスなどは、元老院を回避するために民衆に直接訴えて市民集会で投票を呼びかけた。19世紀にヨーロッパで発生したロマン主義は、従来の知識人中心の合理主義や知性主義に対抗し、大衆にナショナリズムやポピュリズムの影響を与えた。1850年から1880年のロシア帝国では、知識人(知的エリート)に対立する運動として現れた。19世紀末のアメリカ合衆国では、人民党(通称ポピュリズム党)が既成の支配層である鉄道や銀行を攻撃し、政治思想としての「ポピュリズム」が広く知られるようになった。以後もアメリカでは、マッカーシズムや、2000年代のティーパーティー運動などがポピュリズムと呼ばれている。1930年代のイタリアのファシズム運動、ドイツのナチズム、アルゼンチンのフアン・ペロン政権などは、既存のエリート層である大企業・外国資本・社会主義者・知識人などに強く反対し、大衆に対して雇用や労働条件向上を実現する変革を直接訴えたため、ポピュリズムと呼ばれる場合が多い。ここ数世紀の学術的定義は大きく揺れ動いており、「人民」、デマゴーギー、「超党派的政策」へアピールする政策、もしくは新しいタイプの政党へのレッテルなど、しばしば広く一貫性の無い考えや政策に使われた。英米の政治家はしばしばポピュリズムを政敵を非難する言葉として使い、この様な使い方ではポピュリズムを単に民衆の為の立場の考えではなく人気取りの為の迎合的考えと見ている。にも関わらず近年新たに学者によってポピュリストの見分け方や比較分類の為の定義がまた作られている。Daniele AlbertazziとDuncan McDonnellはポピュリズムの定義を「均一的(人種・宗教などが共通の)良民を、エリート層と危険な『違う人々』を両者共に主権者たる人々から権利、価値観、繫栄、アイデンティティー、発言力を奪う(もしくは奪おうとする)ものと説き、民衆と対決させる」理念としている。近年では、「複雑な政治的争点を単純化して、いたずらに民衆の人気取りに終始し、真の政治的解決を回避するもの」として、ポピュリズムを「大衆迎合(主義)」と訳したり、「衆愚政治」の意味で使用する例が増加している。村上弘によれば、個人的な人気を備えた政治家が政党組織などを経ずに直接大衆に訴えかけることや、単純化しすぎるスローガンを掲げることを指すとする。。民主主義は民意を基礎とするものの、民衆全体の利益を安易に想定することは少数者への抑圧などにつながる危険性もあるという意味では、衆愚政治に転じる危険性は存在するが、それは民主主義の本質であって、ポピュリズムそのものの問題ではない。民主制は人民主権を前提とするが、間接民主制を含めた既存の制度や支配層が、十分に機能していない場合や、直面する危機に対応できない場合、腐敗や不正などで信用できないと大衆が考えた場合には、ポピュリズムへの直接支持が拡大しうる。その際にはポピュリストが大衆に直接訴える民会・出版・マスコミなどのメディアの存在が重要となる。ノーラン・チャートによる定義では、個人的自由の拡大および経済的自由の拡大のどちらについても慎重ないし消極的な立場を採る政治理念をポピュリズムと位置づけ、権威主義や全体主義と同義としており、個人的自由の拡大および経済的自由の拡大のどちらについても積極的な立場を採るリバタリアニズム(自由至上主義)とは対極の概念としている。
出典:wikipedia
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