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伊百二十一型潜水艦

伊百二十一型潜水艦(いひゃくにじゅういちがたせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦の艦級。機雷潜型(きらいせん)や機潜型(きせんがた)とも呼ばれる。日本海軍が建造した唯一の機雷敷設用潜水艦で同型艦は4隻。太平洋戦争で3隻が戦没した。1938年(昭和13年)6月1日に伊二十一型潜水艦(いにじゅういちがた)より改名。日本海軍は第一次世界大戦の戦利艦として7隻のドイツ潜水艦を獲得したがそのうちの1隻、U125をほぼコピーした潜水艦である。1923年(大正12年)度計画により4隻が川崎造船所で建造され、1927年(昭和2年)から1928年(昭和3年)にかけて竣工した。5番、6番艦は1924年(大正13年)に建造中止となった。艦型は上記の通りU125のコピーでほとんど同一である。相違点は備砲と魚雷発射管を日本海軍の装備に改めたこと、南洋での行動を考慮し冷却機を装備したため船体を若干延長した程度である。機雷庫は艦尾に設けられ2本の機雷敷設筒を装備した。敷設筒は1本に3個の機雷を格納でき、敷設の所要時間は1回(機雷6個)につき15分から21分かかった。太平洋戦争緒戦では目的どおり機雷の敷設任務に従事したが、オーストラリアのダーウィン付近で伊124が戦没。その後ミッドウェー海戦に呼応した二式大艇でのハワイ偵察の支援のため、機雷庫をガソリンタンクに改造したが作戦は中止になる。ガダルカナルの戦いが始まると本型もソロモン方面へ進出するが伊123がガ島沖で戦没した。1943年(昭和18年)に入ると残った2隻は老齢のため第一線を退き、練習潜水艦とされた。1945年(昭和20年)に入り伊122が日本海で撃沈され、伊121のみが残存、戦後に海没処分された。1938年(昭和13年)6月1日に改名、艦番に100を加えた。

出典:wikipedia

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