昭和38年1月豪雪(しょうわ38ねん1がつごうせつ)とは1963年(昭和38年)1月から2月にかけて、主に新潟県から京都府北部の日本海側と岐阜県山間部を襲った記録的豪雪である。それ以外の地方でも、その地方としては記録的な大雪や冷え込みを記録している。三八豪雪(さんぱちごうせつ)などとも呼ばれる。その次には五六豪雪(ごうろく〜)がある。1962年(昭和37年)のクリスマス付近を境に、まとまって降り出した雪は翌1963年(昭和38年)には本格的な大雪となった。さらにこの年は気温も平年より低く20日間にわずか11.4時間という日照時間の短さが加わり、降雪のほとんどが融けずに蓄積することになった。本州の日本海側だけでなく雪の少ない九州地方でも記録的な大雪となり、南部の鹿児島県でも30cm以上の積雪を記録するという稀な状況も発生した。福岡県飯塚市では一冬の累計積雪量が185cmに達したのを始め、九州地方の山間部を中心に累計積雪量が100cmに達した。陸上自衛隊による消雪活動も行われ、火炎放射器を用いて雪を融かすという方法が取られた。しかし、「これはあまり効果はなかった」と当時の隊員たちは語っている。航空自衛隊は各地の救難分遣隊が出動し、出動後の帰途に就いた芦屋基地の芦屋救難分遣隊ヘリ(H-21)が1963年(昭和38年)3月16日に香川県三豊郡詫間町で墜落して隊員10名が死亡した。1963年(昭和38年)2月12日に気象庁は「昭和38年1月豪雪」と命名した。北半球を取り巻く上空(500hPa面から圏界面付近まで)の偏西風は多少の蛇行を繰り返して赤道付近の暖気と極付近の寒気の平衡状態を保っているが1963年(昭和38年)1月から2月は蛇行が異常に大きくなり、アメリカ・ヨーロッパ・東アジアの3方面で極の寒気が大きく南下した(「三波型」と言い、大寒波の原因としてよく名前が出る)。このためヨーロッパでは所によっては1月の月平均気温が平年より10も下がった所もあり、数万年に一度の低温で氷河期の気温と同じ状態であった。北米でも同じく7-8低下、東アジアでは台湾で5前後下がるほどの極端な寒冬となった。一方、暖気の北上域に入ったアラスカでは1月平均気温が14度も上昇している。昭和38年1月豪雪は、こうした世界規模の異常気象の一環であった(←ラニーニャ現象)。日本では気温の低下は月平均2-3にとどまったが1月を中心に非常に強い西高東低型の気圧配置が続き、日本海側では豪雪となって太平洋側では乾燥した晴天が持続した。こうした冬型気圧配置が日本付近で強まったのは、例年アリューシャン列島付近にできる冬の低圧部(日本付近で発生あるいは通過した低気圧が最盛期を迎える海域)が西に偏り、日本のすぐ東の海上になったことも影響している。これによって日本の月平均気圧は異常に低下した。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。