フォルリ ("Forli") はアルゼンチン生まれの競走馬である。アルゼンチン四冠を制し、アメリカに渡ってからもコロナドハンデキャップをレコードタイムで制すなど活躍。のちにアメリカで種牡馬入りし、フォアゴーらを輩出するなど成功した。馬名の由来はイタリアの都市フォルリから。1966年4月24日、サンイシドロ競馬場で行われたジアゴ賞でフォルリはデビューした。スタートから他馬との差を広げいきなり15馬身差で初勝利を飾ると、続いて出走したコディウエ賞でも17馬身半差で連勝した。3戦目はアルゼンチンの2歳チャンピオン決定戦モンテヴィデオ大賞で、ここでは2週間後のポージャデポトリロス(後述)に備えて楽なレースをさせたが、それでもヴィクレマンに5馬身差をつけた。そしてポージャ・デ・ポトリロス(アルゼンチン2000ギニー、ダート1600m)に出走する。ここも12馬身差、しかも1分33秒4のレコードタイムで圧勝した。しかし、二冠目のジョッキークラブ大賞(芝2000m)では、前走12馬身も引き離したアントニトに2馬身差まで詰め寄られる結果になり、距離延長への不安を露呈する。ナシオナル大賞ではさらに500m距離が伸びダート2500mのレースになる。だが、最後の直線では苦しみながらもプロポーサルに1馬身差をつけ三冠を達成した。カルロスペルグリニ大賞は南米の凱旋門賞とも呼ばれる南米最大の競走である、三冠競走を制した馬がこの競走も制すと四冠馬と呼ばれる名誉に預かる。フォルリも四冠を目指しカルロスペルグリニ大賞へ出走した。この競走では古馬が相手になり、そのうえ距離はさらに500m伸びる芝3000m(現2400m)に達する。だが、フォルリは距離への不安を払拭し、アレールの猛追を振り切ると2馬身半差で四冠を達成した。カルロスペルグリニ大賞の後、アメリカのクレイボーンファームから96万ドルのオファーがありアメリカに渡った。アメリカでの初戦コロナドハンデではアークスロニに3馬身差のレコードタイムで勝利した。ハリウッドパーク競馬場でのエキシビジョンでもう一走し、サイテーションハンデキャップに出走した。しかし競走中の不利もありドミナーに敗れている。フォルリにとって初めての敗戦であった。しかも競走中に骨折していることが判明し、そのまま引退した。引退後はクレイボーンファームで種牡馬入り、フォアゴー(エクリプス賞年度代表馬3回)を筆頭に、サッチ(イギリスチャンピオンマイラー)、サディーム(ゴールドカップ)など数多くの活躍馬を輩出した。娘のスペシャルが繁殖牝馬として成功を収めるなど母の父(ブルードメアサイアー)としても優れ、ヌレイエフなどを出している。1988年、アメリカ合衆国ケンタッキー州にて死亡、25歳であった。
出典:wikipedia
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