桔梗信玄餅(ききょうしんげんもち)は、山梨県笛吹市の製菓メーカー桔梗屋が製造・販売する土産菓子である。1968年(昭和43年)から販売している。2つを一枚の不織布の風呂敷で包んだ2個包みから25個化粧箱入りまで数種類用意されているが、8個入りは布袋入りである。風呂敷を模したビニールで包まれたポリ製の器のきな粉に求肥が3切れ埋没しており、別添の黒蜜をかけて食す。名称の「信玄」は戦国期の甲斐国主で、山梨県の象徴的人物と位置付けられている武田信玄に因んでいる。当地の盆時期に仏前へ安倍川もちを供える習慣から発想し、黒蜜独特な舌触りと餅から作られた。和菓子のオリンピックと俗称の全国菓子大博覧会第19回博覧会で名誉総裁・高松宮宣仁親王から名誉総裁高松宮賞を下される。第13回から名誉総裁は高松宮宣仁親王夫妻が歴任していたが、桔梗信玄餅が受賞した第19回は秩父宮妃勢津子もこの時だけ名を列し皇族3名が名誉総裁であった。国土交通省主催ビジット・ジャパン・キャンペーン (VJC) 「VJC魅力ある日本のおみやげコンテスト2005」で、外国人に日本を強く意識させるものとして和菓子部門で銀賞に選出されて成田空港第一旅客ターミナル中央ビル4F「日本土産専門ショップ桜」店内でおみやげ日本代表として販売され、1970年第5回新作観光土産品コンクール(現・やまなし観光土産品コンクール )で日本商工会議所会頭賞を受賞している。笛吹市の桔梗屋が製造・販売する「桔梗信玄餅」のほか、北杜市の金精軒が製造・販売する「信玄餅」も存在する。桔梗屋の「信玄餅」は1968年(昭和43年)、金精軒の「信玄餅」は1972年(昭和47年)に発売された。桔梗屋の「信玄餅」は1970年(昭和45年)に「第5回新作観光土産品コンクール」(現・やまなし観光土産品コンクール)へ出品され、翌1971年(昭和46年)4月1日付山梨日日新聞への広告するも、桔梗屋の商品名「信玄餅」は金精軒の「信玄最中」(信玄餅とは別商品の最中)と同一の商標区分上で類似しており、「桔梗」を追加して「桔梗信玄餅」へ名称変更して争いを回避している。後に金精軒は「信玄餅」を商標出願して商標番号1015994号で登録され「信玄餅」を発売している。よって正しい解釈は「最初に信玄餅を売り出したのは桔梗屋であるが、現在、「桔梗」が付かない「信玄餅」という商標を取得して売っているのは金精軒」である。販売は双方独自のオンラインショップや、甲府駅は桔梗信玄餅を改札外土産コーナーで信玄餅は改札内NEWDAYSで扱い、山梨県観光協会が東京駅八重洲口付近に出店しているアンテナショップ「富士の国やまなし館」など両者併売店舗では、桔梗屋か金精軒か確認される場合がある。桔梗屋は他にも「信玄」を冠する商品を発売しているが、「桔梗信玄餅」派生商品は「桔梗信玄」と「桔梗」を冠し、「桔梗信玄餅」に関連しない独自商品は「信玄」と桔梗の文字を省略している。桔梗信玄餅をベースにした以下の商品を販売している。
出典:wikipedia
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