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レジデンツ

ザ・レジデンツ () は、アメリカ南部出身の前衛音楽・実験音楽とビジュアル・アーツのグループである。謎めいた素性とエキセントリックな音楽は、先鋭的な一部の音楽ファンに知られている。彼らは1970年代初期に活動を始め、デビュー・アルバムを1974年に発表した。過去には、タキシード・ムーンやチリ・ウィリ&レッド・ホット・ペッパーズ、レナルド&ザ・ローフ、ヘリオス・クリード、Yelloらと共演している。メンバーが誰なのかは不明だが、スネイク・フィンガーが死亡したことで、彼がサポート・メンバーであったことが明らかになった。日本ではゴンチチのゴンザレス三上と、音楽評論家の湯浅学がレジデンツの熱烈なファンである。30年を超えるその歴史において、レジデンツは常に自分たちの生活と音楽を謎に包んできた。4人もしくは5人いるらしいメンバーたちは一般にインタビューを行なうことを拒み、お互いに個別の名前をつけたり、ニックネームで識別するようなこともしてこなかった。デビュー時には、カセット・テープをフランク・ザッパやリチャード・ニクソンら、300人に送っている。ライブや写真撮影は常に衣装をまとった姿で行なわれ、特にタキシードとトップ・ハット、そして巨大な目玉のマスクという姿が有名である。1980年代中期にはメンバー1人の目玉マスクが盗まれてしまったため、巨大なドクロのマスクが新たに登場することとなった。盗まれたマスクは犯人がどこに住んでいるかをつきとめ、逆に盗み返してきた熱烈なファンのおかげで1985年に戻ってきた。レジデンツのインタビューや広報活動は、彼らが雇ったマネージメント・チーム「クリプティック・コーポレーション」によって行なわれている。このチームこそがレジデンツのメンバーではないかという噂もあるが、クリプティック・コーポレーションはこれを否定している。またメンバーのうち少なくとも1名は女性であるとされているほか、他のレコード会社との契約の関係上、匿名で参加している著名なミュージシャンがいるという噂も根強い。彼らの正体については他にも数多くの噂があり、実は変装したビートルズではないかとも囁かれてきた。レジデンツの出身地はルイジアナ州のシュレブポートであり、1960年代にそこの高校でメンバーたちは知り合った。1966年に彼らはカリフォルニア州サンフランシスコを目指して西に向かうが、サンマテオで車が故障したことからそこに留まることにした。彼らは生活の手段として、テープ・マシンや写真といった、何かしら「芸術」に関連していることの実験に手を出すようになった。彼らのことはやがて口コミで広まり、1969年にはイギリス人のギタリストであるフィリップ・リスマンと、リスマンがババリアで出会った謎の人物N・セナダがレジデンツのもとにやってきて、そのまま彼らと行動を共にするようになった。彼ら2人のヨーロッパ人はレジデンツに大きな影響を与え、リスマンのギター演奏は指が蛇のように動いたことから、彼はスネークフィンガーと呼ばれるようになった。そして彼らは音楽の才能がほぼ完全に欠如していたにもかかわらず、粗雑な録音機材や楽器を購入してテープ作りに取り組むようになる。最も初期のパフォーマンスの1つはカリフォルニア州バークレーのロングブランチで行なわれた。1970年までには2つのテープ、「医者のための錆び付いたコートハンガー」と「剥製の引き金のバラード」が完成した。1971年には第3のテープをワーナー・ブロスのハル・ハルバースタットに送りつけるものの、キャプテン・ビーフハートと仕事をした経験のある彼でも「ワーナー・ブロス・アルバム」には興味を示さず、これはワーナーに拒絶されてしまった。そしてグループは返却先の住所に宛名を記していなかったので、拒絶の通知は「当該住所の住人(レジデンツ)」宛に送られてきた。これがグループ名の由来である。レジデンツ名義で行なわれた最初のパフォーマンスはサンフランシスコのボードハウス・クラブで行なわれたもので、1971年のことだった。同年に彼らはもう1つテープを作成した。「ベイビー・セックス」という可愛らしい名のついたテープの表紙は、デンマークのポルノ雑誌から流用した。1972年に彼らはサンフランシスコへと移り、ラルフ・レコードを設立する。この頃にレジデンツはN・セナダの「無名の理論」を取り入れるようになった。これはつまり、外部の期待や影響を排除することによってのみ、アーティストは純粋な芸術を生み出すことができるというものである。アルバム「サード・ライヒン・ロール」のタイトルはナチスの第三帝国(サード・ライヒ)からとられ、音楽業界の重鎮たちの姿がまるでナチスのように加工された写真やイラストが、アルバムのジャケットに飾られた。レコードの各面にはそれぞれ1曲ずつ(約17分30秒)が収録され、どれも古典的なロックンロール・ソングが切り刻まれて再編集され、ボーカルとパーカッションとテープ・ノイズがオーバーダブによりちりばめられた内容になっている。この行為は既存の楽曲が意図的に荒らされ、非常に異なった曲へと変えられてしまう結果となったが、むしろレジデンツにとってこれは楽曲の「反・荒らし」行為であり、商業主義とは無縁になった曲がどのように聞こえるかを示したものなのだという。それから彼らは「無名の理論」を論理的に発展させ、発表しないことを念頭に置いた「ノット・アヴェイラブル」を1974年に録音した。彼らはこのアルバムをお蔵入りにし、誰もがその存在を忘れてしまった時点で発表しようとしたのである。しかし彼らがアルバムのことを忘れかけていた1978年に、レコード会社は契約の義務からこのアルバムを一般に発表してしまった。また「エスキモー」(1980年)は音楽的でない音やパーカッション、言葉にならない声などから構成された曲が収録されたアルバムで、これらは(伝統的な意味での)歌というよりも、物語の台詞のない実況中継のようであった。このアルバムはグラミー賞にノミネートされかけた。後に彼らはアルバムの「曲」をディスコ調にアレンジし、「ディスコモー」という名のEPにして発表した。「エスキモー」はサラウンド・サウンド付きオーディオDVDとして2003年に再発表された。そして従来のポップソングが、3分ほどの間に歌メロとサビが3回ずつ繰り返される形式を持っているのに対し、「コマーシャル・アルバム」(1980年)には歌メロとサビが約1分間に1回ずつ演奏される曲が40曲収録されている。これらの曲はCMソングの雰囲気を持っているものの、どんな既存の商品もしくはサービスを宣伝するようなものでもない。レジデンツはこのアルバムを宣伝するために、サンフランシスコで最も人気のあるラジオ局のスポットCMを1分ずつ40スポット購入した。これによりアルバムの各曲が3日にわたり、このラジオ局から流されることになったのである。ビルボード誌はこのことを記事に取り上げ、果たしてこれは芸術行為なのか、それともただの宣伝だろうかと不思議がった。レジデンツはミュージック・ビデオの先駆者としても知られている。MTVが放送を開始したばかりのころは、流せるビデオがまだ全体的に少なかったため、彼らのビデオがよく流されていた。彼らの最初期のビデオは、ニューヨークの近代美術館の永久コレクションにも含まれている。これらのビデオは2001年に発表された「イッキー・フリックス」というDVDに収められており、このDVDには全ての曲の再録バージョンが聴ける特典も付いている。さらに1980年代にはアルバム「マーク・オブ・ザ・モール」およびその続編などが発表され、有名な手品師のペン・ジレットが毎晩ナレーションを行なう、初の公式ツアーも行なわれた。「モール3部作」は未だ最後のアルバムが発表されていないが、これはレジデンツの想像力のどこかに埋もれているのであって、失われたアルバムでは決してないと言われている…しかし、誰も息をひそめて待っているようなことはしない。これに続いて彼らは「アメリカの作曲家シリーズ」を発表する。これにはジョージ・ガーシュウィンとジェームズ・ブラウンなどといった組み合わせで、レコードの片面それぞれにアメリカの有名な作曲家のカバー曲を収録された。しかし法的に厄介なことになるのを避けるため、このシリーズは最初の発表以来、無期限延期された。他にもレジデンツはマルチメディアCDを早く発表したことでも知られており、最初の2作品「フリーク・ショー」と「ジンジャーブレッド・マン」はエンターテインメント・ウィークリー誌に「最良のエンターテイメント・ソフトウェア」として選ばれたこともある。さらに彼らは「Census Taker」や「ピー・ウィーのプレイハウス」、ディスカバリー・チャンネルの自然番組「Hunters」といった映画や番組のサウンドトラックに曲を提供しているほか、MTVのいくつかのCMの音楽も手がけている。現在でもレジデンツは新しい作品を発表し続けており、絶版になったアルバムの特別版の再発(彼らは700以上の曲を手がけてきた)や、DVDの発表にも力を入れている。彼らはツアーも行なうが、頻度はとても少ない。1990年代半ばからはモリー・ハーヴィーという歌手が、よく彼らとアルバムの録音およびライブ活動を共にするようになったが、レジデンツは自らを完全に匿名の存在だと考えているために、彼女はバンドのメンバーというよりも、むしろスネークフィンガーのような一時的(あるいは継続的)なゲスト・スターとされている。また最近の彼ら(正確にはクリプティック・コーポレーション)は、eBayにおいて過去のライブなどで使われた、様々な備品や小道具を売りに出している。

出典:wikipedia

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