大原 重朝(おおはら しげとも、1848年6月21日(嘉永元年5月21日)- 1918年(大正7年)12月14日)は、幕末の公家、明治期の官僚・政治家。貴族院伯爵議員。幼名・常丸。山城国京都で、大原重徳の三男として生まれ、兄・大原重実の養子となる。万延元年(1860年)孝明天皇の児に就任し、文久2年3月(1862年)元服して重朝と改名し備後権介に任じられた。慶応2年2月(1866年)左馬頭に就任。同年8月、朝廷刷新の二二卿建議(廷臣二十二卿列参事件)に加わり差控を命ぜられた。慶応3年2月(1867年)赦免となる。慶応4年閏4月19日(1868年6月9日)参与・弁事に就任。以後、権弁官事、弁官事、神楽御人数などを歴任。1874年3月、宮内省九等出仕となる。1877年9月、養父が死去し、同年10月30日、家督を継承。1879年2月、外務省御用掛に就任した。1884年7月8日、子爵を叙爵。1888年1月17日、父・重徳の勲功により伯爵に陞爵。1890年7月、貴族院伯爵議員に選出され、死去するまで在任した。
出典:wikipedia
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