エイジア(Asia)はイギリスのロックバンド。1982年デビュー。メンバー全員が、既に世界的なキャリア/知名度を得ていたミュージシャンであったため、デビューの時点からスーパーグループとして注目された。「プログレッシヴ・ロックのエッセンスをポップスとして鏤めた3分半の楽曲」というスタイルを確立し、そのスタイルにそってリリースされたファースト・アルバム『Asia(詠時感〜時へのロマン)』は数ヶ月後には全米NO.1を9週キープ、全世界で1500万枚のセールスを達成。同アルバムからシングルカットされた『Heat Of the Moment』は全米ロックチャート1位、全米ポップチャートでも4位となり、商業的にも成功を収めている。アルバムデビューの時点のメンバーは、ジョン・ウェットン(vo.b/元キング・クリムゾン、ロキシー・ミュージック、U.K.)、スティーヴ・ハウ(g.vo/元イエス)、カール・パーマー(ds/元エマーソン・レイク・アンド・パーマー)、ジェフ・ダウンズ(kbd/元バグルス、イエス)。その後、幾多のメンバー・チェンジを繰り返したが、2007年にはオリジナルメンバー四人での「初来日コンサート」が、そして続く2008年にも来日を果たしている。1970年代末から1980年代初頭、数々のプログレッシヴ・ロック・バンドの解散と、若く才能溢れるミュージシャンの台頭が契機となり、エイジア結成のプランは流動的に動き始めた。1980年にイエスからトレヴァー・ホーンが脱退し、クリス・スクワイアとアラン・ホワイトはジミー・ペイジとのバンドを結成するためにイエスを離れてしまった。イエスに残されたスティーヴ・ハウとジェフ・ダウンズはイエスの継続を断念してしまう。ここでイエスは解散。その時、イエスのマネージャーだったブライアン・レーンはジョン・ウェットンを2人に引き合わせて新バンドの結成を企画する。かつて、レーンはリック・ウェイクマンとウェットン、それにビル・ブルーフォードによるスーパー・トリオを企画したがうまくいかなかった経験があり、その時からウェットンに協力的であった。そして、ウェットンとハウが一緒に曲作りをするようになり、デビューアルバムの約半分を書き上げた。当初はサイモン・フィリップスがドラマーを務めたが、その後カール・パーマーに交代、キーボードにキース・エマーソンの加入も企画されたが、結局はハウの紹介によりジェフ・ダウンズが加入して結成メンバーが集まるに至った。バンド名はレーンが提案したAsiaとなった。ソング・ライティングは、アルバム制作の頃までにはウェットンとダウンズのチームが出来上がり、1982年3月8日、ロジャー・ディーンのイラストをジャケットに使ったファースト・アルバム『Asia(詠時感〜時へのロマン)』とシングル『Heat of the Moment』をリリース、上記の商業的な成功を収めた。イエスがなき後のレーンのマネージメントするバンドとして、ロジャー・ディーンのアートワークとバンド名のロゴも採用された。翌1983年にはセカンド・アルバム『アルファ』を発表。完全にウェットンとダウンズの作曲チーム中心となり、初期の中心メンバーであるハウが作曲に参加した作品が入っていない。シングル『Don't Cry』が全米ポップチャート10位、全米ロックチャート1位となりアルバムも全米6位となる。しかし記録的ヒットを収めた『Asia』の売上の1/5ほどに留まってしまい、ツアーの観客動員数も減ってしまった。バンド内で軋轢が始まり、1983年の初来日ツアー前に、ウェットンはアルコール中毒になっていたという理由で解雇されてしまう。ウェットンの後任にグレッグ・レイクを召集し、日本の静岡県内で1ヶ月に渡るリハーサルが行なわれた。1983年12月6日から、ワールドツアーが日本より開始され、日本国内では4公演が開催された。MTVの企画で、同年12月7日の日本武道館公演の模様をアメリカに衛星生中継するイベント『ASIA in ASIA』が行われた。この公演はアメリカ向きの放送時間に合わせて日本では平日の昼間に行われ、演奏時間も短かったため入場料は安く設定された。この模様は国内でも、テレビ神奈川(tvk)で、同日14:00-14:54に特別番組「武道館から初の衛星生中継!ASIA in ASIA 独占生中継」として一部が同時生中継された。歌詞を覚えられなかったレイクはツアー中、テレプロンプターのモニターに表示される歌詞を見ながら歌うことになった。レイクの声域の方がウェットンより低いため、楽曲のキーを半音下げるなど苦労し、結果的にぎくしゃくとした演奏形態になってしまったが、来日公演は無事に終了した。後に、MTVで日本武道館から衛星生中継した番組の『ASIA in ASIA』の模様は『エイジア・イン・エイジア/ライブ・イン・武道館』としてビデオ化されビデオテープ、レーザーディスクで市販された。1984年にはウェットンが復帰した。しかし、ウェットンとハウとの仲がうまくいかず、サードアルバムのリハーサル中に今度はハウが脱退。10ヶ月以上のオーディションを費やした後、ハウの後任のギタリストにはウェットン主導の人事でマンディ・メイヤーが参加している。25曲録音した中から10曲を厳選し1985年にサード・アルバム『アストラ』を発表する。このアルバムは日本ではオリコン15位を記録するが、全米では67位、シングル『Go』は全米ロックチャート7位、全米ポップチャート46位にとどまり、これまでの巨大な成功とは程遠いものとなった。ウェットンは「なぜ急に売れなくなったのかわからない、あれだけの作品で売れなければ今後何を作ればいいんだ」と語り、失意の元、マネージメントのレーンから解雇され、バンドの活動は凍結、事実上の解散状態となった。1989年に、当時ゲフィン・レコードのA&Rであったジョン・カロドナーの提案で再結成を実現するが、1989年の時点でハウはABWHに参加していたこともあり合流しなかった。A面5曲が過去のヒット曲を並べたベスト盤、B面4曲が未発表曲という変則アルバム『ゼン・アンド・ナウ』も発表する。ギターパートはスティーヴ・ルカサー(TOTO)やスコット・ゴーハム(元シン・リジィ)らにより、ドラムに関してものちにジョン・ペイン、ジェフ・ダウンズ主導のエイジアに参加するマイケル・スタージスの演奏によるものもある。ツアーにあたってのギタリストはゲイリー・ムーア、グレン・ヒューズの推薦からパット・スロールを迎えた。日本ツアーは成功を収め、モスクワで収録されたライブアルバム『ライブ・モスクワ』をリリースした。しかし、アメリカでのツアー日程が組めず、もはや懐メロバンドとしての需要しか求められていないと感じたウェットンは、ソロ契約を得たこともあり南米ツアーの後脱退する。スロールも同時期に脱退した。その後、ダウンズはジョン・ペイン(元エレクトリック・ライト・オーケストラ)を加入させて活動を続けたが、バンド形態というより「ジェフ・ダウンズのソロプロジェクト」の色彩が強まって行き、ジェフとペイン以外はゲスト・アーティストの参加による演奏が多くなり、ツアーに参加するメンバーも非常に流動的なものとなる。ハウはアルバム『AQUA』に参加しているが、その後のツアーにはゲストとしての参加に留まり、再びエイジアから離れ、イエスの活動に戻っていった。ペインとダウンズ体制としてのアルバム『Silent Nation』では、それまでアルバムジャケットのアートワークを手がけていたロジャー・ディーンを起用せず、一連のアルバムのタイトル(一部のベストアルバムなどを除く)もバンド名と同様に「A・・・A」というタイトルで通してきたそれまでの法則が崩れている。しかし2000年代中ごろ、ウェットンとダウンズが偶然の再会から共演アルバムのレコーディングをはじめ、2005年4月には"ウェットン/ダウンズ(Wetton/Downes)"名義でアルバム『アイコン(iCon)』を発表。このころからこの二人を中心にオリジナルメンバーでのエイジア再結成に向けた話し合いが行われ、2006年4月にはダウンズがペインとのパートナーシップを解消する旨を発表。同時にオリジナル・ラインナップ(ウェットン、ダウンズ、ハウ、パーマー)でのアルバム制作・コンサートツアーを実施する方向であることも正式に発表された。ウェットン/ダウンズはその後も2006年にライヴアルバム『アイコン・ライブ(iCon Live~Never In A million years)』、『ルビコン(iConII)』(2006年10月)をリリースした。二人はスティーブ・クリスティ、ジョン・ミッチェルを加えたアイコンバンドでのツアーと前述の再結成エイジアでのツアーを平行して行っており、アイコンバンドが先に来日を果たしたが、再結成エイジアも2006年中に全英及び全米ツアーを終え、翌年3月にはオリジナル・ラインナップでは初となる来日ツアーを果たしている。ハウとパーマーを加えたエイジアとしてのアルバムは2008年4月に「PHOENIX」としてリリースされた。ジャケットのアートワークは再びロジャー・ディーンが担当している。2010年には同じメンバー、同じくロジャー・ディーンのアートワークでの新作『オメガ (Omega)』が発表されている。同時期にエイジアは、ハウの参加しているイエスとのジョイント・ライヴ(エイジアが前座の扱い)を行い、ハウがどちらのバンドでも演奏するという形態でのツアーが行われている。2010年7月にはロンドンで行われたイベント「ハイ・ヴォルテージ・フェスティヴァル」に出演。2011年バグルスのマテリアルでもある当時の新作『フライ・フロム・ヒア』を収録していたイエスは、キーボードを担当していたオリヴァー・ウェイクマンを解雇して、ダウンズを参加させた。その後のイエスのツアーと次回作にダウンズが参加し、エイジアとイエスの双方に籍を置くこととなる。なお、2006年までエイジアのメンバーだったペイン、ガスリー・ゴーヴァン、ジェイ・シェレンの3人も、奥本亮(スポックス・ビアード、K2、元クリエイション)を加え新ユニットGPSを結成(バンド名は三人のイニシャルのアナグラム)。同年にアルバム『Window to The Soul』でデビューしている。ペインとゴーヴァンはプロモーションのため2007年に来日しライヴを行った。2012年には結成30周年記念アルバム「XXX~ロマンへの回帰」をリリース。同年9月には30周年記念ジャパンツアーが開催された。2013年1月、再度のハウの脱退、後任にサム・クールソンが参加することが発表され、メンバーチェンジ後の初ライヴが同年6月5日にイギリスのミルトン・キーンズに行なわれた。この編成にて録音されたアルバム「グラヴィタス~荘厳なる刻(そうごんなるとき)」 が2014年3月にリリースされている。ダウンズは1989年に脱退したウェットンの後任としてペインを迎え、エイジアの名義でアルバムを発表していた。しかし、2006年にダウンズはオリジナル・メンバーを集結させたエイジアの活動を再開するにあたり、ペインらの現行のエイジアのメンバーたちは「脱退」を余儀なくされてしまった。そこでペインらはGPSとしてのデビューアルバム『Window to the Soul』を制作し、エイジアの次のアルバム用に作られていた『Architect of Time』のための楽曲をこの中で使用している。2007年、オリジナルメンバーで活動を再開しているエイジアの4人の合意を得て、ペインらは と名乗り、「初期から現在までの全ての曲」を演奏するエイジアとして活動している。2007年にはアルバム「」を発表した。このアルバムは2012年に「Risen Sun」とタイトルを変更して再発売されている。2009年のツアーでは、ギタリストがミッチ・ペリー、キーボードがとなり、2012年にはギタリストがに交代した。2014年にトリビュート・アルバム「」を発表した。
出典:wikipedia
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