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ミノワマン

ミノワマン(1976年1月12日 - )は、日本の男性総合格闘家、プロレスラー。本名・旧リングネーム:美濃輪 育久(みのわ いくひさ)。岐阜県羽島市出身。フリーランス。富山健康科学専門学校卒業。DREAMスーパーハルクトーナメント王者。ニックネームは「本能のリアルプロレスラー」、パンクラス時代は「ザ・パンク」。赤いパンツがトレードマーク。ファンが喜ぶ試合をするのが身上で、格闘技の試合でパイルドライバーやデスバレーボムを繰り出したこともある。また、比較的小柄ながらも、ヘビー級相手に無差別級での試合を多く行っておりボブ・サップやチェ・ホンマンのような巨漢やギルバート・アイブル、ソクジュといった階級上の強豪選手相手に勝利を収めている。1996年6月、第6回パンクラス入門テストを受けるが、不合格となる。その後、誠ジムに入門、剛竜馬の主宰する冴夢来プロジェクトに上がっていた。1997年7月20日、誠ジム所属としてパンクラスでプロデビュー、ネオブラッド・トーナメントで3位となった。その後パンクラスに移籍し、1999年8月1日にはネオブラッド・トーナメントで優勝を果たした。パンクラスのリングではセーム・シュルト、菊田早苗、DEEPのリングでは田村潔司らと対戦した。2003年4月にパンクラスを退団し、フリーに。8月にはブラジルのブラジリアン・トップチームでトレーニングするなど武者修行を行う。2003年9月19日、ブラジルのジガンティーニョ・ジムナジウムで開かれた第1回ブラジルスーパーファイトにおいてシウマウ・ホドリゴと対戦。2R3分1秒、バックを取られながらも膝十字固めを極め一本勝ち。現地で「東洋の神秘」と絶賛される。2003年12月31日、PRIDE初参戦となったPRIDE SPECIAL 男祭り 2003でクイントン・"ランペイジ"・ジャクソンと対戦し、グラウンドの膝蹴りでTKO負け。2004年はヴァンダレイ・シウバ戦、ハイアン・グレイシー戦と連敗スタートもその後は山本喧一、上山龍紀に連勝。大晦日のPRIDE 男祭り 2004で再びオープニングファイトに出場。ステファン・レコと対戦し、開始27秒ヒールホールドで一本勝ち。2005年はギルバート・アイブル、キモらと対戦。両試合ともに得意の足関節技で勝利した。またPRIDEウェルター級(-83kg)トーナメントにも出場。1回戦で以前TKO負けを喫したフィル・バローニにリベンジを果たすも、2回戦でブラジル武者修行時の師匠であるムリーロ・ブスタマンチに敗れた。2005年12月31日、PRIDE 男祭り 2005で、対戦を以前から熱望していた桜庭和志と対戦。チキンウィングアームロックで見込み一本負けを喫した。2006年も継続してPRIDEに参戦。PRIDE 武士道 -其の拾-ではジャイアント・シルバをTKOで破った。5月5日の無差別級グランプリ開幕戦にも参戦。体重差約20kgのミルコ・クロコップと対戦するが、1分10秒でTKO負けを喫した。その後はバタービーンやマイク・バートンなどに勝利。2006年12月31日、PRIDE 男祭り 2006のオープニングファイトで田村と再戦。「超人になりたい」「『マン』を付けると強そうだから」とリングネームをミノワマンに変更。結果は田村にカウンターで横腹に膝蹴りを叩き込まれKO負け。2007年7月23日、プロデビュー10周年を記念して「CMAフェスティバル2 美濃輪育久デビュー10周年記念大会」が開催され、メインイベントでホ・ミンソクと対戦。アンクルホールドによりミンソクの左足にダメージを負わせ、1R終了時にタオル投入によるTKO勝ち。入場時には、トップロープ越えのパフォーマンスを披露した。2007年9月17日、HERO'Sに初参戦。ハレック・グレイシーと対戦予定であったが、ハレックの怪我の影響で、ヒクソン・グレイシーの門下生ケビン・ケーシーとの対戦に変更された。試合は、ケーシーが引き込んだグラウンドから再三脱出し、2R序盤でのパンチの打ち合いの中でミノワマンの右フックがケーシーのアゴをヒット、倒れたところにパウンドで追撃してTKO勝ち。2007年10月28日、HERO'S KOREA 2007でキム・ミンスと対戦。体格差を埋められず、左右のフック連打でTKO負け。試合後に拳を観客に向けて8回突き上げるパフォーマンスをキム・ミンスにやられてしまった。2007年12月31日、K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!でズールと対戦。ズールの周りをグルグルと走り回り、時々ローキックを放っていくヒットアンドランアウェイ戦法を取る。100kg以上の体重差があるズールを背負い投げる場面もあったが、体格差を埋めることはできず、最後はパウンドを受けたところで、セコンドからのタオル投入によりTKO負け。試合前には「体重差・体格差によって強さは計れないことを証明する」と語っていた。2008年3月15日、DREAM.1で韓国の元野球選手イ・グァンボムと対戦し、膝十字固めで一本勝ち。トレードマークであった赤パンツではなく黒パンツで試合を行った。2008年4月29日、DREAM.2のミドル級グランプリ1回戦で金泰泳と対戦し、判定負け。2008年9月23日、DREAM.6でかつての師匠船木誠勝と対戦し、踵固めで一本負け。2008年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜で、同年K-1GPベスト4のエロール・ジマーマンとDREAMルールで対戦し、足首固めで一本勝ちを収めた。2009年2月10日、DEEP&CMAファン感謝祭2009でかつての先輩・鈴木みのるとプロレスルールで試合し(初プロレス試合と発表されたが、冴夢来プロジェクト時代に経験済み)、17分31秒ゴッチ式パイルドライバーからの体固めで敗れる。2009年4月5日、DREAM.8で柴田勝頼と対戦。2R終了終盤にジャーマン・スープレックスを食らうなどして判定負けを喫した。2009年5月26日、DREAM.9のスーパーハルク(無差別級)トーナメント1回戦でボブ・サップと対戦し、アキレス腱固めで一本勝ち。2009年5月29日、キン肉マニア2009にてキン肉マンとプロレスルールで対戦。ブロッケンJr.の得意技である「ベルリンの赤い雨」やジェロニモの得意技である「トマホーク・チョップ」を繰り出し、挙句の果てにはキン肉マン自身の得意技である「キン肉バスター」を掟破りで使用するも、「火事場のクソ力」によってパワーアップしたキン肉マンのキン肉バスターを喰らっての体固めで敗れる。2009年10月6日、DREAM.11のスーパーハルクトーナメント準決勝でチェ・ホンマンと対戦した。下馬評を覆し、踵固めで2R一本勝ち。大晦日の決勝戦に駒を進めた。2009年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜のスーパーハルクトーナメント決勝戦でソクジュと対戦し、3Rに左フック一撃でKO勝ち。スーパーハルクトーナメント優勝を果たし、「世界最強超人」の称号を手に入れた。2010年3月22日、DREAM.13でジミー・アンブリッツと対戦し、足首固めで一本勝ち。5月29日、DREAM.14でイマニー・リーと対戦し、裸絞めで一本勝ち。2010年9月25日、DREAM.16で石井慧と対戦し、0-3の判定負けを喫した。2010年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2010〜で泉浩と対戦し、パウンドによるTKO負けを喫した。2012年4月7日、Super Fight League 2でアレキサンダー・シュレメンコと対戦し、ボディパウンドでTKO負けを喫した。2012年12月31日、INOKI BOM-BA-YE 2012でボア・ブラトブズと対戦し、ヒールホールドで一本勝ちを収めた。キン肉マンへの強い憧れを常々公言している。「奇行」とも取れる彼の数々の言動からは、キン肉マンの影響が見て取れる。

出典:wikipedia

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