LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

国鉄183系電車

国鉄183系電車(こくてつ183けいでんしゃ)は、1972年に日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した直流特急形電車である。第16回(1973年)鉄道友の会ブルーリボン賞受賞。本項では本系列をベースにEF63形電気機関車との協調運転装置を搭載する189系電車(189けいでんしゃ)ならびに西日本旅客鉄道(JR西日本)が所有していた485系電車を改造した183系電車についても解説を行う。1972年7月15日の総武本線(快速線)東京 - 錦糸町間開業ならびに房総東線蘇我 - 安房鴨川間電化完成により総武本線・房総東線(現・外房線)・房総西線(現・内房線)で運転されていた急行列車の一部を特急列車に格上げするとともに地下区間となる総武快速線に対応させることから、当時の運輸省(現・国土交通省)通達「電車の火災事故対策について(鉄運第81号)」で定められたA-A基準を採用。さらに波動輸送への対応も考慮して製造されたグループである。1972年にMM'ユニット(モハ183形・モハ182形)33組66両・クハ183形22両・サロ183形11両の99両が新規開設となった幕張電車区(現・幕張車両センター)に集中配置された。1973年 - 1975年に継続して増備され、最終的には9両編成(6M3T)19本と1973年11月に内房線で発生した衝突脱線事故による廃車代替 1両のMM'ユニット57組114両・クハ183形39両・サロ183形19両総計172両が、日本車輌製造・東急車輛製造・近畿車輛・川崎重工業(現・川崎重工業車両カンパニー)で製造された。同時期に製造されていた485系を基本としたが、以下に解説する部分で本系列独自の構造を持つ。屋根高さは485系と同じ3,475mmであるが以下の相違点がある。定員はモハ2形式が68名。クハ183形が58名。サロ183形が48名。従来の特急形車両の基本を踏襲しながらも以下に示す機構が新規採用された。信越本線での運用も考慮され新造時から横軽対策が施工されるなど東日本地区直流電化区間全般での使用も視野に入れた汎用性の高い設計が採用された。製造状況を以下に示す。製造年次により以下に示す設計変更が行われている。またクハ183形の一部車両は以下の改造が施工された。国鉄分割民営化時には全車が東日本旅客鉄道に承継された。1993年にモハ183+モハ182-1・2・11・12とサロ183-19が松本運転所(現・松本車両センター)に転出した以外は幕張からの移動はない。老朽化に伴い他系列への置換えが進められた結果、0番台は2006年に全車廃車となり区分消滅した。本グループへの改造編入車は存在しないが、本グループからの改造転出車が1例のみ存在する。1987年から1988年にかけて、余剰となったグリーン車(0番台)を113系(東海道線)用に転用改造したもの。詳細は国鉄113系電車#サロ110形 特急形改造車を参照のこと。上越線エル特急「とき」に使用されていた181系、東海道本線東京口の特急「あまぎ」ならびに上野 - 万座・鹿沢口間の季節特急「白根」に使用されていた157系の老朽化に伴う置換え用として1974年11月に当時設計開発途上だった信越特急用系列(後の189系)から横軽協調運転装置を省略する形で製造されたグループである。「とき」充当車は新潟運転所上沼垂支所(現・新潟車両センター)に、「あまぎ」「白根」充当車は田町電車区(後の田町車両センター→現・東京総合車両センター田町センター)に配置された。開発・製造の詳しい経緯は#183系1000番台登場の経緯を参照のこと。豪雪地帯である上越線に投入されることから耐寒耐雪構造がさらに強化されているのが特徴であり、台車も耐雪強化構造となったDT32I・TR69I形を採用したほか、形式毎では以下に示す設計変更が行われた。本グループは、次の4形式181両が製造された。製造年次により以下の相違点がある。「とき」廃止後は房総地区に転用が決定した新潟運転所所属のクハ183形1000番台に1500番台新造車(1501 - 1506)と同様の機器室設置ならびに総武線地下区間用ATC-5形搭載の改造を施工したグループ。この改造により定員が2名減って54名となり車両番号を原番号+500の区分とした。1982年3月から8月にかけて新津車両管理所(後の新津車両製作所→現・総合車両製作所新津事業所)で施工。竣工後は新潟所属のまま「とき」運用に投入されダイヤ改正に合わせて全車幕張電車区へ転出した。2015年まで残存したクハ183形は本番台区分のみで1525・1527・1528の3両が長野総合車両センターに所属した。国鉄末期、短編成化・列車本数増加により先頭車が不足するとともに、多くの付随車が余剰となった。また、逼迫する予算のために新造コストも抑制されていたため、485系・489系の余剰付随車(いずれもAU13E形冷房装置を搭載した後期車)を種車に改造された。1000番台を称しないものもあるが、いずれも1000番台の編成に組み込んで使用された。なお、民営化後に登場した西日本旅客鉄道(JR西日本)の改造車(200・700・800番台)については、#JR西日本の183系で解説する。1978年10月ダイヤ改正で「とき」は増発されたが、新造コストを削減するためにグリーン車は余剰のサロ481形基本番台を編入することになり、新津車両管理所で改造施工したのが当区分である。主に制御系統のみが変更されたため、485系の特徴であるドアステップも含め外観に変化はない。後に短編成化や新型車両投入により余剰となり、1988年と1989年にサロ481形へ復元され区分消滅した。中央東線の急行格上げに伴う特急列車増発の際、逼迫する当時の国鉄財政では不足する先頭車を新造することも厳しい情勢であった。そのため短編成化で余剰になった比較的経年の新しいサハ481形100番台に、長野工場でクハ183形1000番台に準じた運転台の取付改造を行った。偶数向(新宿方)制御車。後位側ドアには種車のステップが残存する。また1985年改造の0番台は後位出入台側の車販準備室を残しているが、1986年改造の100番台では座席定員確保のため撤去という差異がある。また、側面行先表示器は183系と485系ではシステムが異なるため、種車のものは撤去し、0番台を除いて前位側出入台横に新設した。E351系・E257系の投入に伴い0番台車は1999年までに全車廃車。100番台車も2015年3月までに全車廃車された。前述のクハ182形と同じ理由で、1985年と翌1986年にサハ489形およびサハ481形100番台を183系の奇数向(松本方)先頭車に改造して登場した番台区分で、改造施工は103のみが大宮工場、他が長野工場。サハ489形からの改造車の後位側は特徴的なドアステップが残存。サハ481形100番台からの改造車は、旅客定員の確保のため改造時に種車の車販準備室を撤去した。また、行先表示器を前位側ドア横窓上に新設している。高崎車両センターに2両在籍していたが、幕張車両センターからの転入車に置換えられて2005年に廃車となった。前述のクハ183形100番台と同じく1986年にサハ489形から改造した番台区分であるが、運転台ブロックがクハ183形1000番台仕様ではなくクハ481形1000番台仕様であり、全長が21250mmと他車より250mm長いことと前頭部に回り込んだ赤帯のデザインがクハ481形相当である等の特徴がある。改造施工は幡生工場(現・下関総合車両所)。またCPも他の先頭車改造車が1000番台と同じく運転台ブロック内に搭載されているのに対しMGとともに床下搭載、MGも160kVAであるなどの相違点がある。151・152の2両のみの存在で、中央東線に投入されグレードアップ改造も施工されたが、E257系への置換えにより2003年に2両とも廃車された。1000番台の各形式を189系に編入改造したもの。詳細は#1500番台を参照のこと。余剰となったグリーン車(1000番台)を、1987年から1988年にかけて113系(横須賀線)用に転用改造したもの。詳細は国鉄113系電車#サロ110形 特急形改造車を参照のこと。サロ183形1050番台は、グリーン車の連結両数削減によって余剰となったが、1988年に新潟地区の485系用のグリーン車が不足したことから、485系から改造された当番台2両がサロ481形に復元され、原番に復した。1989年、特急「ひたち」のモノクラス化にともなう中間付随車として、サロ183形1050番台のうち前節の改造にもれた2両が、座席を普通車用に交換して、サハ481形300番台に編入された。信越本線横川 - 軽井沢間の碓氷峠は最大66.7‰の急勾配区間であるため電車は最大8両編成までに制限されるほか台枠・連結器の強化などの通称横軽対策を施した車両のみが、EF63形の推進・牽引による無動力運転を行っていた。しかし、協調運転用機器を搭載することにより12両まで通過可能となるためエル特急「あさま」「そよかぜ」で運用されていた老朽化が著しい181系の置換えならびに輸送力増強を目標に183系1000番台からおよそ半年後の1975年6月に竣工した系列である。当初は全車長野運転所 に集中配置された。「あさま」投入後には季節特急「そよかぜ」や中央東線の「あずさ」でも運用された。協調運転装置の搭載による以外の違いは、運転室下部の電動発電機冷却風取入口のスリット部面積・協調運転用KE70形ジャンパ連結器・冷房故障時対策から各車両車端部から2番目の窓を開閉可能な上昇式に変更などである。なお、両系列の関係については#183系1000番台登場の経緯を参照のこと。本系列は下記の4形式155両が製造された。新製配置はすべて長野運転所。189系にも183系と同じく他系列からの改造車が存在する。ほとんどが上越新幹線開業以降、分割民営化前後までに183系や485系から改造されたものであり、国鉄改革が叫ばれていた時期に登場したため、車両新製に代わって他系列車両の改造編入が行われている。改造はすべて長野工場が施工した。1982年から1985年にかけて、上越新幹線開通で廃止になった「とき」に使用されていた183系1000番台に前述の協調運転に関わる装備を追設した番台区分である。183系1000番台は製造当初より横軽協調運転機能追設が考慮されていたため引き通し線の追設と主制御器の交換のみで新製車との外観上の違いはほとんどないが、0番台の持つ側窓の開閉機構は未装備である。クハ189形・モハ189形・モハ188形・サロ189形の4形式すべてに存在し、車番は原番号+500を原則とするが一部以下の例外が存在する。クハ189-1516のみがグレードアップ改造され幕張車両センターのC2編成に組み込まれていたが、2009年に廃車され本グループは区分消滅した。サロ183形1050番台と同じく1978年から翌年にかけて、485系のグリーン車サロ481形より改造した番台区分で、CPの設置と横軽対策の施工以外は改造前と大きな変更はない。1989年に全車がサハ481形300番台に格下げ改造のうえ勝田電車区(現・勝田車両センター)へ転出した。その後、E653系の投入に伴い2000年までに全車が廃車された。1982年と1983年に施工された485系電動車ユニットの189系化改造による区分である。主な改造内容は交流関連機器の撤去であるが、車体は0番台に準じた構体へ新規載せ換えとしたため他の485系編入改造車とは異なり外観上では0番台車とほとんど区別がつかない。種車の備品を多数流用したことから、当初は座席が0番台のR51系簡易リクライニングシートではなくT17形回転クロスシートを装備した。また501ユニットはグレードアップ車に改造された。1997年10月1日の北陸新幹線長野暫定開業に伴う運用減により3ユニットが廃車。最後まで残った501ユニットも2002年にE257系へ置換えられて廃車となり区分消滅した。クハ182形と同じく、1986年にサハ481形100番台にクハ189形に準じた運転台を取付けて先頭車化改造した形式である。クハ189形とは異なり、直江津方が100番台、上野方が600番台に区分される。クハ182形100番台と同じく、先頭車改造と同時に種車にあった車内準備室を撤去したため定員もクハ189形と同じ56名である。2015年4月に長野総合車両センターN103編成両端先頭車として組成されていた102・602の2両が廃車され廃形式となった。1989年、特急「ひたち」のモノクラス化にともなう中間付随車として、余剰となっていたサロ189形50番台の座席を普通車用に交換したものである。JR移行直後より「あずさ」「あさま」は並行する中央自動車道・関越自動車道・上信越自動車道の高速バスと激しい競争になり、JR東日本では指定席車両のグレードアップ(デラックス)化で対抗させることになった。その結果1987年 - 1989年に「あずさ」用9両編成x8本、1990年 - 1992年に「あさま」用11両編成x7本と増結用グリーン車1両の計150両へ施工した改造工事である。主な改造点を以下に示す。これらはすべて指定席車両が対象で、自由席車は外部塗装を変更して座席表地のモケットとカーテンを指定席車と同色のものに交換した程度である。「あさま」編成は外部塗装の違い以外に以下の点が変更された。また「あずさ」編成とは指定席車と自由席車の位置が逆なほか、8号車は閑散期の指定席車→自由席運用が存在したため該当車は指定席車両と同様の改造を行ったが、「あずさ」編成と異なりシートピッチ可変機構は省略された。またグレードアップ改造を施工しなかった一般編成も一部で以下の追加改造が施工された。両列車共にグレードアップ編成投入列車は、時刻表に「デラックス車両で運転」と記載されたことから運用は限定された。しかし1997年の長野新幹線開業で「あさま」編成が松本運転所に転出し「あずさ」に転用されて以降は、次第に限定運用が解除され一般車と共通運用された。2002年に「あずさ」がE257系に置換えられた際に各車両基地に転出したが、中間車は主に房総特急へ転用。制御車は一般車と編成組成され主に波動輸送で運用されるようになった。中間車は元「あずさ」グレードアップ編成のモハ183・182-1032・1054のMM'ユニット4両が長野総合車両センターN104編成に組成されていたが2015年4月の廃車で全車消滅。制御車は元「あさま」グレードアップ編成のクハ189-508・509の2両が豊田車両センターM51・M52編成に組成され車籍を有する。分割民営化後のJR東日本では、余剰車両の再活用としてジョイフルトレインへの改造が多数施工されており、本系列でも以下の改造工事が施工された。1990年に新潟支社が新津車両所で改造した欧風車両である。名義上サロ189形の改造であるが、車体は新製された上に機器類は485系1000番台の予備品を使用したことから、種車からは台枠と一部部品が流用されたに過ぎず、実質的には新造車に等しい。1991年に水戸支社が大井工場(現・東京総合車両センター)および大船工場 で改造した欧風車両である。上述の「シルフィード」と同様な施工方法のため改造車名義ではあるものの実質的には新造車に等しい。国際的な観光都市である日光や京葉線沿線などへのアクセス専用ジョイフルトレインや波動輸送対応用として「あずさ・かいじ」E257系化のため余剰となった189系電車6両を2003年に大宮工場(現・大宮総合車両センター)で改造施工した編成。公募により埼玉県を表す「彩(彩の国さいたま)」と栃木県の旧国名「下野国」を由来とする「彩野」と命名された。改造工事は、日光をイメージした専用塗装・車内化粧板・座席モケットの張替えなどのリニューアルが主でグレードアップ化は未施工である。改造後は小山電車区(現・小山車両センター)所属となり、編成番号は「Z45」とされた。主に快速「やすらぎの日光号」などで運用されたが、2006年3月18日付で大宮総合車両センターに転出。同日のダイヤ改正で運転開始した東武鉄道との直通運転を行う特急「日光」「きぬがわ」用小山車両センター所属485系直通車両の予備車も兼ねることになり、大宮総合車両センターで東武形ATS・列車無線などを搭載した。また、塗装を東武特急と同色に変更したために「彩野 AYANO」の文字(マーク)が消されたが、JR東日本では引き続き公式に「『彩野』編成」とした。2011年に廃車。1972年の幕張電車区への配置以降、首都圏周辺の車両基地に次々と配置され近距離特急列車に投入された。千葉局管内特急列車と「あずさ」の定期運用。ならびに首都圏周辺の臨時列車・波動輸送が主とされ、1972年7月の「さざなみ」「わかしお」から運用が開始された。続いて1973年10月からは、新宿 - 松本・白馬間「あずさ」にも投入されたほか、上野 - 中軽井沢間季節特急「そよかぜ」や上野 - 石打間スキー臨時特急「新雪」などにも充当された。1975年3月のダイヤ改正からは「しおさい」「あやめ」にも投入されたが、基本的には以下の6M3T編成で充当された。1982年11月の上越新幹線開業直前には、「とき」運用を担当していた新潟運転所で181系の検査切れや本系列の転用改造施工で車両不足となることから代走運用に貸し出された。開業によるダイヤ改正で「とき」充当車が余剰になり新潟から1000番台車が転入。また4M2Tモノクラス編成で運転開始となった「すいごう」にも投入され当時の千葉鉄道管理局管内の特急列車すべてを担当をした。1985年3月14日のダイヤ改正からは「すいごう」以外の乗客数やグリーン車需要が少ない列車でもモノクラス6両編成での運転が行われるようになり、0番台車でも4M2Tモノクラス編成が組成された。また1000番台車は同改正で「あずさ」運用の一部を長野鉄道管理局へ移管した上で増発したことから数両が長野運転所に転出。さらに1986年11月のダイヤ改正では運用を完全移管したため一部が松本運転所に転出した。1974年12月28日から1000番台が配置され8M4Tの12両編成でそれまですべて181系で運転されていた「とき」13往復中3往復を置換えた。新潟配置車は次第に数を増やし翌1975年10月には過半数の7往復に増強。1978年には14往復中10往復までとなった。1982年11月15日の上越新幹線開業で「とき」は全廃されたため新潟配置車は、全車長野運転所と幕張電車区に転出した。1975年7月から「あさま」充当の181系を置換えた189系は、同年12月1日には「あずさ」も置換え共通運用化された。また季節特急の「そよかぜ」にも投入された。当初は地上設備の関係で10両編成での運用とされたが、1978年10月2日のダイヤ改正でMM'ユニットが追加され全列車12両化された。1982年11月の上越新幹線開業では、余剰になった新潟配置の183系1000番台が転入し「あずさ」運用に充当。さらに485系からの改造車を配置や189系の「あさま」「そよかぜ」専従化とそれぞれの増発に対応した。1985年3月14日のダイヤ改正では「あずさ」増発用に対応するため183系は田町・幕張車が転入したもののの「あさま」も含め一部列車でMM'ユニット1組・Ts1両減車の9両編成での運用が開始された。1986年11月1日のダイヤ改正では「あずさ」運用を松本運転所へ移管させ183系は全車転出した。1976年3月に老朽化した157系の置換え用に183系1000番台が配置され、6M4T10両編成が「あまぎ」に、4M3T7両編成が季節特急「白根」に投入された。また1980年には貴賓車クロ157-1の牽引ユニットであるクモハ157・モハ156-1・2も廃車されたために本系列が牽引を担当するようになった。1981年には従来の「あまぎ」と急行「伊豆」を特急「踊り子」に発展的解消。185系電車と共に投入された。1982年11月の改正では「白根」運用を新前橋電車区(現・高崎車両センター)の185系200番台に移管し「踊り子」運用専従とされたが、1985年3月の改正で185系に運用を集約。田町配置車は全車長野運転所に転出し「あずさ」増発に充当された。1986年11月1日に「あずさ」運用を幕張電車区・長野運転所からの移管により183系1000番台車が転入した。JR化後の1988年3月からは6両編成が「かいじ」にも投入されたが、後に「あずさ」と共通の9両編成に増強された。民営化後も長野・松本・幕張に配置され、引き続き各列車に充当されていた。しかし、1990年代に入ると車両老朽化や新型の255系・E351系などへの置換えにより廃車または定期特急運用から離脱となった。さらに新製当時の技術上から車体の断熱材に石綿(アスベスト)を使用していたなどの問題もあり、アスベスト使用車については2007年3月までに廃車が実施された。2015年10月現在で189系のみ24両が車籍を有し、「あずさ」「かいじ」の多客期臨時特急列車・快速列車・団体専用列車・リバイバルトレインの波動運用中心に充当される。また183系は最後まで残存していた長野総合車両センター所属のクハ183-1525・1528が2015年5月20日付で廃車されたことで系列消滅となった。1997年の長野新幹線開業により189系が一部車両を除き廃車・転出したが、2016年4月1日現在では6両編成×1本(N102編成)のみ計6両が在籍。本系列全体でも唯一の定期運用である篠ノ井線塩尻 - 長野の「おはようライナー」に充当される。臨時列車では快速「ムーンライト信州」「ファンタジー舞浜」などのほか「あずさ」「かいじ」の特急運用へ投入実績がある。車両面では、2012年までは全車旧「あさま」色塗装とされていたが、その後N101編成が旧国鉄色に塗装変更。大宮所属当時から国鉄色だったN104編成が転入したほか、座席をN101編成ではクハ2両、N102・103編成の直江津方クハを除いてグレードアップ車用シートに交換施工済のほか、各編成ごとで以下の特徴がある。全車189系で6両編成x3本計18両が在籍する。波動輸送のほかに「ホリデー快速富士山」に投入される。また長野車と同じ編成を組成するが、中央本線基準で編成が逆向きである。国鉄時代から引続き「あずさ」「かいじ」で運用されていたが、2002年12月までにE257系にすべて置換えられ、余剰となった本系列は廃車もしくは転出となり、主に臨時列車・団体列車・修学旅行列車に投入された。2002年にE257系への置換えで余剰となった松本所属車6両編成x3本計18両が転入し、主に波動輸送対応で運用された。2005年に一部車両が房総特急運用終了で余剰となった幕張車と入換となったが、全車2006年3月18日付で大宮総合車両センターに転出した。2003年に「彩野」編成6両が配置されたが、2006年3月18日付で大宮総合車両センターに転出した。田町車両センターには国鉄時代に配置があったものの一度全車転出し、2002年に再配置された。2005年には房総特急運用終了により幕張から元・マリ21 - 23編成の1000番台後期製電動車ユニットが転入し1000番台初期車と置換えを実施している。基本的には団体列車や臨時列車など波動輸送中心の運用であり、6・8・10両の3種類の編成で旅客数に応じた柔軟な運用体制が敷かれた。2013年3月16日付で全車が大宮総合車両センターに転出し、引き続き田町時代の編成番号で運用されたが、同年度中に再転出もしくは廃車された。全編成ともに東海道線基準で東京方先頭車のみグレードアップ車が組み込まれるほか、客室窓枠の赤色塗装部分がH101・102編成では実際の窓枠サイズに合わせていることからグレードアップ車と標準車に段差があるのに対し、H61・81編成では標準車もグレードアップ車に合わせるという差異があった。2006年3月18日の組織変更で高崎車両センター配置6両編成3本と小山車両センター配置「彩野」編成1本の計24両が転入して配置車両基地となった。また配置車ではないが幕張車両センター配置の旧「あずさ」色6両編成2本(マリ31・32編成)も常駐した。2011年にOM201編成が廃車となったほか、2013年3月16日のダイヤ改正で田町車両センター配置車が転入したため2013年4月時点では6両編成x4本・8両編成x1本・10両編成x2本の計52両の配置となったものの同年度中に全車が廃車または転出となり、2014年4月現在で配置車両はない。主に千葉支社管内を中心とする特急網でのみ定期列車に投入されていた。しかし、2004年10月16日のダイヤ改正で「さざなみ」「わかしお」がE257系500番台に、臨時列車扱いながら毎日運転されていた大宮 - 成田空港の「ウイングエクスプレス」は「成田エクスプレス」に発展的解消され253系に、翌2005年12月10日のダイヤ改正で「しおさい」・「あやめ」もE257系500番台と255系にすべて置換えられ、JR東日本では本系列による定期特急列車運用が消滅した。定期特急運用が消滅直後に新潟県の大雪で上越線が不通となり、越後湯沢駅に閉じ込められた高崎車両センター所属編成や関東地区での団体列車の応援運用が不可能となった新潟車両センター所属485系の代走として、マリ22編成が正月臨時列車などに投入された。その後2007年頃までに、中央本線東京 - 高尾間の「中央ライナー」用C編成4本とマリ31・32編成の計48両を残してすべて廃車もしくは他区へ転出となった。C編成はJR東日本所属車で以下の理由で最後までグリーン車を連結していた編成である。そのため本来は廃車予定だったグレードアップグリーン車の中でも状態の良い車両で組成されていたほか、普通車は9号車を除いてグレードアップ車のみとなり「中央ライナー」などでのサービス向上を実現した。2008年3月15日のダイヤ改正で「中央ライナー」運用はE257系・E351系に置換えられ消滅。4本中3本が運用を失い廃車となった。最後の1本となったC2編成は代走運用投入が主だった「ホームライナー千葉1号・5号」が定期運用となったが、1年後の2009年3月14日改正で255系・E257系500番台に置換えられ、 4月16日に廃車。これによりJR東日本所属のグリーン車は消滅した。またC編成とは別に波動輸送用に対応する6両編成2本(マリ31・32編成)が大宮総合車両センター東大宮センターに常駐しており、2010年3月13日ダイヤ改正からはそれまで新潟車両センター所属485系で運用されていた「ムーンライトえちご」が移管され原則的にマリ31・32編成が投入されることとなった が、2012年3月17日ダイヤ改正で再び新潟車両センター所属485系に移管された。2013年12月15日にマリ32編成が、12月23日にマリ31編成が、それぞれ廃車回送を兼ねたさよなら運転「ありがとう183系号」として津田沼 - 千葉 - 東小金井 - 聖高原 - 長野間を総武本線・中央本線・篠ノ井線経由で実施し配置ゼロとなった。183系0番台の登場した1972年以降、上信越線では特急「とき」や「あさま」に充当されていた181系の老朽化が問題化し、また輸送力増強のために、車両増備が計画された。新車投入にあたっては、183系0番台を追加新製するか、それとも信越線の輸送力増強にも対応すべく横軽協調機能を備えた新形式車とするかについて、国鉄内部で検討がなされていた。しかしそんな折、1973年12月から1974年2月にかけて上越地方を豪雪が襲い、181系「とき」の雪害故障に伴う運休が長期化する事態が発生した。このトラブルは新聞に掲載されるほどの社会問題となったため、急遽1974年冬までに雪に強い新車を投入することになり、183系0番台を基本としつつ711系電車の使用実績を反映させた耐寒耐雪強化構造を持つ183系1000番台を開発することになった。設計・製造に充てられた期間は僅か9か月間であったが、先頭車の寸法や前面の非貫通化・集電装置のM車からM'車への移設をはじめとする電動車ユニット間の機器配置の変更・横軽協調運転装置取付準備工事など、0番台と比較して大幅な設計変更がなされており、当時既に設計中であった189系の影響を大きく受けている。このため、1975年6月に登場した189系は変更点はごく僅かとなっている。189系の登場後、自力で碓氷峠を通過できる派生系列として187系が計画されていた。これは、国鉄版ズームカーともいうべきもので、全電動車方式(その他グリーン車1両のみ付随車とする案もあった)で補助機関車の解結作業を省略することでスピードアップを図ろうというものであったが、1編成のみでは運用効率が悪いこと、北陸新幹線の建設が決定したこと、在来の189系でのスピードアップで十分な時間短縮効果が得られたことにより、この計画は中止された。当初は、アルミニウム合金製車体を持つ新製車とする計画であった。電動車には界磁添加励磁制御を採用し、4両ユニット(Mc-M'-M"-Mc)を組むよう計画されたが、折しも国鉄改革が声高に叫ばれていた時期であり、余剰の183系グリーン車を改造することに変更された。先頭車両は185系電車に似せ、さらにフラノエクスプレスの中間車に似せたハイデッカー車両を1両連結するという計画だったが、最終的に計画自体が中止されたため、改造種車として用意された車両は、113系近郊形電車のサロ110形300番台の改造種車として転用された。1982年の伯備線・山陰本線伯耆大山 - 知井宮(現・西出雲)間電化による「やくも」電車化には、当初の381系電車新造投入計画から逼迫する国鉄財政と費用対効果の面で上越新幹線開業によって余剰となる183系1000番台の転用が検討された。しかし、下記の問題が発生した。以上の点から転用計画は白紙撤回され当初の予定どおり381系が導入された。運転終了による廃止ならびに他系列車両への置換列車を含む。以下の車両が静態保存されている。国鉄分割民営化後に、JR西日本が485系・489系から改造したグループで、国鉄からJR東日本に引き継がれたグループと同じCS15主制御器・MT54主電動機・3.50の歯車比を持つために性能が同等な183系を称するものの全く系譜を異にするものである。内容的には種車の485系・489系から交流用の機器を撤去または使用停止したものである。制御回路は種車と共通しており、直流電化区間であれば無改造の485系・489系との混結も可能であるが、JR東日本所属の本系列とは、引通構造が異なるため混結・併結することはできないほか、第2パンタグラフの撤去は施工されていないものの使用停止措置が採られる。車体もJR東日本保有のオリジナル車や485系改造編入車とは異なり、全く手が加えられておらず全車片側1ドア構造で運転席上の前灯を有するなど485系同様の外観を有する ために区別する必要から、塗装が変更されている。交流機器を完全に撤去した700・800番台グループと車両に搭載したまま使用停止措置のみとした200番台グループが存在する。200番台グループは2011年3月12日ダイヤ改正で、700・800番台グループは2013年3月16日ダイヤ改正で運用を離脱し、JR西日本所有の本系列は定期運用を終了した。2013年中に全車廃車された。1986年11月1日に行われた国鉄最後のダイヤ改正で福知山線(宝塚 - 福知山)、山陰本線(福知山 - 城崎)電化に伴い、同区間を運行する新設エル特急「北近畿」(2011年3月12日に「こうのとり」に愛称変更)に「くろしお」などで使われていた485系電車が転用されることになり福知山運転所(現・福知山電車区)に配置された。その後、1991年にJR西日本が七尾線を直流電化するのにあたり、交流電化の北陸本線と直通運転するため、普通列車用の交流直流両用電車が必要となった。一方、福知山所に配置されていた485系電車は直流電化区間のみの運用であり、交流機器は不要であった。そこで、同区の113系800番台および網干・日根野両電車区の113系0番台を415系800番台に改造するため、1990年から1991年にかけて485系電車から交流機器を捻出し、直流専用の183系に編入した区分番台が本グループである。その後、列車の増発により1996年・2004年(モハ182-713)・2009年に追加改造が行われた。改造はモハ484形に搭載している床下の主変圧器・主整流器・屋根上の空気遮断器・交直切換器等の交流機器類の撤去およびその他一部機器の直流専用化、制御車の交直切換スイッチ撤去・運転室表示灯の一部変更などで、施工は吹田・鷹取・松任の各工場である。形式はモハ183形・モハ182形・クハ183形のほかクロ183形・クロハ183形が存在する一方で、JR東日本車とは異なりサロ183形は存在しない。なお種車によって番台区分されているが、モハ183・182形850番台は1997年に全車廃車となり区分消滅している。前述の700・800番台が交流機器を完全に撤去したのに対して使用停止のみの措置をして改番したグループによる区分 のため外観は塗装以外485系時代変更点はない。2003年 - 2004年に福知山運転所で2003年の「しらさぎ」への683系投入による余剰車、2001年の「スーパー雷鳥」683系化で休車となっていた付属編成のクモハ485形200番台・モハ484形・クハ481形200番台を編入した。クモハ183形 とクハ183形は、485系時代から引続いて電気連結器・自動解結装置を装備しており、綾部駅などでの分割併合の際に活用された。また、クモハ183形+モハ182形のユニットは、分割併合の関係で他の電動車ユニットと逆向き(クモハ183形が城崎温泉駅方)で使用されていた。各形式ともドアステップも存置されているが、2009年に入ってからこれを埋める工事が施工された。2009年改造車は、クハ183形に電気連結器・自動解結装置を装備していないなどの相違点があるほか、新たにモハ484形600番台・1000番台が種車に加わったためそれぞれモハ182形300番台・1300番台の番台区分が起こされた。2011年には全車廃車され廃区分番台となった。1990年から順次本系列化改造を施工し窓下赤細帯が追加された。1991年10月1日現在では4両編成7本+増結用MM'ユニット4組8両の36両 が「北近畿」「ほくせつライナー」(大阪 - 篠山口)で運用された。山陰本線(京都 - 福知山)の電化完成に伴い、山陰本線系統での電車特急運用が開始され、以下の変更を実施した。G編成は福知山線系統を中心に運用され、6両編成が「北近畿」7往復に、4両編成が「北近畿」1.5往復と「文殊」1往復、「ほくせつライナー」上り1本に充当される。T編成は山陰本線系統を中心に運用され、6両編成が「はしだて」2往復、4両編成が「はしだて」2往復と「きのさき」「たんば」の全列車、「文殊」上り1本、「ほくせつライナー」下り1本に投入された。4両編成に関しては、多客期に増結ユニットを組み込んで6両編成で運転された。1999年10月には「まいづる」が運転を開始し、3往復すべてがT編成の運用に追加された。これらとは別に余剰車としてモハ183+モハ182MM'ユニット4組8両(元GU1 - GU4編成)が所属していたが、1997年2月から3月にかけて廃車となった。2001年から2003年にかけて北陸特急への683系電車投入によって485系に余剰車が生じていた。その一部に本系列編入改造を施工し、以下の変更が実施された。増結ユニットを抜き基本4両編成、C編成と連結して最大7両編成で運転されるようになったA編成だが、C編成改造に時間がかかることから、A編成の一部が増結ユニットを組み込んで6両編成となり「北近畿」を中心に運用された。北陸特急での余剰車の編入改造が終了し、A編成は4両編成に統一された。ダイヤ改正以降、以下の列車で運用された。A編成は「北近畿」4.5往復、「文殊」上り1本、「はしだて」2.5往復、「きのさき」1往復、「たんば」2.5往復に充当された。また、「はしだて」2号の福知山 - 京都間でもC編成と連結して運転された。B編成は「北近畿」5.5往復、「文殊」下り1本、「はしだて」1.5往復、「きのさき」2往復、「たんば」下り1本に充当された。多客期には、増結ユニットを組み込んで6両編成で運転された。C編成は「北近畿」2往復、「まいづる」5.5往復、「はしだて」上り1本に充当された。「北近畿」に関しては全区間でA編成と連結の上、従来の6両編成より輸送力増強がなされた。また、「はしだて」1号の京都 - 福知山間、「はしだて」6号の綾部 - 京都間でもA編成と連結して運転された。2009年にはB編成へのATS-P搭載工事による予備車確保として、京都総合運転所から捻出された485系電車6両編成3本計18両が編入された。BB編成は2010年3月13日ダイヤ改正で定期運用から離脱。その後は波動用や「タンゴエクスプローラー」を含めた各列車の代走や増発列車などに投入された。2011年3月ダイヤ改正で287系電車を投入し、「こうのとり」(「北近畿」の名称変更)「はしだて」「まいづる」「きのさき」の一部を置換えた。このためA・C編成は運用から離脱した。B編成はATS-P搭載車であることから「こうのとり」「きのさき」「はしだて」の一部で運用が継続された。2012年3月17日ダイヤ改正以降に日根野電車区(現・吹田総合車両所日根野支所)所属の381系電車40両(6両編成6本・4両編成1本)が福知山電車区へ転入。このためB編成は順次運用から離脱し、2013年3月16日ダイヤ改正でJR西日本所属の本系列は定期運用が終了となった。同月30・31日に行われた団体専用列車「なつかしの北近畿」の運転をもってすべての運用を終了した。2012年4月時点では、40両が稼動状態にあり、以下の編成が組成されていた。2012年6月1日以降のB編成使用列車は以下の通り。他に定期列車では、山陰本線普通列車ならびに北近畿タンゴ鉄道(現京都丹後鉄道)宮福線快速列車にも充当されていた。これらの列車が、183系の最後の定期運用となった。定期運転終了後の2013年3月30・31日にJR西日本と日本旅行が主催の団体専用列車として「なつかしの北近畿」が運転された。先頭車両に掲示されたヘッドマークは、特急「北近畿」として運転開始当時の、「こうのとりがはばたく姿」を描いた絵柄ヘッドマークが掲出された。参加者には、記念乗車証ならびに記念弁当などが配布された。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。