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夜歩く

『夜歩く』(よるあるく)は、横溝正史の長編推理小説。「金田一耕助シリーズ」の一つ。昭和23年(1948年)から昭和24年(1949年)にかけて雑誌『男女』(後の『大衆小説界』)にて連載された。本作を原作として、2014年3月までに2作のテレビドラマが制作されている。私こと屋代寅太は、某私立大学で知り合った仙石直記から相談を持ちかけられた。去年の10月3日にキャバレー「花」で狙撃事件を起こしたのは、腹違いの妹である古神八千代だと言うのである。狙撃の理由は、八千代宛に届いた3通にわたる奇妙な手紙にあるようであった。去年の夏ごろ届いたその手紙には、「われ東京へ来たれり。近く汝と見参せん。……汝夜歩くなかれ。」と、古神家の内情に精通している者しか知らないはずの八千代の夢遊病のことが書かれていた……。そうして私が仙石に連れられて小金井の古神家の屋敷に赴いたその夜、八千代がキャバレーで発砲した佝僂(せむし)の画家の蜂屋小市か、同じく佝僂で八千代の異母兄の守衛の、いずれとも判別できない佝僂の首なし死体が発見される。しかもその血まみれの現場には、夢遊病の発作を起こして歩き回ったと思われる八千代のスリッパの跡が残されていた。警察では守衛を犯人と見て行方を追っていたが、しばらくして守衛の首が見つかった。そして、もう一方の佝僂の蜂屋が行方知れずで事件が膠着したまま、古神家の人々とその関係者は避暑のため旧領の岡山県鬼首村(おにこうべむら)に移動した。仙石の頼みで私も鬼首村に出向くが、その車中で金田一耕助という風采の上がらぬ男と出会った。こうして役者が揃ったところで、再び惨劇の幕が開く……。本作は『本陣殺人事件』、『獄門島』に続く「金田一耕助シリーズ」長編第3作。これらの作品は『八つ墓村』や『悪魔の手毬唄』などと合わせて「岡山編」と呼ばれることもある。本作は、昭和23年(1948年)2月から5月まで雑誌『男女』で連載、同誌誌名改名後の『大衆小説界』にて6月から11月までおよび翌昭和24年(1949年)4月から12月まで連載された。作者は、『本陣殺人事件』で曲がりなりにも「密室殺人」を書くことができた、今度はどうしても「顔のない死体」を書きたい、それも犯人と被害者の入れ替わりという公式的な結末以上の結末となる作品を書きたいとのことから、まず1947年12月に雑誌『小説』に中編『黒猫亭事件』を発表した。しかし、この作品では他のトリックを組み合わせたことで複雑になりはしたものの、従来の「顔のない死体」の公式に大きくはずれるものではなかった。そこで、改めて犯人と被害者の入れ替わり以上の結末となる作品に挑戦したのが本作である。しかし、本作の連載途中の1948年6月に高木彬光著『刺青殺人事件』が雑誌『宝石』に掲載され、同じトリックを考えていた作者は本作のデッサンを修正せざるを得なくなってしまった。以上のような経緯によるものか、本作の評価・人気は「岡山編」の中では比較的に低いものではあるが、戦前の作品に共通する草双紙趣味や妖異な雰囲気、露悪的ともいえる通俗性により前作までの『本陣』『獄門島』に比べドラマ性が高いことから支持するファンも多く、また結末の意外性に秀でた作品である。横溝には神戸二中時代に西田徳重という探偵小説マニアの友達がいたが、中学卒業後の秋に早世してしまった。横溝はその縁で兄の西田政治氏と文通するようになっていた。横溝は昭和20年(1945年)8月15日の日本敗戦後、疎開先ですることがなく、「本格探偵小説の鬼であった」といい、小さなトリックを、つぎからつぎへと思いついては悦に入っていた。さきの西田兄弟はそろって本格探偵小説ファンで、兄の政治氏は「G・Iが売り払っていった古本が、古本屋に山のようにある」と、ポケット・ブックを疎開先にあとからあとから送ってくれた。横溝の本格熱はますます火に油を注がれ、西田氏の送ってくれた本の中に「ガードナーの『夢遊病の姪』があった。これがのちに私の『夜歩く』になった。」と語っている。『横溝正史シリーズII・夜歩く』は、TBS系列で1978年7月22日から8月5日まで毎週土曜日22:00 - 22:55に放送された。全3回。毎日放送・東宝。『名探偵・金田一耕助・夜歩く女』は、テレビ朝日系列の2時間ドラマ「土曜ワイド劇場」(土曜日21:02 - 23:21)で1990年9月1日に放送された。にっかつ撮影所。

出典:wikipedia

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