ペニー・ジョーダン(Penny Jordan〈本名:ペネロープ・“ペニー”・ハルサル (Penelope "Penny" Halsall) 、旧姓:ジョーンズ (Jones) 〉、1946年11月24日 - 2011年12月31日)は、200作以上のロマンス小説を上梓したイギリスのベストセラー作家。キャロライン・コートニー名義でリージェンシー・ロマンス(摂政時代)を、ペニー・ジョーダン名義で現代ロマンスを、アニー・グラブス名義で歴史ロマンスを執筆している。グラブスは母親の旧姓である。ほかに、メリンダ・ライトやリディア・ヒッチコックという名義も使用する。著作は世界中で何か国語にも翻訳され、発行部数は7000万部以上に上る。1946年11月24日、イングランド西部ランカシャー・プレストンに、アンソニー・ウィン・ジョーンズと妻マーガレット・ルイーズ(旧姓:グラブス)の間の3人姉弟の長女として生まれる。弟のアンソニーと妹のプルーデンスがいた。子供の頃から読書家で、母が父の書斎の本を入れ替えるために地元の図書館に行く時には、児童コーナーで1人で時間を潰していたという。初めて物語を作ったのは8歳の時で、幼い妹に寝る前に読み聞かせるためだった。好きな作品は、ジェーン・オースティン、、ジョージェット・ヘイヤー、チャールズ・ディケンズ、ウィリアム・シェイクスピアの演劇、詩、聖書である。ミルズ&ブーン社の女性雑誌でシリーズものの作品を読んで、当時11歳だったが、ヒーローに恋をし熱心なロマンスのファンとなった。ロッチデールのグラマースクールで英語・英文学・地理の成績がOレベル (O=Ordinary) となり中退した。その後、マンチェスターで速記タイピストとなり、14年間勤めた。会計士のスティーヴ・ハルサルと結婚、子供には恵まれなかったがたくさんの子の名付け親となり、姪や甥も多くいた。夫は癌で他界した。2011年12月31日、イングランド・チェシャーで癌により65歳で死去。20代前半の頃は自分で楽しむために書き物をしていたが、30歳になってから夫の勧めと支えで真剣に取り組むようになる。決して余裕があるとは言えない生活の中から、夫が自分のために買ってくれた小さな電気タイプライターで処女作の執筆をし、が主催するコンペティションに参加した。勝つことはできなかったが、エージェントに新しいタイプのジョージェット・ヘイヤーだと見いだされ、R・N・Aと契約した。1979年3月、キャロライン・コートニー名義で処女作"Duchess in Disguise" を上梓し、同じ年にさらに4冊の作品を刊行した。そのペンネームで1986年までに25作のリージェンシー・ロマンス作品を上梓した。1981年から1983年にかけて、コロンバイン・ハウスからメリンダ・ライト名義で3作、リディア・ヒッチコック名義でスリラー作品を2作上梓。1981年、ペニー・ジョーダン名義の処女作"Falcon's Prey" をミルズ&ブーン社から上梓して以降、同社及びハーレクイン社から167作を上梓、売り上げは世界中で約7000万部に上った。2003年からアニー・グラブス名義で歴史ロマンスの執筆を再び始めた。作品のインスピレーションは自身の家族の思い出などから得ている。『この愛を諦め』(原題:"Ellie Pride" )では祖母エルジー・ジョーンズに聞かされた話を元に執筆した。複数の著者によって書き継がれているシリーズ。邦訳はペニー・ジョーダン名義で刊行されている。
出典:wikipedia
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