野尻 抱影(のじり ほうえい、本名・正英(まさふさ)、1885年11月15日 - 1977年10月30日)は日本の英文学者、随筆家、天文民俗学者。早稲田大学文学部英文学科卒業。準惑星である冥王星の和訳命名者。古今東西の星座・星名を調べ上げたことから 「和製アレン」 とでも言うべき存在でもあった。とくに、星の和名の収集研究で知られる。日本各地の科学館やプラネタリウムで行われる、星座とその伝説の解説には、野尻の著作が引用されることが多い。若くして文学に興味を持ち、小泉八雲に傾倒した。星の和名の収集を始めたのは40歳を過ぎてからであった。「抱影」という雅号は、早稲田大学文学部在学中、文芸誌「白百合」に作品を掲載するにあたり前田林外が金剛経の一節「夢幻泡影」から考案し、岩野泡鳴、相馬御風と相談して決めたものである。父政助は、江戸時代に道成寺の山門の再建や本堂の修復などを手がけた宮大工・仁兵衛の子孫にあたり、嘉永3年(1850年)5月27日、紀伊国日高郡藤井村(現和歌山県御坊市藤田町)で源兵衛の長男として生まれ、19歳の時に明治維新を経験して「狭いふるさとを出て、広い世界で活躍したい」と、和歌山市の倉田塾(吹上神社の神主・倉田績の家塾)に入り、その後日本郵船に入社、勤勉実直な人だった。末弟に作家の大佛次郎。妻は宗教家・教育者・言語学者として知られる大島正健の三女・麗。大島の妻、すなわち野尻の義母・千代は日本にサケ・マス孵化事業を導入・推進したことで知られる伊藤一隆の妹にあたる。若いころ、中学生向け学習雑誌の編集をした。また心霊現象に関する外国書籍の英訳等がある。天文学の啓蒙を熱心にするようになってからは、星に関連した民俗学的な研究書、星の和名辞典、世界中の星座・星名・神話に関する紹介書、星座・星名・神話の一般向けまたは学生向けの啓蒙書、天文愛好家としてのエッセイ集、同好会情報誌等に分類される書籍の類を執筆した。そのため著書・訳書の数は非常に多い。
出典:wikipedia
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