熊坂 学(くまさか まなぶ、1977年5月17日 - )は、将棋棋士。中原誠十六世名人門下。棋士番号は244。宮城県仙台市出身。第30回(2001年度後期)三段リーグで、13勝5敗で大平武洋に次ぐ2位に入り、24歳で四段昇段。三段リーグでは、当時中学3年生で後に永世竜王となる渡辺明と2度対戦し、いずれも勝利した。しかしプロ入り後は本来の実力が発揮できず、順位戦では初参加の第61期(2002年度)から3期連続で降級点を喫し、順位戦の制度上最短記録・最年少記録(27歳)でフリークラスに陥落してしまった。成績は第61期で2勝8敗(45人中43位)・第62期で3勝7敗(44人中37位)・第63期で2勝8敗(47人中44位)。B級2組以下の順位戦が1期あたり10戦に定着した第27期(1972年度)以降の、初参加期順位戦における最少勝数の記録でもある。2005年度の第31期棋王戦予選決勝で、中座真五段に勝ち、本戦に出場。現役13年において、タイトル戦挑戦者決定の本戦出場はこれが唯一である。2010年10月8日、竜王戦6組昇級者決定戦(3位決定戦)で櫛田陽一に勝って5組昇級を決め、竜王戦・順位戦を通じて棋士人生初の昇級。2014年5月22日、竜王戦5組残留者決定戦で川上猛に破れ6組に降級。2014年8月3日(放送日)、NHK杯将棋トーナメントに初出場。1回戦で香川愛生と対戦。香川の師匠であり、解説者であるにもかかわらず中村修九段が熱中のあまり、思わず「熊坂、金を取れ、よし、取った!」と声を出すほどの熱戦を繰り広げ、96手で全棋士参加棋戦における本戦(トーナメントまたはリーグ)での初勝利を挙げた。11月23日(放送日・対局は後述の森内戦の前)の2回戦も、他棋戦で6連勝後(本人は「最近、少し調子がいい」とインタビュー時に謙遜して答えていた)の収録であったためファンの注目を集めたが、惜しくも畠山鎮七段に敗れた。2014年10月22日、第56期王位戦予選2回戦で森内俊之竜王に勝利。フリークラス所属の棋士がタイトルホルダーに勝利したのは2008年に銀河戦本戦トーナメントで中原誠永世十段が羽生善治名人に勝利して以来6年ぶり。自己の最高位が順位戦C級2組のフリークラス棋士がタイトルホルダーに勝利したのは2005年に銀河戦決勝トーナメントで櫛田陽一六段が佐藤康光棋聖に勝利して以来9年ぶり。中原・櫛田はいずれも自らの意志で転出(宣言)したフリークラスだった為、順位戦C級2組で降級点3個を累積しフリークラスに編入した棋士としては史上初であった。2015年4月1日、フリークラス入りから10年が経過し、その間に規定の成績を残せず、連盟より引退(最終対局日は未定)が発表される。5月7日、第28期竜王戦6組昇級者決定戦2回戦で石井健太郎に敗れ、現役引退となった。1994年4月に順位戦制度及びフリークラス規定が現行のものになって以降、四段昇段から最短の13年1ヶ月、棋士番号200番台の棋士として初めて、21世紀に四段昇段した棋士としても初めての現役引退となった。日本将棋連盟のサイトには、「上記の復帰規定に該当する成績を取れずに、編入後10年間(4月1日付転入・昇段の場合は満10年、10月1日付昇段の場合は10年6ヶ月)経過、もしくは満60歳の誕生日を迎えた年度が終了した場合は引退となります。」とある。しかし、年度をまたいだ棋戦については引退が決定した後にも対局がある場合が出現(例:有吉道夫)し、年度末で引退させると年度開けの対局が不戦敗となり、棋戦運用上不都合が生じた。そのため、日本将棋連盟はルールを変え、「引退は決定しているが引退日は最終対局日」という内容の告知を行うようになった。熊坂の場合も4月以降に竜王戦の対局が決まっていたため、4月1日に日本将棋連盟のサイトに「熊坂 学 五段(フリークラス棋士規定により) 引退日付・最終対局日 未定」という告知がなされた。しかし、それに前後する、3月23日の産経新聞および4月2日の読売新聞では5連勝すればC級2組に昇級する、もしくはそう解釈できる記載がなされた。実際には2015年度に5連勝はできず引退したため、上記の記事が正しかったのかは不明である。棋士間での愛称は「クマー」ではなく「くま君」である。2006年から2010年12月まで日本将棋連盟のレディースセミナー講師として活動。奨励会時代の1995年から都内に居住していたが、2010年秋より故郷である仙台市に転居した。2011年1月より、自身のTwitterを開設。自身の趣味や私生活に関する投稿が多い。同年3月11日の東日本大震災で被災した際には、無事の報告と被災者を激励する為に活用した。被災生活の最中にあった2011年5月7日に、第69期名人戦第3局(森内俊之九段対羽生善治名人)が行われた際は、同じ被災地の郡山市において大盤解説会を行った。将棋の普及活動とくに子供たちへの指導・啓蒙に熱心であり、全国のヤマダ電機店舗で2011年9月より開催されている、日本将棋連盟公認の「こども将棋教室」においては、テックランド仙台東店担当講師として活動している。2014年5月24日、仙台市青葉区のフォレスト仙台にて杜の熊さん将棋教室を開講。2005年、瀬川晶司のフリークラス編入試験の試験官(対局者)を務めると発表されたが、「連絡の行き違いのため」として熊坂の兄弟子である高野秀行に交代となった。『瀬川晶司はなぜ棋士になれたのか』 によると、当事者への連絡が無いまま試験官を熊坂らが務める旨の発表がなされ、瀬川の親友の野月浩貴が熊坂に確認をとったところ「なぜ自分なのか」と言われたという。その高野はプロ試験六番勝負の第5局で瀬川に敗れ、この結果瀬川は3勝2敗でプロ入りを認められることになった。ちなみに、瀬川のプロ入り後、熊坂は瀬川に対して3連勝していたが、2014年8月13日に行われた第86期棋聖戦一次予選で初黒星を喫した。
出典:wikipedia
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