『路上の霊魂』(ろじょうのれいこん)は、1921年(大正10年)に製作・公開された日本映画である。松竹キネマ研究所の第1回作品で、松竹キネマ合名社が配給した。ヴィルヘルム・シュミットボン()の『街の子』(森鴎外訳)とマクシム・ゴーリキーの『夜の宿(どん底)』(小山内薫訳)を原作に、牛原虚彦が脚本を執筆した(牛原は茂原熊彦名義で出演もしている)。松竹キネマ研究所所長の小山内薫が製作総指揮にあたり、自ら出演もした。監督は村田実で、彼の監督作品の中で現存している2作の内の1作である。また、島津保次郎が助監督と光線係を務めている。1920年(大正9年)冬頃から軽井沢でロケが行われた。しかし、撮影開始直後に小山内が急病で倒れたため、撮影は一旦中断され、翌年から再開された。しかし、完成直後に今度は村田が大病に罹り、牛原の母、水谷文二郎と島津の父が急逝するという事態になった。1921年(大正10年)4月8日、徳川夢声の説明で赤坂第一松竹館で封切られた。2つの物語を並行的に描く手法や、寛容と不寛容を主題としていることから、『イントレランス』の影響を受けているとみられるが、バタ臭さが目立ち、実験的試みの域を出ることができず、興行的にも不振に終わった。しかし、歌舞伎や新派の影響を完全に受けていた従来の日本映画とは全く異なる、画期的な作品となり、後の日本映画界に少なからずも影響を与えた。現在、作品は完全な形で現存しており、東京国立近代美術館フィルムセンターが所蔵している。そのため松竹映画の中で現存するもっとも古い作品となっている。2005年(平成17年)にポルデノーネ無声映画祭で上映された。山奥で伐材所を経営している旧家の老人には、ヴァイオリニストになることを夢見て、許婚を置いて家出した息子(浩一郎)がいた。東京に出た浩一郎は、演奏を批判した評論家相手に暴力事件を起こし、音楽界を追われる。結婚し、一女を授かるが、生活に困り、妻・娘を連れて故郷に戻ろうとする。その途中で、出獄したばかりの二人組の男に出会い、パンを恵んでもらう。浩一郎らは二人組と別れた後、父の元をたずねるが、許してもらえない。浩一郎らは寒い中、納屋に泊まることにする。一方、二人組はクリスマスパーティーの準備が整った別荘に忍び込み、パンを盗もうとするが、別荘番に見つかってしまう。しかし、肺病を病んでいる姿を憐れんだ別荘番は令嬢の許しを得て二人をパーティーに招待する。その令嬢は伐材所の少年(太郎)がパーティーに来るのを待っていた。その頃、浩一郎は父が許してくれないため、1人で納屋を離れる。太郎が老人の姪(浩一郎の元許嫁)と納屋に行ってみると、娘は凍死していた。翌朝、改心した二人の男と別荘番は、凍死した浩一郎を発見する。令嬢は太郎にプレゼントを渡しに行った。令嬢と太郎は「憐み」の心があれば浩一郎らも救われたのではないか、と考える。
出典:wikipedia
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