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名草郡

名草郡(なぐさぐん)は、和歌山県(紀伊国)にあった郡。『日本書紀』神武天皇即位前紀の「名草邑」を別として、『続日本紀』大宝3年(703年)5月9日条に「紀伊国奈我・名草の二郡をして布の調を停めて糸を献らしとむ……」とあるのが、郡名の初見とされている。『和名類聚抄』によると、名草郡は紀伊国の国府の所在郡で、その地は現和歌山市府中に比定される。紀家蔵の『国造次第』は郡の開設を19代紀伊国造紀忍穂によるとし、忍穂の冠位が大山上であることから、孝徳天皇期(645年-654年)の建郡と推測される。郡名の由来について、『続風土記』には「其名義は詳ならずも或説に渚の義ならむといへり」と記す。また、古代の名草郡は伊勢国渡相郡(度会郡)、伊勢国竹郡(多気郡)、安房国安房郡、出雲国意宇郡、筑前国宗像郡などとともに、孝徳天皇期から天武天皇期にかけて順次設置されたとされる八神郡の1つに数えられていた。日前神宮・國懸神宮の所在地として重んじられ、養老7年(723年)11月16日には郡司に近親者の連任が許されている。一般に郡を治める郡司に近親者を続けて任命することは禁止されていたが、名草郡では神社を代々まつってきた紀氏が重視されたものである。『和名類聚抄』高山寺本・東急本に記される郡内の郷。名草郡には多数の式内社が分布したことにより、郡内には多くの神戸が存在した。郷とそれら神戸との混同により、『和名類聚抄』でも諸写本で郷名に多くの錯乱が生じている。以上のほか、『和名類聚抄』に見えない地名では「宇治郷」「宇治保」「片岡里」「埴生里」などがある。『延喜式』神名帳に記される郡内の式内社。名草郡には紀伊国の半分以上の神社が記載されており、それらの中心は紀伊国造家の奉斎する日前神宮・國懸神宮であった。1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。なお、1879年の和歌山区設置以前は、和歌山城下のうち、現在の西蔵前丁、東蔵前丁、杉ノ馬場、元博労町、橋丁、寄合町、十三番丁、西汀丁、南汀丁、一番丁、岡山丁、藪ノ丁、片岡町、鷹匠町以東を郡域に含んだ。なお、徳川御三家の城下町である名古屋市・和歌山市・水戸市はいずれも県庁所在地になっており、名古屋・水戸は旧郡名から採った「愛知県」「茨城県」となっているが、和歌山は都市名から採った「和歌山県」となっている。

出典:wikipedia

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