第16回衆議院議員総選挙(だい16かいしゅうぎいんぎいんそうせんきょ)は、1928年(昭和3年)2月20日に投票された衆議院選挙。昭和改元後初となる総選挙で、1925年(大正15年)に公布された普通選挙法に基づく最初の総選挙であるので、別名第1回普通選挙と呼ばれる場合もある。普通選挙法成立以前には、選挙権は直接国税3円以上を納税する成人男性に限定されていたが、大正デモクラシーの勃興、第2次護憲運動によって成立した加藤高明を首相とする護憲三派内閣によって、納税額による制限選挙は撤廃され、25歳以上の成年男性による普通選挙が実現した。なお、日本における普通選挙は、既に1925年において、地方議会選挙で導入されており、市では、北海道札幌市、旭川市、室蘭市、小樽市、函館市、静岡県浜松市、町村では、京都府舞鶴町、新潟県庄瀬村、岡山県鴨方町など15町村で実施されている。日本最初の普通選挙ということで、当時は、与党が内務大臣の指揮にある内務次官、警保局長、警視総監(いわゆる内務三役)を使い、選挙に干渉し与党側を勝利させるのが常識であった。事実、田中義一内閣は鈴木喜三郎内相のもと、大規模な選挙干渉を行っている。これに対し、野党の立憲民政党は選挙革正委員会を党内に設置し、選挙干渉に対抗している。選挙の結果、与党の立憲政友会は218議席、野党第1党の立憲民政党は216議席とどちらも過半数を得られない「ハング・パーラメント」(宙ぶらりん議会)となり、残る32議席がキャスティングボートを握る情勢となった。また、労働農民党(労農党)、日本労農党、社会民衆党、日本農民党のいわゆる無産政党、無産諸派が、候補者を擁立し、選挙戦を戦い8議席を得た。田中内閣は、普通選挙によりこれら無産政党を合法化した一方で、総選挙後の1928年3月15日、治安維持法により、日本共産党を弾圧した(「三・一五事件」)。
出典:wikipedia
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