羽田アクセス線(はねだアクセスせん)は、1981年に神奈川県、横浜市、川崎市が発表した、新横浜駅 - 川崎駅 - 羽田空港間の空港連絡鉄道。大部分は構想のみで終わったが、一部は神奈川東部方面線や京急大師線の連続立体化事業に受け継がれて着工した。「新横浜川崎羽田線」、「都心部機能強化線」とも呼ばれていた。神奈川県、横浜市、川崎市が構成する「羽田アクセス協議会」が、立案と政府や鉄道事業者への働きかけを行っていた。1982年から1983年の調査ではモノレールやAGT等の新交通システムでの建設が考えられていた。1983年2月に鶴ヶ峰駅で相鉄線に接続することが決定すると、相鉄いずみ野線との相互直通運転を視野に、鉄道規格での建設も検討されるようになった。1985年7月、運輸政策審議会答申第7号にて、「二俣川から新横浜を経て大倉山・川崎方面へ至る路線」と位置付けられた。しかし以後は羽田空港へアクセスする意味合いが薄れ、神奈川東部方面線と呼ばれることが多くなった。1998年4月、正式に「羽田アクセス協議会」が「神奈川東部方面線協議会」に改称。2000年1月、運輸政策審議会答申第18号にて新横浜駅 - 川崎駅が削除され、名実ともに「羽田アクセス線」ではなくなった。
出典:wikipedia
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