恵那山(えなさん)は長野県阿智村と岐阜県中津川市にまたがる、木曽山脈(中央アルプス)の最南端の標高2,191 mの山である。日本百名山及び新・花の百名山に選定されている。濃尾平野の広範囲の地域から、その大きな櫛形の山容を望むことができる美濃の最高峰である。山頂の標高2,191 mの最高点の南東には、一等三角点、展望台、恵那神社奥宮本社がある。山頂展望台は、周囲にトウヒやコメツガなどの背が高い針葉樹林があるため、展望はあまり良くない。中津川の支流である黒井沢からの登山道と主稜線の合流点には、恵那山頂避難小屋があり、その裏の岩場からは、北アルプス、中央アルプス、南アルプス、富士山などの展望が得られる。北東には、山体を貫く形で中央自動車道の恵那山トンネルが通っている。北山麓には中山道の馬籠宿と妻籠宿がある。馬籠で生まれ育った島崎藤村が幼少時代に眺めていた山であり、『夜明け前』で描かれている。また、プロレタリア文学の葉山嘉樹のセメント樽の中の手紙にも登場する。古くは胞山、胞衣山とも書かれ、また角度により船を伏せたように見える事から舟覆伏山 (ふなふせやま) などとも呼ばれた。吉蘇志略で「天照大神がここで降誕され、その胞衣(えな)がこの山に埋められた」と記載されており、これが山名の由来とされている。信州側では「野熊山」とも呼ばれていた。山の上部はウラジロモミ、コメツガ、トウヒなどの針葉樹林帯である。江戸時代の初期までは西面がヒノキやモミなどの美林であったが、その後の乱伐により荒廃した。他の斜面では、林道が整備されスギやカラマツなどが植林されている。登山道では、イワウチワ、サラサドウダン、シャクナゲ、ショウジョウバカマ、ズダヤクシュ、バイカオウレンなどの花が見られる。恵那山周辺地域ではこの山に天照大神が産まれた時の胞衣 (えな) を納めたという伝説が残っており、この山の名前の由来ともなっている。また古事記で日本武尊が科野峠 (神坂峠) で拝したのも恵那山の神である。江戸時代中期には毎年修験道者が礼拝に訪れ、前夜に恵那神社で禊ぎをして登山を行っていた。また明治から大正時代にかけては道路や登山道が整備された事により恵那講が流行し、白装束を来た一般人が多く訪れるようになった。現在、恵那山山頂の恵那神社奥宮には 7 つの社が置かれている (以下黒井沢ルートから見た順序)。麓の中津川市の川上には恵那神社がある。毎年4月29日頃に、富士見台高原の神坂小屋付近にて、阿智村と合同で安全を祈願する開山祭が開催されている。1893年(明治26年)5月11日に、英国人のウォルター・ウェストンが恵那山に登り、恵那山を全世界に紹介した。これを記念して、毎年5月11日に中津川市観光協会により、ウエストン祭が開催されている。冬期には積雪があり、春先の残雪期にも注意が必要である。周辺には以下の山小屋があり、萬岳荘の他は無人の避難小屋である。木曽山脈(中央アルプス)南部の主稜線上にある。北の富士見台高原との鞍部には、東山古道であった神坂峠がある。以下の主な源流の河川は、伊勢湾と太平洋へ流れる。三角点付近は針葉樹林に覆われているため、その横に設置された展望台からは良好な展望が得られない。恵那山頂避難小屋の裏の岩場などからは、中央アルプスや伊那谷、南アルプス、富士山などを望むことができる。
出典:wikipedia
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