柳田 真孝(やなぎだ まさたか、1979年(昭和54年)6月4日 - )は、東京都出身のレーシングドライバー。幼少よりカートレーシングを始め、1993年にカートレースにデビューする。1996年に全日本カート選手権デビュー、翌1997年には、立川祐路と同じくエルフ(現TOTAL)のスカラシップを獲得して渡仏する。その後、フランス・フォーミュラ・キャンパスに出場し、開幕戦優勝を果たすなど活躍した。1998年にはフランス・フォーミュラ・ルノーにシリーズ参戦する。1999年には日本へ帰国し、フォーミュラ・ドリーム(~2000年)に参戦、共にシリーズ2位となる。2001年より全日本GT選手権(現SUPER GT)・GT300クラスにフル参戦を開始する。2001年は長谷見昌弘率いるハセミ・モータースポーツよりシルビアで参戦。第2戦・第4戦・第6戦と2位3回でシリーズ4位。2002年も同様の体制で参戦し、第3戦で初優勝を飾り、シリーズ3位。2003年にはフェアレディZ に車種変更し、待望のGT300クラス・シリーズチャンピオンを獲得した。2004年は、ダイシンに移籍してGT300クラスに引き続き参戦したが、シリーズ6位で終わる(PP獲得2回)。2005年よりGT500クラスにステップアップし、NISMOよりフル参戦した。GT500初の開幕戦は予選でポールポジションを獲得したが、スタートに失敗して順位を3位に下げてしまった上に後方の車と接触し、スピンしコースアウトするなど散々な結果に終わる。その後は立ち直り、パートナーのミハエル・クルムの力もありチャンピオン争いに絡むもシリーズ5位に終わった。2006年は、新たにGT500クラスに参戦した近藤真彦率いるKONDO Racingに移籍した。ベテランエリック・コマスとコンビを組んだが、新規に装着したヨコハマタイヤのタイヤ開発がうまく進まず苦戦を強いられた。なお、この年から全日本選手権フォーミュラ・ニッポンにも参戦。チームは、SUPER GTと同じくKONDO Racingでシリーズ14位に終わる。2007年は、SUPER GT(GT500クラス)・フォーミュラ・ニッポン・スーパー耐久(ST-class1)に参戦したが、特筆すべき成績は残せなかった。GTでは古巣のハセミ・モータースポーツに復帰し、ホンダから移籍のセバスチャン・フィリップとコンビを組んだ。フォーミュラ・ニッポンは引き続きKONDO Racing、スーパー耐久はPETRONAS SYNTIUM TEAMからそれぞれ参戦した。2008年は、それまでの成績不振が響きフォーミュラ・ニッポンのシートを失ったが、GTでは再度NISMOに移籍し、2005年と同じミハエル・クルムとコンビを組み参戦した。なお使用車両はGT-Rに変更となった。開幕戦の鈴鹿でピットアウト直後にGT300のマシンが絡んだ際に接触し、本山哲の先行を許し、新型GT-Rのデビューウィンを自らが飾ることは成らなかった。この後第4戦のセパンでARTA NSXの伊沢拓也に接触を受け、伊沢のペナルティによって首位に立つも、柳田がステアリングのスイッチを押し間違え、ピットロード用のリミッターを作動させるミスを犯し(セパン戦直前にドリンク吸引用のスイッチとリミッターのスイッチが入れ替わっていたのだが、柳田が失念していた)、KONDO Racingの荒聖治にパスされ、ここでも優勝を逃した。最終戦までチャンピオンの権利を有していた物の、この年は同じNISMOの本山、トレルイエ組が王座を獲得し、シリーズ7位に終わった。2009年は、MOLAに移籍し、再びSUPER GTのGT300クラスに参戦し、1勝を挙げたもののシリーズ7位に終わった。2010年は、ハセミ・モータースポーツに三度移籍し、星野一樹とのタッグでGT300クラス・シリーズチャンピオンを獲得した。2011年は、MOLAに再び移籍し、SUPER GTのGT500クラスに、インパルから移籍したロニー・クインタレッリとパートナーを組んで参戦した。チームは初のGT500クラスへの参戦であったが、使用したミシュランタイヤの性能が他社を上回ったこともあり、シリーズを優位に進めるに至った。第4戦のSUGOラウンドで、念願の500クラスでの初勝利を挙げた。その後もランキングトップは維持していたが、NISMOの本山、トレルイエ組が猛追し、タイトル争いは最終戦のもてぎまでもつれ込んだ。柳田は終盤に本山に首位を明け渡したものの2位に入り、自身初のGT500クラス・シリーズチャンピオンを獲得した。なお、GT300・GT500の両クラスをまたぐ形の連覇は史上初である。2012年も、MOLAからクインタレッリとのコンビでGT500クラスに参戦。序盤3戦こそ苦しんだが、第4戦のSUGOでの3位を皮切りに5戦連続表彰台と他を圧倒。第5戦の鈴鹿1000㎞でポールトゥウィンを挙げると、第6戦の富士では2位に入り、そして第7戦の九州ラウンドで再び勝利し、この時点での王座を確定させた。500クラスで最終戦前に王座を獲得したのは、2007年にARTA NSXの伊藤大輔、ラルフ・ファーマン組以来5年ぶりで、また史上初の同一コンビによるシーズン2連覇も達成した。最終戦のもてぎでも2位に入り、有終の美を飾っている。2013年は、クインタレッリとともにNISMOへ再び移籍。柳田、クインタレッリの移籍に合わせて、NISMOもタイヤをブリジストンから、ミシュランへ変更する。開幕戦岡山、第4戦菅生、第5戦鈴鹿と表彰台に上がるも、シーズンを通して苦戦し、シリーズ6位に終わり、同一コンビでのGT500シリーズチャンピオン3連覇達成はならなかった。また2014年からのDTMとの車両規則統合にともない、クインタレッリとともに、2014年導入予定のGT-R NISMO GT500の開発ドライバーを務めた。2014年はNISMOからMOLAに復帰。パートナーも3年コンビを組んだ、クインタレッリから、本山哲に変わる。第3戦九州では2位、初開催となった第7戦タイではパートナーの本山哲がポールポジションを獲得するなど、シーズンを通して速さを見せたものの、相次ぐマシントラブルに見舞われ、結果を残せずシリーズ11位で終わる。シーズン途中には、ブランパン耐久シリーズ第4戦スパ24時間レース、プロアマクラスにNISSAN GT Academy Team RJNよりスポット参戦をし、総合38位 クラス19位でレースを終えた。2015年も、2014年に引き続いて、MOLAより本山哲とのコンビでSUPER GTに参戦。第3戦タイで、2012年第7戦AP以来、2年半ぶりに優勝。第6戦SUGOも2位表彰台に上がったが、その後は苦戦しシリーズ6位に終わる。SUPER GTのほか、アジアン・ル・マン・シリーズのLMP3クラスにTEAM AAIより参戦。またスーパー耐久(ST-Xclass)開幕戦もてぎに、GTNET MOTOR SPORTSよりNISSAN GT-R NISMO GT3でスポット参戦をした。2016年は、KONDO Racing(#24 フォーラムエンジニアリング ADVAN GT-R)に移籍。佐々木大樹選手と組んで、SUPER GT、GT500クラスに参戦することが発表された。ちなみに、父の柳田春人も元日産ワークスのレーシングドライバーで、現役当時は「Zの柳田」「(フェアレディ)Z使い」「雨の柳田」と呼ばれていたことから、一部では「二代目Zの柳田」「二代目Z使い」と呼ばれている。
出典:wikipedia
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