モンチェニージオ()は、イタリア共和国ピエモンテ州トリノ県にある、人口約40人の基礎自治体(コムーネ)。モン・スニ峠(モンチェニージオ峠)南麓に位置する、フランスとの国境の村である。2012年1月1日現在のコムーネ人口は42人で、ペデジーナ(ソンドリオ県)、モルテローネ(レッコ県)に次いでイタリアで3番目に少ない。この集落のもともとの名はフェッレーラ()で、コムーネの名称は1940年の終わりまでフェッレーラ・チェニージオ()であった。1960年代の終わり、モンチェニージオ・ダムが建設された際に、コムーネの名はフェッレーラから現在のモンチェニージオに変更された。トリノ県西部、ヴァル・ディ・スーザの支脈にあたるチェニスキア渓谷に位置するコムーネである。トリノからは70km離れている。かつてはフェッレーラと呼ばれた集落は、アルプス越えの主要道路であったモン・スニ峠(モンチェニージオ峠)の南側、旧街道沿いに所在しており、チェニスキア川に沿って広がっている。コムーネには2つの自然の池がある。隣接するコムーネ、およびそれに相当する行政区画は以下の通り。FRで始まるものはフランス領で、FR-73はサヴォワ県に属する。フェッレーラをはじめとするチェニスキア渓谷の村々歴史は、モン・スニ峠(モンチェニージオ峠)の歴史でもある。16世紀頃、モン・スニ峠の交通が増加すると、旅人に対する宿泊所や休憩所の提供、馬車の修理や蹄鉄や交換などといった、様々な仕事の需要が増大した。1800年頃のフェッレーラ集落には300人ほどが暮らし、4軒の宿屋が営業しており、多くの村人が同行ガイドやポーター、荷馬の賃貸、御者などの形で峠越えの交通と結びついて暮らしていた。また、牧畜業も営まれていた。19世紀初頭、ナポレオンがモン・スニ峠越えの街道を改良して新道(現在の国道25号線)を建設すると、チェニスキア渓谷の村々は衰退する。新道は集落内を通らず、またガイドやポーターの必要も少なくなったのである。当初は道路工事に従事していた人々であったが、牧畜業に回帰したり、あるいは村の外の標高の低い地域へと移り住んでいった。1860年、サルデーニャ王国(翌年にイタリア王国となる)はサヴォワ地方をフランスに割譲したため、モン・スニ峠は国境となった。周辺地域では多くの要塞建設が進められた。1947年、第二次世界大戦の講和条約であるパリ条約で、イタリアは峠の南東側の領域(集落を除くこのコムーネの大部分)をフランスに割譲した。1960年代の終わり、フランスによってモン・スニ(モンチェニージオ)に巨大なダムが建設された際に、このコムーネの名はフェッレーラから現在のモンチェニージオに変更された。
出典:wikipedia
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