III号突撃砲 (さんごうとつげきほう、独:Sturmgeschütz III、略称:StuG III) は、第二次世界大戦中にドイツで開発された突撃砲。制式番号は Sd.Kfz.142 または 142/1。III号戦車を流用した突撃砲である。突撃砲は、第二次世界大戦中のドイツにおける主力装甲戦闘車両の一つである。当初は歩兵戦闘を直接支援する装甲車両として設計され、III号戦車の車台を流用して製造された。歩兵に随伴して進撃し、敵の防御拠点を直接照準射撃で撃破することを目的とする兵器であるため、所属は戦車部隊ではなく砲兵科に属する。終戦までに派生形などを含め約10,500輌が製造されたが、これは第二次世界大戦でドイツが製造した装甲戦闘車両中、最大の生産数である。戦車と突撃砲の決定的な相違は機動戦闘の任務に用いるか否かであった。突撃砲が狭い射界で攻撃範囲を制限されるのに比べ、戦車は回転式の砲塔を持ち、全周囲に対する砲の指向を行いながらの機動が可能であるため、目標を迂回しながら突破しつつ攻撃を仕掛けることができた。しかし突撃砲はこの種の機動攻撃には不適であり、歩兵の支援、堅陣地への攻撃、敵戦車に対する防御戦闘に投入された。直接援護されることが多い歩兵の側から見れば、陣地攻撃の支援から対戦車戦闘までこなす突撃砲は常に頼もしい存在であった。大戦中期以降は歩兵の最大の脅威が塹壕やトーチカから戦車へと対象が変化したことから、突撃砲もそれに倣うことになる。後期型は長砲身の75mm砲を搭載し、対戦車砲として運用された。前面装甲厚は80mmに強化され、敵の主力戦車を1,000メートル以上の距離から撃破することができた。特に東部戦線ではT-34から歩兵を守る最強の盾として信頼され、親しまれている。東部戦線に限らず、大戦後半のドイツ軍は守勢に回らざるを得ない場面が多く、図らずも突撃砲の投入条件に適していた。突撃砲開発の発端は、エーリッヒ・フォン・マンシュタイン大佐(当時)が1935年に新生ドイツ陸軍参謀本部に配属された際、歩兵師団に直射火力を付与するための突撃砲兵をルートヴィヒ・ベック上級大将に提案したことである。こういった経緯から、1936年6月15日にダイムラー・ベンツ社は75mm砲を搭載した歩兵支援装甲車輌の開発命令を受領した。搭載砲は左右の射角を少なくとも25度は取れること、乗員を保護するために上部構造の全面を装甲付きの完全密閉型、車輌の高さは当時のドイツ人男性の平均身長を超えないことなどが要求された。ダイムラー・ベンツ社は、その時点で直近に製造されていたIII号戦車の車台と走行・牽架装置を使用して開発を行った。試作車の製造はアルケット社が引き継ぎ、1937年にはOシリーズ StuG として、III号戦車Ausf.Bをベースにした試作車輌5輌が製造された。これは軟鋼による上部構造を持ち、クルップ社製の短砲身75mm砲 Sturmkanone (StuK) 37 L/24を搭載していた。1940年から量産が開始されるが、当初は単にStuGと呼ばれ、名称に「III」は付いていなかった。この突撃砲は対歩兵の近接戦闘支援を目的としていたので、初期のモデルは低初速の7.5cm StuK 37 L/24と榴弾を搭載していたが、後にドイツ軍がソビエトのT-34に直面するにあたり、高初速の7.5cm StuK 40 L/43(1942年春頃)または7.5cm StuK 40 L/48 (1942年秋頃) の長砲身砲を搭載するようになった。1943年、IV号戦車をベースにしたIV号突撃砲が開発されると、この車輌はIII号突撃砲と呼ばれるようになった。G型からは、対歩兵対策として防盾付きの7.92mm MG34機関銃を車体上部に取り付けた。後には車内から遠隔操作可能なタイプに変更されたが、生産が間に合わず未装備で前線に送られた物もあった。また後期には主砲と同軸にMG34を装備した車輌もあった。1944年、フィンランドは継続戦争(第二次ソ連・フィンランド戦争)用として、59輌のIII号突撃砲を受領した。戦闘において、8輌のIII号突撃砲が喪失、ないし行動不能に伴う乗員による遺棄処理となったが、その間に少なくとも87輌のソビエト軍戦車を撃破している。戦後、残存したIII号突撃砲はフィンランド軍の主力戦車に組み入れられた。また、チェコスロバキアは接収し装備していたIII号突撃砲をシリアに売却した。これらは1967年の第三次中東戦争 (六日間戦争) まで使われ続けている。III号突撃砲は、基本的にIII号戦車の車台をベースに作られているが、IV号戦車の牽架装置を応用したものも20輌のみ製造されている。この試みは野戦修理を簡易にするためであったが上手く行かず、このモデルはキャンセルされた。1942年、主砲を10.5cm榴弾砲に換装することが提案され、10.5cm突撃榴弾砲42 (10.5cm StuH 42、特殊車輌番号Sd.Kfz.142/2) が、歩兵支援用途のため、III号突撃砲F/8型とG型を元に量産された。StuH42は10.5cm le.FH.18軽榴弾砲を搭載、これを電気着火式に改修しマズルブレーキが取り付けられた。後期のモデルは主にIII号突撃砲G型の車台から製造されたが、同様にF/8型とF型の車台も使用された。マズルブレーキは1944年末から省略された。なお、右の写真のドイツのジンスハイム交通技術博物館に展示されるSturmhaubitze 42は、被弾により破壊された3号戦車の車体を戦後に博物館でStuH42に作り直したものと考えられる1943年、10輌のIII号突撃砲が主砲の代わりに火炎放射器を取り付けられ、StuG I (FLAMM) 火炎放射戦車とされた。これらの車台は製造時点でF型とほぼ同等のレベルに換装されている。戦闘で使用されたという記録はなく、全ての車輌は1944年に製造当時の状態まで戻され、III号突撃砲G型に再改修された。
出典:wikipedia
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