ダットサントラック (DATSUN TRUCK) は、日産自動車が生産、販売する小型商用車であり、2002年以降日本国内での販売はないが、中国をはじめ、アジア、中東、アフリカ、南米、大洋州諸国で販売が続けられているピックアップトラックである。10代目より「ダットサン」の名が外され、「ニッサン」ブランドに統一された。ダットサントラックの「ダットサン」とは、かつて日産自動車に存在した小型車専用「ブランド」で、ダットサントラックのみにその名を残していた。日本車の車名としてはもっとも長い歴史を誇る(日本国内向けにおいては10代67年)。通称は「ダットラ」。なお、3135型車は現在施行されている型式指定番号の1番を取得した自動車である。D21型以降、北米向けを「フロンティア」、欧州向けを「ピックアップ」、大洋州およびイギリス向けを「ナバラ」、南アフリカ向けを「ハードボディ」と、地域ごとに車名を使い分けている。1935年(昭和10年)7月、10T型発売。1937年(昭和12年)、17型発売。直列4気筒 722cc サイドバルブエンジンを搭載した。1943年(昭和18年)12月、生産終了。1946年(昭和21年)11月、1121型発売。1947年(昭和22年)、2225型発売。直列4気筒 722cc サイドバルブ 7型エンジンを搭載した。1951年(昭和26年)、6147型発売。直列4気筒 840cc サイドバルブ D10型エンジンを搭載した。1955年(昭和30年)1月、120型発売。1957年(昭和32年)11月、220型発表。エンジンとシャシは、同時に登場した210型と共通で、直列4気筒 OHV 988cc C型エンジン(34ps)を搭載。各部を強化し、120型系に比べ最大積載量が増加している。ボディーバリエーションは、トラックが標準ホイールベースで850kg積みの220型と、ロングホイールベースで1トン積みのG220型、それぞれに低床と高床フラット荷台が設定され、その他は、2ドアダブルシート(2列シート)5人乗り400kg積みのU220型ピックアップ、V220型2ドアライトバンの各型であった。1958年(昭和33年)1月、乗用車の210型と共に220型をロサンゼルスオートショーに出品、6月から北米への輸出が開始される。アメリカでは小型ボンネットトラック全般を「ピックアップトラック」と呼ぶため、ダブルシート型の「ピックアップ」(U220型)は輸出に際し「ランチセダン」(Ranch Sedan=牧場、農場のセダン)と言う車名になった。当時の日本車とアメリカ車の性能や品質には非常に大きな隔たりがあり、同時期に北米進出を果たしたトヨペット・クラウンRS型は、フリーウェイを走ればオーバーヒートを起こし、操縦安定性も危険なレベルとの烙印を押され、輸出を一時見合わせる事態に追い込まれていた。ダットサンは、フリーウェイを走行中にエンジンフードのロックが外れ、風圧で開いてドライバーの視界を遮る事故を起こすなど、トヨペットの「Toy」とならび「Tin toy」(ブリキのオモチャ)と揶揄されながらも、オースチン譲りの快活で信頼性の高いエンジンと、本来日本での悪路走行や過積載を考慮した頑強なフレームや脚まわりが功を奏し、次第にアメリカに受け入れられて行く。同年のマイナーチェンジで、フロントフェンダー上にあった方向指示器が前照灯下に移動し、フロントグリルの意匠が変更され、装備の充実や信頼性向上などの改良が行われて221型となる。1959年(昭和34年)、マイナーチェンジで222型となる。フレームをはじめ設計の多くを共有し、歩みを共にしてきたダットサン乗用車は、最終の212型まで4輪リーフリジッドのまま1959年(昭和34年)に310型系ブルーバードにモデルチェンジされたが、商用車はこのタイミングでモデルチェンジを受けずに220型系が継続生産される。1961年(昭和36年)の223型からフロントサスペンションがダブルウィッシュボーンの独立懸架となった。同時にエンジンが1,189cc、最高出力55HPのE型に変更され、ロングホイールベースのライトバンVG223型も追加された。1961年(昭和36年)8月、320型系発売。120型系をほぼそのまま受け継いだ220型系の旧態化に伴い、フレームとボディーが一新された。車型は、シングルキャブの「トラック」(320)、乗用車風ダブルキャブの「ピックアップ」(U320)、2ドアの「ライトバン」(V320)の3種で、トラックにはロングホイールベース(G320)と高床の設定があるなど、これまでのラインアップを踏襲しているが、ロングホイールベースのライトバンが廃止された。外観は310型系ブルーバードによく似ており、宣伝にも「ブルーバードムードのニュースタイル」とうたわれている。扱いやすく快活なエンジン特性と頑強なシャシと言う美点を受け継ぎ、さらに乗用車に近づいた居住空間と拡大された荷台(荷室)で市場の支持を得ることに成功し、またしても1t積トラックのベストセラーとなった。このシャシは、商用の320型系との相乗効果でやはり大ヒット作となった310型系ブルーバードのものを強化したもので、同じ系列のバリエーションとしては、これに補強のX型メンバーを加えたものがS310型系フェアレディとCSP311型シルビアに使われており、それぞれが高い評価を受けている。1963年(昭和38年)、マイナーチェンジ。フロントグリルを中心に意匠変更。ブルーバードは同年9月に410型系にモデルチェンジしている。1964年(昭和39年)、マイナーチェンジ。ターンシグナル兼用のフロントマーカーの形状が丸から、外側下の角を丸めた矩形へ変更され、それに合わせてフロントグリルも変更された。先代の320型系まではダットサン・セダンやブルーバードとパワートレインやシャーシの多くを共有し、不可分の関係にあったが、ブルーバードがフルモノコックボディーや高速型エンジンを採用するなどの進化を遂げたことで、ついに袂を分かつこととなった。1965年(昭和40年)5月、520型発表。前照灯は丸型2灯式。エンジンは水冷 直列 OHVの粘り強い1.3Lの「J13型」、トランスミッションは4速で、1速目が低められている。シフトレバーは前席3人乗りのため、コラムシフトであり、1速のみシンクロなし。シフトパターンはドライバー奥側上から1-2速、手前3-4速となっている。キャブのスタイルやインテリアは410系ブルーバードに準じている。ラインナップは、3人乗りの「トラック」、2ドアセダン風のワンピースボディーで、6人乗りの「ピックアップ」、2ドア、6人乗りの「ライトバン」からなり、「トラック」では、ホイールベースが標準(後のショート)のみ設定。1965年(昭和40年)10月、マイナーチェンジ。2灯式前照灯後期モデル。トランスミッションがフルシンクロとなる。それに伴いシフトパターンがドライバー手前上から1-2速、奥3-4速となる。外装では、フロントグリルセンターにDマークのエンブレムが追加される。1966年(昭和41年)、マイナーチェンジ。前照灯が丸型4灯式に変更される。このモデルからロングホイールベースのG520型が追加され、トラックはDX(デラックス)とスタンダードの2グレードとなる。DXモデルは、フロントグリルとバンパーがめっき仕上げとなり、フェンダーとドアにめっきモールが付き、ウインドウウォッシャーを装備する。1967年(昭和42年)頃、マイナーチェンジ。4灯式前照灯後期モデル。フロントグリルが変更され、グリル中央とヘッドランプベゼルがより一体化された物になる。1968年(昭和43年)、マイナーチェンジ。510型系ブルーバードの登場に合わせ、フロントフェンダー、エンジンフード、フロントグリルなどを510風に変更、フラットデッキスタイルとなる。エンジンも1.5Lの「J15型」が追加設定され、型式が521型となる。1969年(昭和44年)、生産累計100万台達成。1972年(昭和47年)2月、620型発売。より北米市場を意識したコンセプトで開発され、ショルダー部の「ウイングライン」と名付けられたキャラクターラインを初め、同時期の日産他車にも通ずる抑揚の強いスタイリングとなる。ショートとロングの2種類のホイールベースのシングルキャブトラックと、6人乗りのWピックアップの車種構成となり、初めてライトバンがラインナップから落ちた。使用目的の違いから、国内モデルでは先代の520型系と同じくJ13、J15型のオースチン系OHVエンジン(最後期にはディーゼルのSD22型も加わる)とマニュアルトランスミッションの組み合わせのみであったのに対し、北米向けはOHCのL16、L18、L20B型エンジンを搭載し、オプションでオートマチックトランスミッションが用意されるなど、差別化が計られている従来からの性能や信頼性に加え、充実した装備やスタイリングの魅力も加わったことで、見込み通り北米市場でもヒットし、リル・ハスラー(小さな働き者)と名づけられたダットサン620は、B210型サニー、610型ブルーバード、S30型Z - S130型Zと並び、北米におけるダットサンブランドの躍進を担った。1976年(昭和51年)5月、日産自動車九州工場(現:日産自動車九州)での生産を開始。同年にはキングキャブ(国内名カスタム)と呼ばれる、延長キャブとリクライニングシートや乗用車的装備を追加したモデルが設定され、その際外装にサイドモールを追加した。翌1977年(昭和52年)9月にマイナーチェンジ。前輪ディスクブレーキ化等の足回り変更、フェイスリフトなどのエクステリア変更、またアルミパネルバンの追加等があった(北米向けは当初よりディスクブレーキ採用)。1978年(昭和53年)、乗用車を含むダットサン史上初のディーゼルエンジン(SD22型2.2L 65馬力)と高床フラットデッキ車が追加されたが、ディーゼルモデルの販売時間は大変短く、また輸出もされなかった。その後北米では若者の間でトラックをスタイリッシュに仕上げるトラッキンと呼ばれるカルチャーが流行し、1980年代に日本へも紹介され、620型系のスタイルが見直された。北米での訴求がキングキャブ中心であった為その台数が多く、トラッキンにもそれが反映された。日本ではキングキャブの販売数は非常に少なく、しかもその内の多くがトラッキンのベース車両となったため、改造による弊害や一過性の人気のために寿命が短く、現在では見かける事は少ない。1979年(昭和54年)10月、720型系発売。ブランドが日産に変更され、スタイリングは620とはうって変わった直線基調となり、キングキャブの後部が拡大され、ダットサントラックとしては初めて、エマージェンシーシートが備わった。また、室内トリムはブラウンとブルーの2色が用意され、明るく、より乗用車的となった。キャビンバリエーションはシングルキャブ、キングキャブに加え、ダットサントラックとしては初めての4ドアダブルキャブの3種類、荷台バリエーションは低床と高床フラット三方開デッキの2種類、ホイールベースは標準とロングの2種類が設定された。これにより、従来のワンピースボディーのピックアップがラインナップから外れた。ガソリンエンジンは1600ccのJ16型のほか、乗用車用の1800cc、L18型の二種類。ディーゼルエンジンは2200ccのSD22型が設定された。一時期、720型をベースとするウォークスルーバンが設定されており、エンジンは直列4気筒OHVのSD23型ディーゼルエンジン(2289cc 73ps/4300rpm、14.8kgm/2000rpm)を搭載し、最大積載量は850kgであった。タイ日産では、プロフェッショナルで生産・販売されていた。1980年(昭和55年)6月、ダットサントラックとしては初めての4WDモデルを追加。エンジンはZ18型ガソリンエンジンで2人乗りシングルキャブと、5人乗りダブルキャブが用意された。1982年(昭和57年)1月、4WDモデルにディーゼルエンジンを追加。1983年(昭和58年)4月、マイナーチェンジ。ヘッドランプを丸形から角形へ、リアコンビランプを横型から縦型に、メーターを角形から丸形に、それぞれ変更。ディーゼルエンジンは排出ガス規制対応のため、100ccアップのSD23型となる。1983年(昭和58年)6月、北米日産会社にて生産開始。1984年(昭和59年)9月、米国日産自動車製造テネシー工場にて生産累計10万台を達成。1984年(昭和59年)、国内生産累計500万台達成。日本製商用車として初の快挙であった。1985年(昭和60年)8月、D21型発売。キャビンバリエーションはシングルキャブ、ダブルキャブ、および海外向けのキングキャブの3種でアジア地域用キングキャブはリアウインドウ形状が異なっていた。パートタイム4WDもラインナップされた。搭載するエンジンは直列4気筒OHC 1595cc Z16型、1770cc Z18型、1952cc Z20型、OHVディーゼル 2289cc SD23型。また国内の外装は北米仕様(テラノ顔)と異なり中近東仕様に準じたものとなりかなり印象の違うモデルとなった。欧州では「ピックアップ」及び「ナバラ」の名称で販売された。豪州仕様でも「ナバラ」の名称を使用開始。北米仕様では初めてVG30が搭載され名称も「ハードボディ」となった。タイ王国のサイアム日産モータース社では「BIG-M」として生産・販売された。1986年(昭和61年)8月、D21型をベースとする、日産初のSUV、「パスファインダー/テラノ(WD21型)」登場。1987年(昭和62年)8月、ガソリンエンジンZ18型が廃止、ディーゼルエンジンSD23をTD23に換装した。1988年(昭和63年)11月、ディーゼルエンジンにTD27型が追加される。オーテックジャパン製限定車「アダックス」が発売。二輪競技車両を搭載できるように荷台を2重にしてスロープを格納、ロールバーにステンレス製水タンクを設置して洗車できるようにしている。1989年(平成元年)9月、ガソリンエンジンZ20、Z16をNA20、NA16に換装。1989年頃、日産子会社の日産トレーディングが国内販売されていなかったテラノと同じ顔を持った北米生産のキングキャブ4×4SE-V6を300台輸入し全国の一部日産ディーラーで販売された。1992年(平成4年)9月、ディーゼルエンジンTD23が廃止され、ディーゼルは2700ccのみとなり、ターボ搭載のTD27T型が追加される。また外装がアジア中近東仕様から北米仕様に準じたブリスターフェンダーに変わりフロントフェイスも大きく変わった。これにより今までの荷台の長さでは4ナンバーを超えてしまうのでダブルキャブの荷台は約50mm短くなっている。上級グレードには北米仕様車にオプション装着されていた樹脂製の大型ロールバーと似たものがついた。またオーテックジャパン製「アダックスII」も発売。1995年(平成7年)8月、ガソリンエンジンNA16型が廃止され、バリエーションはNA20、TD27T、TD27の3機種となった。マイナーチェンジによってオーバーフェンダーとアルミホイルガードバー等のオフロードパッケージが装備された。ワイルドアダックスとDRパッケージが発売された。DRとはアメリカで50台限定生産されたデザートランナーの頭文字をつけた名前である。1995年(平成7年)、日産の合弁会社である鄭州日産汽車有限公司にてD21型ライセンス生産開始。2008年(平成20年)3月15日、15年間続いていたメキシコでの生産を終了。1997年(平成9年)1月、D22型発売。ブランド統一の流れで「ニッサン・ブランド」となり、車名も単に「ダットサン」となる。ビジネスユースは「ダットサン トラック」、レジャーユースは「ダットサン ピックアップ」を名乗る。エンジンはガソリンエンジンKA24E、NA20S、ディーゼルエンジンがQD32、TD27の4機種。基本シャーシはD21型のキャリーオーバー。ボディサイズは大型化したため4WDはすべて1ナンバーとなる。前期型内装は D21と同じ。このモデルにはオーテックジャパンがプロデュースしたエアロパーツ装着モデル「スカイスター」も存在した。1997年(平成9年)12月、エジプトにてノックダウン生産開始。1998年(平成10年)1月、D21型より国内販売されていなかったキングキャブが子会社オーテックジャパンより発売され、エンジンは既存の型でVG30は採用されていない。2400ガソリン,3200ディーゼルのATのみの設定。1999年(平成11年)1月、鄭州日産汽車にてD22型生産開始。1999年(平成11年)6月、D22型をベースとする北米専用SUV「エクステラ(WD22型)」が登場。マイナーチェンジでガソリンエンジンをKA24EからKA24DE、NA20SからKA20DEに換装。同月、キングキャブがカタログモデルとなる。当初はリアのジャンプシートは装備されなかったが4名乗車可能となった。2000年(平成12年)2月 北米向け「フロンティア」2001年モデルをシカゴオートショーに出品。2000年(平成12年)夏、フロンティア2001年モデルを北米にて発売開始。生産拠点は米国テネシー州スマーナ工場。エンジン生産は同じくテネシー州デカード工場。2002年(平成14年)1月、第24回トタール・アラス・マドリード・ダカール・ラリーにVQ35DE型エンジンを搭載して、VQ35DE搭載エクストレイル、およびVQ35DE搭載R50型テラノともに参戦。2002年(平成14年)3月、第72回ジュネーブモーターショーに欧州向け「ピックアップ」のマイナーチェンジ車を出品。2002年(平成14年)4月、ブラジルパラナ州サン・ジョゼ・ドス・ピニャイスのアイルトン・セナ工業団地にあるルノー工場にてフロンティアの生産を開始。2002年(平成14年)6月、第7回北京国際モーターショーにて、エクステラ同様D22型をベースとする「パラディン(D22W型)」を発表。KA24DE型およびVG33E型を搭載し、鄭州日産にて2003年(平成15年)に生産開始。
2002年(平成14年)8月、日本国内向け生産終了。日本国内向けとしては10代67年の歴史に幕を下ろした。これは、国内向けの商用車としては最も歴史の長い商標だった。2003年(平成15年)1月、第25回テレフォニカ・ダカール2003に前年同様VQ35DE型を搭載して参戦し、総合5位完走を果たす。
2005年(平成17年)1月、第27回テレフォニカ・ダカール2004にVQ35DE型を搭載し参戦。2005年(平成17年)4月、日産エジプトモーター(エジプト 2004年(平成16年)設立)でD22型「ピックアップ」の生産・販売を開始。2012年(平成24年)3月2日、D22型の日本国内での生産を終了。これにより、日産車体湘南工場第一地区での車両生産も終了した。
出典:wikipedia
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