『デスクリムゾン』(DEATH CRIMSON)は、エコールソフトウェアが1996年8月9日にセガサターン向けに発売したガンシューティングゲームである。元はCADを業務としていたエコールソフトウェア(以下、エコール)が、パズルゲーム『ぱっぱらぱおーん』に続けて、同社社長の真鍋賢行の元で開発・発売したゲームソフト第2作であり、セガ(後のセガ・インタラクティブ)の『バーチャコップ』に続くガンコントローラー「バーチャガン」対応ソフト第2弾でもあった。加えて、主人公の使う銃「クリムゾン」は持ち主の精神を蝕みながら進化する銃であると設定され、射撃を確実に敵に当ててゆくことで銃に様々な付加能力が加わることを特徴としていた。しかし『デスクリムゾン』は、開発スタッフの人数や経験などが不足していた中で無理に様々なアイデアを詰め込もうとした結果、オープニングデモに始まって演出・画面描画・操作性・ゲームバランスなどゲーム全体にわたってあまりに多くの問題を抱えてしまった。このことからゲーム雑誌のレビューで厳しい評価がなされ、また購入したユーザーからも当初は酷評を浴びた。その一方で独特の不条理さや不可解な台詞、ゲーム雑誌の読者評価ランキングで最下位の常連となったことなどがかえってゲームファンの注目を集め、インターネットを中心に口コミで話題を博した。そして「クソゲーの帝王」「最下位帝王」「デス様」などの異名を付けられてカルト的人気を博し、後に続編が発売されるなどエコールの看板ソフトとなっている。ゲームを起動してまずプレイヤーの目に飛び込んでくるのが、溶岩とも血溜まりとも付かない背景の上に、どことなくアジアの民族音楽を彷彿させる音楽に乗せて、壊れかけのデスマスクのようにも見える仮面が2枚浮かんでいるという画面で、この上を "ECOLE" の五文字が回転しながら飛んでくるという、「怖い」とまで評されるメーカーロゴ画面である。また、この画面はどうやっても飛ばせないので、プレイヤーは毎回この画面を見ることになる。これは北海道・洞爺湖の有珠山噴火記念公園にある彫刻「月の光」(イゴール・ミトライ作)とされている。メーカーロゴ、タイトル画面に続くオープニングデモは、説明らしい説明が満足に無いまま進んでゆく。まず3次元コンピュータグラフィックス(3DCG)で描かれた角張ったモンスターが力の抜けたような吠え声を上げる。続けて主人公・コンバット越前のプロフィールが表示される。タイプライターのような効果音と共に一文字ずつプロフィールが表示されるのだが、画面と音とが明らかにずれている。そしてそのプロフィールには、フルネーム:越前康介、コードネーム:コンバット越前と有る。コードネーム中に本名丸出しで匿名の用を為していない。そしてワイヤーフレームで表示された身体にテクスチャが貼り付けられてコンバット越前の姿が映し出されるが、微妙に曲がりくねっており、左手の先が細く、脚の長さが左右で違っているように見える。その後、越前の股間辺りから回転しながら飛び出す白い背景に赤抜きした文字の"DEATH CRIMSON"のタイトルに続けて画面に現れるのが、どこかの森と廃墟(おそらく友ヶ島砲台跡と思われる)をホームビデオで撮りながら走り回ったような、セピア色の画質の粗い動画である。機関銃とヘリコプターの音からどうにか戦場が舞台らしいと分かるが、説明らしい説明はまるでない。そしてコンバット越前と仲間の台詞が流れてくるが、声がやたらと甲高く、同じ声優が無理やり声を変えただけの演技だと丸分かりであるため、独り言で延々と喋っているように聞こえる。ナレーションについても、同一の声優の音声を低く加工しただけと思われる。また、この際の越前や仲間の台詞と画面の動きとがちぐはぐである。例えば、越前が途中で「上からくるぞ!気をつけろ!」と叫ぶが、ちょうどその時は階段を登って上方向に向かっているシーンであるため、上に敵がいる事を予想しておきながら何故上に行くのかという疑問が生じる(スタッフによれば、上に行く必要があるが、敵が上から襲ってくるため気をつけろという意味とのこと)。さらに、階段が出現した場面では、「何だ!この階段は!」と階段を降りながら話している。ちなみにその階段は、至って普通のものである。もっとも有名なシーンとしては、シーンが進んで廃墟の中に入り込み3つほど並んでいる扉のところまで来たところで画面が切り替わり、3DCGの扉を開けるシーンが流れる場面がある。この時越前は「せっかくだから、俺はこの赤の扉を選ぶぜ!」と叫ぶが、何がどう「せっかくだから」なのかも分からなければ、目の前にある扉はどこも赤く無く(DC版の続編では上に赤い宝玉がはまっているが)、「選ぶ」と言いつつ3DCGの扉はそもそも1つしか無いので選ぶ余地も無い等、謎だらけのセリフになっている。1つ前のシーンでのセリフだったなら扉が3つあったため選んでいるようにも見えなくもないが、エフェクトを使ってまでシーンを切り替えた後の話であるため、違和感は拭えない。この不可解な台詞は『デスクリムゾン』のファンの合言葉になっている他、デスクリムゾンと関係の無い話題の中でもしばしば(あまり選択の余地がなさそうな物に対して)「せっかくだから俺はこの○○○を選ぶぜ!」と言う言い回しが使われるなど、ゲームファンの流行語となっている。本作の基本的なゲームシステムは、主人公・コンバット越前の視点で3DCGによって描かれるシーン内を自動で移動しながら、ガンコントローラーを進化する銃「クリムゾン」に見立てて、画面の中に現れる敵キャラクターを狙い撃つものである。弾の装填数は6発で、画面外を撃つことでリロード(再装填)できる。ガンコントローラーがない場合はセガサターンに標準で付属しているコントロールパッドが使用できる。この場合は左親指側にある方向ボタンで照準となるカーソルを移動させ、右親指側に有るAボタンで射撃、Xボタンでリロードできる。この作品の特徴となっている「銃の進化」は、「進化レベルゲージ」を溜めることで可能になる。画面右下にゲージが表示されており、敵を撃つと増加し、外すと減少する。ゲージが最大まで溜まると、の効果が得られる。オプション銃は引き金(ボタン)を引き(押し)続けて右上に表示されるゲージを溜めることによって、進化ゲージと引き換えに発動させることができる。どのオプション銃になるかはシーンごとに決められている。またこの作品では倒した直後の敵に「追い撃ち」をかけることが出来、これによってスコア(得点)を稼ぐことが出来るようになっている。ステージは最初は2つまで選択でき、ステージ1はシーン1・2・3の3つ、ステージ2はシーン4・5の2つのシーンを戦い抜いた後、それぞれのステージのボスキャラクターとの戦いになる。ボスとの戦いでは画面の端に表示された矢印を撃つことで矢印の方向を向くことが出来る。2つのステージをクリアするとステージ3を選択することが出来、ここではシーン6・7・8の3つのシーンをクリアすると最後の敵・デスビスノスとの決戦になる。それは10年前の事であった。「コンバット越前」こと越前康介は戦友のダニー、グレッグとともにマルマラ軍の傭兵として敗走中、偶然遺跡を見つけ、とにかく入ってみる。すると中には3つの扉があった。せっかくだからと「赤の扉」と彼が呼んだ(赤いのは扉ではなく扉の上についている小さなランプ)扉を選んだ越前は、そこでクリムゾンという名の銃を手に入れた。1996年、医師となっていた越前は、ヨーロッパを覆う謎の伝染病「KOT症候群」にかつての記憶と通じるものを感じ、クリムゾンを携えて捜索を始めた。しかし今、デスビスノスの放ったモンスターがクリムゾンを取り返すべく越前に襲いかかる。コンバット越前の甲高い声は誰が演じたのか、説明書やエンディングのスタッフロールには一切名前が掲載されていなかった。雑誌レビューで「下手くそ」とまで評されたことも有ってか、当初は「忘れました」がエコールの公式なコメントだった。後に、他のキャラクターやナレーションなどそれ以外の声まで含めて全て、関西を中心にナレーターなどとして活動している声優のせいじろうが演じていたことが明かされている。発売前後に刊行されたゲーム雑誌でのレビューでは、こうした問題点を抱えた『デスクリムゾン』に対して厳しい評価が付けられた。『週刊ファミ通』1996年8月16日号(当時・アスキー、後のエンターブレイン)における「クロスレビュー」では、当時の編集長・浜村弘一(ペンネーム・浜村通信)が、企画自体には理解を示しつつもゲームバランスや難易度、当たり判定に苦言を呈して3点を付けていた。他にも、昔見たアニメを大人になって見たときの感触にたとえ「「昔はこれでよかったんだよな」って感じ」と評した上で、成長する武器システムを楽しむには邪魔が多すぎると4点を付けたレビューや、「『バーチャコップ』をマネてみたが何もかも及ばなかった、という感じ」と3点を付けた酷評もあった。さらにはといったものさえ有った。各自10点満点(総合40点満点)の中で2点以下は滅多に付けられない『ファミ通』のレビューでは、4人中1人が4点、3人が3点を付けた結果合計13点という極めて低い評価だった。『セガサターンマガジン』(以下『サタマガ』、ソフトバンク出版事業部)1996年8月9日号においては、完成度「100%」というサンプルに対して、「これマジで出すんですか?」と題されたレビューが寄せられていた。そのレビューは「美しいCG」などと書かれた説明書と実際の画面の出来との落差に対して、「さっさとバーチャガン置いて家に帰りました。詳しいことは右や左のほうを参考にしてください」と2点を付けていた。このレビューの右には「消化不良のシステムが否!」と題して問題点の多さのためにせっかくのアイデアが「かなり損をしていると思う」と評して4点を付けたレビューが、左には「バーチャガンでも大変だわ」と題して初期クレジットの少なさなどを問題視した3点のレビューが並び、平均して3点という相当に低い点数である。『SATURN FAN』の読者投票による「ゲーム通信簿」での評価は以下の通りとなっており、30点満点中14.1点となっている。また、1998年に刊行されたゲーム誌『超絶 大技林 '98年春版』(徳間書店)では、「モンスター達と死闘を繰り広げるガンシューティング。敵を倒すほど武器が成長するというRPGのようなシステムが斬新。しかし、敵の動きが荒い、敵の出現や攻撃の瞬間が不明瞭など、肝心な部分の作り込みが甘く、粗雑な印象を受ける」と紹介されている。『サタマガ』の読者投稿レビュー企画「読者レース」においては、1996年11月22日号の初登場において規定投票数到達ソフト297本中297位の最下位、かつ当時の最低平均点「1.0909」を記録した。これは10点から1点までで付ける評価が10人分以上集まったところで初登場となるシステムで、計算上は11人中一人が2点、後は1点でこの点数が出ることになる。同号におけるその一つ上は『大冒険 セントエルモスの奇跡』(パイ)の2.5227点で、それまでにも例のない群を抜いた低成績だった。この初登場時の『デスクリムゾン』への読者レビューにも「ただのゴミ」などと罵倒するものも含めて厳しいコメントが並んだが、中にはという、『デスクリムゾン』のカルト人気の到来を予見したようなものも見られた。『サタマガ』の「読者レース」において、後に『スタンバイSay You!』(ヒューマン)が初登場時1.0833点、最低1.0769点と最低点記録を更新するなど後発のソフトが最下位となることもあったものの、『デスクリムゾン』は最下位争いの常連としてランキング寸評でその動向が注目されるなどある種の名物となった。「デス様」という異名は1997年の春ごろにはマニアの間で用いられており、「読者レース」寸評などでも使われるようになっている。『サタマガ』が『ドリームキャストマガジン』(略称を正式名称にした『ドリマガ』を経て『ゲーマガ』(ソフトバンククリエイティブ))となってからも1999年7月23日増刊号まで継続していた計145回の連載中において、最下位獲得回数が最多の69回・連続最下位記録も最多の18回連続という記録を打ち立てつつ最下位でゴールインし、「最下位帝王」の称号を不動のものとした。連載終了後も同年いっぱい募集が続けられた「読者レース」の最終結果は、全セガサターンソフト1156本のうち有効投票獲得ソフト945本中945位、全得票平均点2.1058である。これは『ぱっぱらぱおーん』の945本中938位・2.4491点を下回った結果となっている。一方でいわゆる「クソゲー」を取り上げる書籍や雑誌連載においては、その内容や評価のために格好の題材にされてしまっていた。その中でも、『超クソゲー』(太田出版)においては、『デスクリムゾン』のあまりのインパクトに、特に一節を割いてこれについての取材の顛末を記す形を取っている。その過程においてエコールへのインタビューが試みられ、最初は自身の発言を捉えて叩かれることを恐れたエコールから断られたものの、幾度かの折衝の末にファクシミリによるインタビューを行うことに成功している。その回答文は「『※』の意味は『黙して語らず』」と断った上で多くの質問に「※」と返答されたものではあったが、これをきっかけとして同書の筆者らによるエコール社長・真鍋賢行への直接のインタビューが実現、サブカルチャームック『QuickJapan vol.24』(太田出版)にこの模様が掲載された。『デスクリムゾン』発売後しばらくの間にエコールに送り返されてきたアンケート葉書には、「死ね!」「殺す!」というユーザーの過激な言葉が書かれていたという。その一方で、インターネット上には『デスクリムゾン』について取り上げるサイトが次々と現れていた。『デスクリムゾン』をネタにしたページのみならず、これを褒め称えるものもあればエコール社などの最新情報を逐一報告するものもあり、中には「聖地巡礼」と称してエコール本社の入っているビルを訪れたりオープニングのロケ地を探し回ったり、果てはエコール社のアルバイト面接に臨んでその詳細なレポートを挙げるものまで現れた。発売から一年ぐらい経つ頃には、アンケート葉書には「これにめげずに頑張ってください」というような、制作スタッフを慰めるかのようなものも見られたという。販売された本数が少なかったこともあって、後には市場価格が高騰、2001年頃にはインターネットオークションにおいても高額で取引されていた。真鍋らエコール側は発売当初は沈黙していたが、先述したファクシミリでのインタビューに動かされてか、徐々に態度を軟化させ雑誌・書籍のインタビューにも少しずつ応じるようになっていった。そうした中で『デスクリムゾン』開発の裏事情も明かされている。他のいわゆる「クソゲー」と『デスクリムゾン』の違いについて、『QuickJapan vol.24』でのインタビューで真鍋は、というインタビュアーとのやりとりを交わしている。インターネット上の盛り上がりに対しては、当初は「知っています。心痛めつつ、笑って見ています」と答えていた。またその人気に対しても、一過性のものに過ぎず、本当にエコールやそのゲームを理解し共鳴している「真のファン」は10人ぐらいではないかとも見ており、『デスクリムゾン』がクソゲーでなくなった時点でどれぐらいのファンが残っているのかが見物だとも真鍋は語っている。ゲーム情報サイト「ジーパラドットコム」でのゲームクリエイターへのインタビュー企画においては、対戦格闘ゲーム『ソウルキャリバー』のプログラマーであるナムコ(後のバンダイナムコゲームス)の二村忍が、直前の回で登場した真鍋の紹介という形で登場し、『デスクリムゾン』について「強烈なエネルギーを放つ怪作」と評し、この作品に関心を持たない業界人はいないとも語っている。そして開発者の本気だけは痛いほど伝わってきたこの作品の続編が発表されたときには、心底嬉しく感じたという。後には真鍋はファンと積極的に交流するようにもなり、エコールの公式サイト上に電子掲示板を設けてユーザーの声に直接触れている。掲示板が荒らしに遭ったときには「辛抱強く対処することで、いずれ自分の行為を恥じる『良識』が芽生えることを信じております」という「大人の対処」を見せた。2001年にはセガサターンソフトが再版できる最後のチャンスを利用して『デスクリムゾン』の再版を行い、東海道・山陽新幹線を主要駅で下車しながら各駅で待ち受けるファンに真鍋自ら手渡しで販売する「デストレイン」と称するイベントを開催した。このイベントには各駅で多数のファンが待ち受けたほか、前述のナムコ・二村や、当時テクモの「Team NINJA」リーダーだった板垣伴信など、真鍋と交流のある他社のゲームクリエイターも応援に駆けつけた。コンバット越前ほかの声を演じたせいじろうも、ネット上で「素人がやっているんじゃないか」と評されたことがトラウマになっているというものの、2007年にはエコールが開いたイベント「エコールファン感謝祭」に特別ゲストとして招かれ、越前になりきって真鍋の質問に答えるというファンサービスを披露した。「中華味の焼きビーフンが好みで、カレービーフンはダメ」「友ヶ島へ行ったことはない」「好きだったサロニカ(ゲーム中に登場する街)はもう無くなってしまった」「イラクに自衛隊がいる時代だから、もう傭兵はやらない」「これからはムササビ専門の獣医をやるつもり」などと越前の声で答えてファンを沸かせた。2008年にはオープニングのロケ地・友ヶ島へ真鍋やせいじろうがファンと共に渡る「デスクルーズ」と称するイベントを開き、真鍋自身が『デスクリムゾン』開発の舞台裏を元にフィクションを加えた書き下ろし小説『フリーズ! 〜デスクリムゾン・レゾナンス〜』を発表し参加者に手渡した。福岡県在住の造形作家・角孝政は、『デスクリムゾン』を元に、クリムゾンが巨大に進化を遂げた姿をイメージした造形作品「巨大クリムゾン」を制作した。中にはセガサターン本体と『デスクリムゾン』のディスク、そしてバーチャガンの部品を利用した仕掛けが収められ、テレビと組み合わせて実際にプレイすることが可能である。制作の意図は、普通のゲームとはかけ離れた「異端」のこのゲームに対して、旧来の価値観や常識の逆転という現代美術の特徴と共通するものを感じたところから、ただでさえ難しく不条理なこのゲームをさらに遊びにくくしてしまうことで、そうした価値観のずれを極端に増幅したというものである。2005年に福岡アジア美術館で開催された現代美術の展覧会「第3回福岡アジア美術トリエンナーレ2005」に出展され、さらに会期終了間際の会場において作者と『デスクリムゾン』の生みの親・真鍋賢行との対談も行われた。「巨大クリムゾン」はイギリスでの美術展にも出展された後、福岡県那珂川町にある作者自身の私設美術館「不思議博物館」(#外部リンク参照)に収蔵されており、日曜日・祝日限定ではあるがプレイすることが出来る。本作は下記のシリーズ作品が制作されている。詳細については各記事参照。『デスクリムゾン』のCD-ROMと説明書は、1999年に国立国会図書館がゲームソフト等の電子出版物の収蔵を開始した際に納入されている。攻略本は出版されていない。複数号を出典とするものを記載。
出典:wikipedia
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