鹿嶌洋 起市(かしまなだ きいち、1914年6月27日 - 1947年5月5日)は、茨城県東茨城郡大洗町出身(出生地は台湾台南州)の元大相撲力士。本名は久 起一(きゅう きいち)。日本統治時代の台湾・台南州にある台南南門小学校を卒業して1930年に上京し、浪華商業高等学校を経て1930年5月場所で初土俵を踏む。1937年1月場所で十両昇進、1938年5月場所で新入幕を果たし、栃木山守也が興した春日野部屋から初の幕内力士となった。この新入幕の場所では12勝1敗の好成績を挙げ、勝ち越し11点は新入幕の最高成績である。1939年1月15日(1月場所4日目)、結びの一番を男女ノ川登三と取るために土俵下の力士溜りに控えていたところ、双葉山定次が安藝ノ海節男に敗れて連勝が69で止まった瞬間を目撃した。そしてその2日後、双葉山の連勝後に3つ目の黒星をつけたのが鹿嶌洋で、「打倒双葉」に結束していた出羽一門としては安藝ノ海・両國梶之助に継ぐ殊勲の星となった。1940年5月場所にも双葉山から金星を挙げている。大関昇進後の双葉山から2勝を挙げた希有な一人で将来を嘱望されたが、非力のために組み止められると外掛けしか技が無く、怪力の力士に苦戦した。さらに稽古中に足を負傷したことも災いして三役に昇進することは無いまま、1947年5月5日の広島巡業中に腹膜炎を患って現役死した。。肥躯と「消防自動車」の異名を持つ鋭い出足を生かし、右差しで一気に押すか寄る速攻の取り口が特徴で、全盛時代の双葉山から2勝、男女ノ川から1勝するなど上位に対して通用する実力があることを示している。その一方で羽黒山には11戦全敗と全く歯が立たなかった。
出典:wikipedia
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