『NHK紅白歌合戦』(エヌエイチケイこうはくうたがっせん)は、NHKが1951年から放送している男女対抗形式の大型音楽番組。日本の長寿番組の一つであり、大みそかの夜に公開生放送される。通称は『紅白』。その年を代表する女性アーティストを紅組(あかぐみ)、男性アーティストを白組(しろぐみ)に分け、対抗形式で歌や演奏を披露する。当初は正月のラジオ番組であったが、NHKがテレビ放送を開始した後は大晦日の夜に移動し、「1年の締めくくり」の代名詞となる。放送が延期・中止されたことは一度もない。日本を代表する人気歌手が大勢出演し、さらに歌手以外のゲストなどもその年人気を博した人物が選出されるため、放送開始当初から高視聴率を記録、深夜に及ぶ時間帯の番組でありながら、年間視聴率の上位に食い込み、多くの年で通年の最高値を弾きだしている。そのため国民の関心は高く、年の瀬から正月にかけて、新聞、雑誌から、商売敵である民放テレビ局までが紅白に関する話題を取り上げる。上述の通り、紅白の両組対抗形をとるが、番組の進行の上ではあくまでショーとして番組を構成する要素の一つであり、決して「対抗」を前面に押し出しているわけではない。ただし、あくまで形式上は「対抗」であるため、その組み合わせの枠の中に入る歌手は、正式には「番組出演」ではなく「紅白歌合戦出場」と呼ばれる。またNHK主体ではないが、海外の現地ケーブルテレビチャンネル(主として日本専門チャンネル)を通じて放送される場合がある(NHKワールド・プレミアム放送の際には字幕がないため)。BS2・BShiでも放送されていた一時期はBSのアンテナとチューナーさえあれば山間部や島部の難視聴地帯でも生放送で視聴可能となっていた。第18回(1967年)以降、長らく21時00分(JST、以下同じ)開始に固定されてきたが、2部制となった第40回(1989年)以降は19時代から20時00分の間を推移している。1部と2部の間には、その年の最後の『NHKニュース』を放送する。終了時刻は、総合テレビでは第13回(1962年)以降、一貫して23時45分である(放送メディアによっては例外あり)。また、次の放送番組も『ゆく年くる年』で固定されている。出演者や番組進行の情報もNHK側で厳重に管理され、出演の内定が出た後も、本人や事務所に対してはNHKからの正式発表まで厳重な「緘口令」が敷かれる。一部メディアでは例年、正式発表前に「関係者からのリーク」として予想が流れているが、当たり外れは一概ではない。通常、「紅組司会」、「白組司会」、「総合司会」の三者がいる。紅組司会と白組司会は、それぞれの組の曲紹介を、総合司会は番組全体の進行や両組司会のサポートを分担してこなす。基本的に両組司会は番組の開始から終了まで出ずっぱりで、総合司会の出番は相対的に少ない。紅組司会は数例の例外を除き女性が担当、白組司会は例外なく男性が担当する。両組司会もプレーヤーの一員との考えから、名義・名称が「キャプテン」「リーダー」となることがある。司会担当者は、他の長時間番組や音楽番組と比べて、特定の人物が何回も続けて担当することは少ない。そのため、司会者の選定も興味を集め、正式発表と同時に記者会見が開かれる。通常はNHK放送センターのスタジオで行われる。多くの場合、両組司会をテレビタレントが、総合司会をNHKアナウンサー(東京アナウンス室在籍)が担当する。全員の内、アナウンサーは必ず、最低1名は入る。これは紅白生放送中に有事(重大事件・事故・災害など)が発生したり、芸能人司会者が本番直前にアクシデント(病気・負傷・不祥事など)により出演不能となった場合、または、放送禁止用語発言の対応の意味合いもあるとされる。両組司会の本業は俳優、歌手、コメディアンなど多岐にわたる(アナウンサーの年も少なくない)。必ずしも司会慣れしているわけではなく、「紅白が初司会」という事例もある。紅白の台本は、生放送という関係上非常に細かく設定されており、進行上アドリブの必要性は少なく、あくまで「司会者」を演じる役者的性質が強いためである。「慣れ」が少ない分は、総合司会のアナウンサーがフォローするという具合である。司会が歌手の場合は、出場歌手(近年では嵐、V6)を兼ねる。両組・総合司会は通常それぞれ1人ずつだが、複数名が担当した第37回(1986年)、グループが担当した第61回(2010年)、三者の枠を取り払った第56回(2005年)などの例外がある。両組司会は(特にタレントの場合)、本番までNHK関連の仕事が入る。出場歌手は第7回(1956年)以降、おおむね20組から30組の間を推移している。紅組と白組で出場歌手の数が異なるというケースもある。その他、両組出場歌手の中から「リーダー」「キャプテン」というポジションを制定(1人ずつ)する回もある。対戦に組み込まれる正規の歌手は番組への出演が「出場」と呼ばれ、「出場回数」も正式にカウントされる。番組初期において、紅組=女性、白組=男性と厳格に分けられていた風習から、男女混成グループは女性ボーカルのみが紅組で単独出場したり、男性ボーカルのみが女性ボーカルのパートも兼ねて男性陣のみで白組に出場するなどの処置が取られていた。男女混成グループが初めて出場したのは、第19回(1968年)のピンキーとキラーズである。男女混成グループの組分けや出場した組の例外については下記の通りになっている。ソロ歌手とグループ、あるいはソロ別名義・他アーティストとのコラボ等での活動を掛け持ちする歌手も多数存在するが、紅白では同じ1人・組のアーティストが同一回に複数名義で正式に出場することは、沢田研二が第40回(1989年)において、ソロ名義とザ・タイガースの双方で出場した事例以外はなかった。しかし、2000年代後半からは同系列のグループ絡みで複数のグループ・ユニットに参加する人物がそれらの一員として複数名義で出場となるケースも見受けられるようになっている。また、年少の歌手の出場は、従来は開始時刻が21時00分以降であったため労働基準法の制約により事実上不可能であったが、後に開始時刻が大幅に繰り上がり19時台になったため、可能になった。幼少の歌手は19時台、年少の歌手を含む若手グループなどは22時以前に出演する。第26回(1975年)のずうとるび(日本テレビ系列『笑点』出身)以後、民放番組からデビューした企画ユニット・ソロ歌手(番組内のキャラクター)あるいは民放色の強い歌手も出場しており、特に1990年代後半以降は多くの民放番組出身歌手が出場するようになった(第59回(2008年)のようにメディアに「民放色が強い」と評される回も出ている)。その場合、該当番組内でそれらの人物が「紅白を狙う」と公言したり、出場が決まった際には紅白本番中やその舞台裏の模様を後日番組内で「紅白ドキュメント」などと銘打って放映したりすることがある。また、これらの歌唱時には番組共演者が応援ゲストとして登場することもある。NHKが民放番組出身グループへの出演交渉を彼らの所属事務所やレコード会社ではなく直接該当民放局に行った事例もある。また、1999年・第50回、2000年・第51回に出場したフジテレビ系列『とんねるずのみなさんのおかげでした』出身の野猿は、メンバーにフジテレビの裏方スタッフが含まれていることから、民放テレビ局の社員が出場という事例にもなっている。番組側は話題となっている民放番組出身ユニット・歌手に出場してもらうことで視聴率獲得への期待をしている面があり、民放局側も自局番組出身のユニット・歌手を紅白に出場させることに協力的な姿勢であるという。「歌合戦」と称しているものの、演奏のみで歌わないグループの出場もある。例として第41回(1990年)のG-クレフや第54回(2003年)の女子十二楽坊が挙げられる。その年を代表する著名人(芸能人・スポーツ関係者・音楽関係者・文化人・メディア関係者など)が10人前後起用されることが恒例で、本番では客席の最前列に着席する。審査への参加だけでなく放送内で随所で司会者とのトークが挟まれ、番組の進行にも関わる。第55回(2004年)までは「特別審査員」と呼ばれており、またNHK番組制作局長が「審査委員長」と呼ばれていた。一番起用される可能性が高いのは、翌年の『大河ドラマ』の主演者であり、司会や歌手に選ばれた場合を除き、ほぼ毎年審査員となっている。スポーツ関係では、プロ野球の日本シリーズ優勝チームの監督や主力選手、大相撲の看板力士(その年に新横綱、新大関になった力士が多い)が多い。一方で、オリンピックのメダル獲得者は、競技と無関係の場への登場を良しとしない日本体育協会の意向から当初は選出されなかった。メダル獲得者の選出は第35回(1984年)における江上由美(現:丸山由美、ロサンゼルスオリンピック女子バレーボール・銅メダル)が最初でそれ以後は選出されることが恒例となっている(オリンピック開催前年にメダルを期待される選手・監督が起用されることもある)。ゲスト審査員の発表は12月下旬に行われる。上記のメイン出演者以外に、様々な著名人がゲストとして出演する。ジャンルとしては、歌手や楽曲と関連する人物の応援、楽曲提供者などの演奏参加、会場外からの中継の進行役(大抵はNHKアナウンサー)等様々。また、その年ブレイクした若手のお笑いタレントがネタ見せするのも定番。主要ゲストについては、本番前に逐一出演が発表されていく。また、大晦日の祝祭ということで、民放アナウンサーのNHK出演という普段はありえないコラボも特例で実現している。第61回(2010年)からは、『紅白ウラトーク』が開始。会場座席の一部にセットを組み、放送時間中そこからのトークを副音声で放送し続ける。専属のMC(タレントとNHKアナウンサー)がおり、歌手、ゲストが入れ替わり立ち代わり出演する。基本的には、前回の放送が終了してからの1年間にヒット曲を出した歌手を対象として、出場者の選考が行われる。本人や所属レコード会社・所属事務所に対して選考対象とされることや出場への意思の有無の確認が行われ、例年11月頃に行われる選考会議で最終決定される。発表と同時に記者会見が開かれ、競合関係にある民放各局も含めた各メディアの取材陣が集まり、『NHKニュース』を始め各メディアでも報道される。この記者会見には初出場者が出席することが恒例となっている。第61回(2010年)以降、出場者発表会見はインターネットでもストリーミング配信で生中継がされている。出場歌手発表は11月中旬 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12月上旬に行われる。選考結果は大きな話題となるが、疑問や批判の声が上がることも恒例となっている。番組側は基本的に選考の過程や理由などを詳らかにはしておらず、非選出者については発表記者会見の質疑応答の中で、最低限の事情を明らかにしている程度である。第65回(2014年)、第66回(2015年)の発表記者会見では「今年の活躍、世論の支持、番組の演出・企画に沿う」という3点が提示されている。第65回では以下の5つのデータが出場歌手決定の参考資料とされた。出場歌手選考の参考として第23回(1972年)の選考時より「ご意見を伺う会」が発足し、その会員から意見を求むという体制が第38回(1987年)まで続いた。NHKが視聴者を対象に行うアンケート結果は第37回(1986年)までは重視されていたが、以降は参考程度に留められているという。原則として結果は公表されない。紅白歌合戦の出場歌手に選出されるには、第一義的には音楽業界での活躍、すなわち、音楽セールスの実績(レコード、カセット、CD、DVD、音楽配信、USEN、カラオケなど)・実力・知名度・話題性・世論の支持・歌唱力・同回のテーマとの合致・『NHKのど自慢』出場者に自身の楽曲が選曲されることなどが重要となるが、他にも以下の条件が存在するとの指摘がある。NHK番組への出演・関与や番組主題歌の歌唱など、NHKに対する貢献度が選考を左右する要素として決して小さからぬ割合を占めている。特に『連続テレビ小説』や『大河ドラマ』の主題歌やオリンピック(パラリンピック)・FIFAワールドカップのNHK中継テーマソング、NHK全国学校音楽コンクール課題曲(中学校の部)を担当した者については、出場しやすい面がある(またNHKタイアップ曲での出場者の歌唱場面では、このタイアップにちなんだ演出が行われることも恒例)。そのため、大きなヒット曲や話題性がなくとも、日頃のNHK各種番組への積極的な出演やテーマソングなどの楽曲提供を評価されて選出され、紅白の舞台でNHK番組のテーマ曲や過去のヒット曲を歌う者が例年見られている。このこともあって、紅白には主に演歌系を中心に「紅白常連組」などと呼ばれる多数回出場の実績を持つ中堅・ベテラン歌手が存在している。出場歌手については、所属する芸能事務所毎に一定の枠、数的制限が設けられる慣例があるとされる。この慣例については、番組は公式には認めていないが、ジャニーズ事務所の社長であるジャニー喜多川が「NHKに2枠固定と言われ意固地になっていた」と枠の存在を暴露するなど、公然の秘密となっている。かつて、1部制時代の1980年代前半までは芸能事務所毎の枠という概念そのものが存在していなかった。このため第25回(1974年)では、出場歌手の紅白計50組中10組を当時全盛期にあった渡辺プロダクションに所属する歌手が占めるという状況も見られた。だが、その後は一定の枠が事実上設けられる状況となったため、かつての渡辺プロほどの規模で特定の事務所が出場枠の一定割合を専有することは難しくなった。そのため、大ヒット曲を出しながら事務所枠の関係で出場機会に恵まれない例もある。1980年代から芸能界で大きな影響力を持つようになったジャニーズ事務所に所属する歌手の出場は、第48回(1997年)以降長らく、SMAP・TOKIOの2組に限定されていた。その後、第60回(2009年)に嵐とNYCboysも出演して以降、ジャニーズ事務所の枠は増えている。大手芸能事務所の所属者については、その他の音楽番組などと同じように、事務所の重役(社長など)から気に入られている者が一般的知名度に欠けていても、同じ事務所の格上者をさしおいて出場となるケースもあるとされる。NHKは公共放送でありその番組は国民が払う受信料によって制作され、出演者に対して支払われるギャラもまたそれによって賄われている。そのため、すなわちイメージがクリーンであることも、出演者の選出・決定にあたって満たし、また出場当日まで守り続けなければならない重要な必要条件の1つとなっている。これまで、暴力団関係者との不適切な関係や、金銭面のトラブルなどといったスキャンダル・不祥事の発覚により、「出場を希望したが不祥事を理由に落選」とされる前に、「内々で自主的に辞退」という名目を取って歌手側が自ら選考から降り、出演を断念するケースが幾度も繰り返されている。また、この様な出来事を巡って週刊誌などで音楽業界や芸能界の暗部を窺わせるような報道が見られることもある。特に“黒い交際”の発覚、すなわち暴力団・ヤクザなどの反社会的勢力が絡むスキャンダルが表面化することは、紅白出場を目指す人物にとっては大きなタブーで、選考にも決定的な悪影響を及ぼす。それは大物歌手・ベテラン歌手であっても例外ではなく、過去には長年紅組トリを独占していた美空ひばりが、1973年、暴力団構成員であった弟・かとう哲也の逮捕をきっかけに、三代目山口組・田岡一雄との関係を問題視され、イメージが低下しアンケート支持の低さと「ご意見を伺う会」からの批判が相次いだことを理由に落選となり、以後は「自発的に出場辞退」との姿勢を取り続けた。実際には紅白を事実上追われるかたちとなり、正式な出場歌手としては遂に復帰しなかった。2008年にも同様に暴力団組長が主催したゴルフコンペに複数のベテラン歌手が参加したことが発覚、この歌手らについてNHKは「当面は番組出演見合せ」という措置を取り、同年の第59回では事実上の落選となった(彼らの所属する事務所は「辞退した」と主張した)。また、第37回(1986年)では、北島三郎・山本譲二が暴力団主催の宴席に出席していたことがメディア報道され、本番の差し迫った12月29日に出場辞退を余儀なくされた。代役として角川博と鳥羽一郎が選出されたものの、今度は鳥羽が自身も暴力団と過去に関わりがあったことを自ら暴露し、この一件に対するNHKの偽善の姿勢を批判して辞退。最終的にNHKは30日午後というギリギリの段階で、31日夜のスケジュールがたまたま空いていたシブがき隊を確保して代替出場させ、どうにか取り繕ったという事例も発生している。「黒い関係」については、暴力団関係者の主催であることが意図的に伏せられた宴席に芸能人が招待・招聘され出席し、メディア報道によって当事者や所属事務所が初めてその事実を把握したようなケースでも、その年の紅白出場に向けては致命的なマイナスとなる。2011年には、暴力団の影響力排除を目的とした各都道府県の暴力団排除条例が施行され、島田紳助が暴力団との交際発覚を理由に芸能界を引退し大きな話題になったことなどもあり、NHKも暴力団排除指針を公表。同年の第62回の選考を巡って、黒い交際の情報がある人物は排除しなければならず、NHKが出場候補者の人選に通常より神経を使い、報道局など組織内の多くのリソースも投入していると各メディアで報じられた。歌手側が明確な辞退理由・経緯等を公表するケースもある。また、常連歌手など功労者を落選させる場合、番組側が該当歌手に「辞退した」と公に発表することを許可する場合もあるとされる(これを該当歌手が拒み落選をそのまま公表することもある)。紅白出場自体を「興味がない」「メリットがない」としたり、年末年始に元々仕事をしない(家族と過ごすため)などの方針であること、自身のカウントダウンコンサート(1980年代より。一方、2000年代以降では紅白にカウントダウン会場から中継で出演する者も見られるようになった)や海外でのレコーディングなど大みそか当日の別の仕事のために辞退する者も多く存在している。生放送での歌唱に難色を示したり、裏番組への出演や紅白に出場した場合の長時間拘束を嫌うということを名目に辞退する者もいる。1980年代頃よりミュージシャン系の出場辞退が相次いだ。当時は「辞退をすることがステータス」、「出たら負け」という雰囲気もあり、知名度が出てきた頃に数度だけ出場する例(THE ALFEE、サザンオールスターズなど)、NHKとの不和が原因で出場しない例(アリスなど)、紅白のコンセプトに賛同しない例(小田和正、Mr.Childrenなど)、様々な経緯がある。また、連続出場した歌手が「紅白卒業」を表明し、以後は基本的に選考・出場を辞退(不出場)するようになることがある。なお、この際に歌手側から述べられる理由は、「引き際を大切にしたい」「後進に道を譲る」「自らの楽曲やジャンルに対する番組側の軽視への不満(同じ過去のヒット曲ばかり歌わされる、同じジャンルの有望な若手・中堅に出場機会が与えられない、など)」「毎年繰り返される落選への恐怖に耐えられない」など様々である。ただし、中には勇退表明後に再出場する者もいる。この他、連続出場していた歌手が、落選を機に次の年からの紅白出場にこだわらない方針を示した事例もある。なお、出場が正式決定した後になってから、不祥事・スキャンダル以外の歌手側の都合で出場を辞退し、代替出場の歌手が立てられたケースは少ないものの、以下の事例がある。サンディー・シムス、HOUND DOGはこの後も出場をしておらず、幻の出場となっている。この他、出場する予定だったグループの一部の人物が、病気・負傷・不祥事などの理由により欠場・出演辞退という事態になり、残りのメンバーで出場したケースも存在する。本番が迫る時期には、紅白のPR特番が多く組まれることも恒例。過去紅白の再放送や名場面放映を中心とした番組もある(いずれもBS2『思い出の紅白歌合戦』や『あなたが選ぶ思い出の紅白・感動の紅白』など)。出場歌手の曲目や曲順は原則全て公開されており、曲目は12月中旬、曲順は12月下旬に発表される(曲順については、放送の前日・前々日というギリギリのタイミングで発表となる場合もある)。そして歌唱曲や曲順の発表を以って、出場歌手側にこれが告知される格好にもなった。選ばれる曲は原則としてそのアーティストのその年のヒット曲または代表曲(過去のヒット曲など)である。その回のテーマに沿った歌が選ばれる場合もある。選曲の傾向や例外には次の事例がある。本番2日前には台本が完成し、リハーサルが始まる。台本は非常に厚く、番組内でのサプライズやトークもすべてト書きされており秒単位での進行が組まれている。ただし一部の演出については、詳細を台本では白紙扱いにし(出場歌手や司会者にも伏せられる場合あり)、演出開始までシークレットにするものもある。リハーサルと並行して司会者と出場歌手で面談が行われる。その面談では、司会者側より出場歌手に本番内での曲紹介の内容について説明したり、出場歌手側より司会者に自身の曲紹介をするにあたっての依頼や自身の歌唱にあたっての思い入れ・エピソード等を語ったりするということが実施される。この面談の際に出場歌手が話したことを司会者が本番内で語ることもある。また、メディア記者もNHKホールに詰め、リハーサル・本番の合間を縫って出演者への取材(ぶら下がり形式)が元日未明まで行われる。主に、今年の総括や来年への抱負が述べられるのが恒例である。番組のオープニングおよびエンディングでは、歌手全員がステージに登場する。両組司会は、オープニングは晴れ着姿で登場する。総合司会は、男性アナウンサーの場合はスーツ、女性アナウンサーの場合はドレスを着用する(以降、スーツの場合を除き数度の衣装替えがある)。総合司会による両軍司会の紹介と両軍司会のあいさつを経て、そのまま最初の歌手の曲紹介へと入る。原則として、紅・白両軍の歌手が1組ずつ対決する形式である。稀に同組の歌手を2組ずつ連続して歌唱されるというケースもある。対決の内での両組間の順番が途中で入れ替わることがあり、「攻守交替」と呼ばれる。演出上、別々に出場したソロ歌手やグループが組んで1パッケージで登場することもある。2000年代以降はこの対戦形式の原則に入らない事例も多くなり、対戦の途中に特別コーナーが入る例、対戦相手がいない例、歌唱順の対戦相手と演出上の対戦相手が異なる例、正規の対戦歌手とカウントされないながらも対戦枠に組み込まれる例などがある。歌唱時間は1回につき一組一回で3分程度が定番だが、その回の目玉の歌手、楽曲においては優遇され、最長では10分近いこともある。一方で、さほどトピックスのない歌手の場合は2分弱まで短縮される。両軍司会の定位置は舞台脇の花道部分であり、ここで曲紹介などを行う。紅組が下手、白組が上手に割り当てられており(第4回(1953年)のみ逆)、番組前期は曲紹介も両方の通路で別々に行われていたが、NHKホールは楽屋が下手側にあるため、後には白組も最初と最後の2組程度以外は下手側で行うようになった。歌手が初出場の場合などは、歌唱前に司会とのトークが行われる。最後の数組の歌唱の際には、出場歌手も両方の通路に並ぶ。原則出演歌手は中継も含めて生放送内で歌唱するが、例外として第62回(2011年)に特別出演したレディー・ガガは、スケジュールの都合により録画での出演となった。舞台転換やステージの演出にも凝っており、時にはワンステージのために多額の費用や長時間を費やすこともある。3Dマッピングなど、最新の映像技術も駆使される。歌手側も、「豪華衣装」が目玉となった小林幸子を筆頭に、晴れの紅白のために多額の自己負担をする場合がある。歌の間には応援合戦やアトラクション、大合唱、コーナーが行われ、かつてはほとんど恒例と言うべき出し物があった。このため、バラエティ番組の要素も持っている。NHKの人気番組が取り上げられることも多いほか、オリンピックなどスポーツにちなんだ演出が行われることもある。また、正規のステージにおいても歌手間での「応援」がある。特に2010年代以降では、視聴率の都合上、人気の高いポップス歌手を随所に登場させる(演歌歌手の演出としてのバックダンサーなど)演出がなされる。会場の観覧者にはペンライトが配られており、照明を落として行われるステージでは会場がペンライトの発光色で染まる場面が見られる。その他、ペンライトに加え、LEDライト、リアルタイムARシステム、サイリューム、造花、お面が配られ、演出に参加する。出場歌手にもペンライトを配って、ステージ上や司会席で使用させることもある。その年内をもっての引退・休業を発表した歌手や解散・活動休止を決定したバンド・グループが選出された場合、「ラストステージ」として注目される。歌手の側も、区切りとして「活動年内限り」とする場合が多いため、視聴率の高い紅白が最後の舞台として選択されやすい。両軍最後に登場する歌手は「トリ」(後に登場する側は「大トリ」)として、特別に注目を集める。勝敗はゲスト審査員と会場の観客および地上デジタルテレビ放送の双方向システムや携帯電話を利用した視聴者の投票で決定する。審査とその結果の発表方式は回によって異なる。永らくは、全歌手の歌唱後のゲスト審査員と観客の投票で決まっていたが、21世紀にはいると会場外の一般視聴者からの投票も加わる(第1部終了時と合わせて2度)。一般視聴者の票は集計に時間がかかるため、第1部では残り2組(1対戦分)になったところで総合司会のアナウンサーが投票を呼び掛け、2組の歌唱中に投票と集計、ニュース直前に結果を表示する。最終投票時は、投票中に「ハイライト」として、全歌手の歌唱シーンのダイジェスト(1組数秒、トータルで3分弱)を流すか、最後に全員歌唱で1曲が入る。優勝(勝利)チームが決定すると、テレビ画面には「○組優勝!!」の字幕スーパーが出て、天井から大量の紙吹雪がステージ一杯に降る(初期の頃はステージに紙テープを投げたり、天井から紙テープのみが降ったり、くす玉が割れて、紙吹雪・紙テープ・風船が降る演出があった。テレビ番組での先駆けである)。ただ、2000年代頃からは紙吹雪が優勝決定時には降らず、エンディングの「蛍の光」の場面で降る。そして、優勝組の司会者(キャプテン)に優勝旗が授与される(優勝旗授与を行う人物は回によって異なる、大抵はゲスト審査員のうちの一人)。なお、表彰の音楽としてヘンデル作曲の「ユダス・マカベウス」の中の「見よ、勇者は帰る」が使われることが恒例。また、この優勝旗には歴代の優勝チームの色のリボンが飾られている。フィナーレは一部の回を除き「蛍の光」を出演者(出場歌手・司会者・ゲスト審査員・ゲスト・合唱団など)並びに会場の観客で大合唱されることが恒例である。この場面のみに指揮者として参加する音楽家がいる。「蛍の光」大合唱が終わると、クラッカーが客席上に打ち上げられ、そこで丁度23時45分、番組が終了する。1月2日ごろに視聴率が発表され各メディアで話題になる。併せて1分単位の視聴率も発表されるため、「最高視聴率を獲得したのは誰か?」も興味の的になる。通常、トリまたはその付近の歌手が獲得する。これまでの通算成績は紅組30勝・白組36勝で白組がリードしている。2005年・第56回から2010年・第61回まで白組が6連勝しており、これが最多連勝記録である。色付きの枠が先行トップバッター(不明のケースもある)。( )は通算出場回数、[ ]は通算トップバッター回数を示す。色付きの枠が大トリ(不明のケースもある。)。( )は通算出場回数、[ ]は通算トリ回数を示す。毎回、テレビ視聴率が非常に高いことで知られる(1月2日公表)。第13回(1962年)のビデオリサーチによる調査開始以降での最高視聴率は第14回(1963年)の81.4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯。以下略)。1980年代前半までは「お化け番組」「怪物番組」とも称された。最低視聴率は第55回(2004年)の39.3%である。ほぼ毎回、年間視聴率では民放の人気番組を抑え、上位にランクインしており、ほとんどの回で1位となっている(ビデオリサーチ社調べ)。毎分視聴率も公表(1月3日前後)され、どの歌手の部分の視聴率が高かったかも話題となる。紅白出演がアーティストの翌年初頭のCD売り上げに少なからず影響を与える。この現象は俗に「紅白効果」と呼ばれている。紅白出演後に紅白で歌われた曲がオリコンシングルチャートで週間1位を獲得したケースとしては都はるみの「北の宿から」、吉幾三の「雪國」、中島みゆきの「地上の星」、SMAPの「世界に一つだけの花 (シングル・ヴァージョン)」(返り咲き)、秋川雅史の「千の風になって」、秋元順子の「愛のままで…」、植村花菜の「トイレの神様」がある。また紅白歌唱を機に注目され大ヒット・再ヒットした楽曲を翌年の紅白で連続して歌唱するというケースも見られる(その際、再度の「紅白効果」が生まれたというケースもある)。「紅白効果」はヒット曲のみならず、歌い継がれる「名曲」をも生み出すとの向きもある。進行にあたっては、台本と合わせてカンペも用意される。司会者に対し、スタッフから開始早々のタイミングで「巻き」(スタッフから出演者に早く進行するよう指示が入ること)が入ることも珍しくなく、放送内でアドリブを入れることも中々できないという。その他、司会者が生本番内で言い間違いや失言をして話題となった事例がある(1980年代頃までは司会者の言い間違いなどのハプニングは一切許されないというほどの厳格さがあった(後にこのような演出やハプニングはある程度認められるようになった)。これに関連して1995年・第46回 - 2000年・第51回に総合司会を務めた宮本隆治は「NHKホールには魔物が住んでいる」「これまで多くの魔物が先輩の司会者達を苦しめて来た」と語っている)。ただし、これらは現代紅白のものであり、1970年代頃までは司会者によるアドリブや自由演出がごく当たり前のように行われていた。一例として、1970年・第21回では本番内において、白組司会の宮田輝が白組歌手の橋幸夫に対し、歌唱曲を当初予定の「俺たちの花」から「いつでも夢を」に変更することを持ちかけて歌唱させたという出来事があった。一方で、その「予定調和」を逆手に取り、アーティストが番組にも無断で不意打ちパフォーマンスを行うこともある。紅白でのパフォーマンスなので後に大問題になり、アーティストがNHKに出入り禁止を喰らうこともある。これまでの主なパフォーマンスとしては、以下があげられる(詳しくは当該の回やアーティストの項目を参照)。なお、第57回(2006年)の募集から、応募資格が次のいずれかに制限されることになった。これにより、NHKの受信料を滞納、もしくは不払いの者は応募できなくなる。そのため、往信側のはがきには受信料負担者名の記入が必要となる。これは他の公開放送番組の応募(例:『NHK歌謡コンサート』)で実施されていたものと同様である。ただし、規則で禁止されている当選はがきの転売行為については全く対策がなされていない。
出典:wikipedia
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